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第45話 魔血種族の王

 控え室に用意されていた舞踏会用に仕立てられた、大きく肩を出した漆黒のマーメイドドレスに着替えると、プージャは警護のヴリトラを伴って足早に会場へと向かった。

ツキカゲがいるのは、来賓用のVIPルーム。

ボールルームは3階層を吹き抜けにした巨大な空間。

1階層目にはダンスフロアと参加者用の席が。

2階層目にはダンスフロアを囲むように観覧席が。

そしての最上階には、魔王専用の観覧席が。

VIPルームは2階層目、魔王の観覧席の真下に位置していた。


 舞踏会は既に始まっていた。

会場からは優雅な音楽と、そして観客達の歓声が聞こえてくる。

VIPルームの扉の前で足を止めると、プージャは大きく息を吸い込んだ。

ヴリトラが扉を開け放った。


 VIPルームの中は小さめのパーティー会場のようだった。

2~30名ほどの人々がひしめき合わずにゆったりと過ごせるほどに広い空間には、それぞれドレスやタキシードに身を包んだマリアベル傘下の領主とそのパートナー達が、このイビル・モンストルデーの舞踏会を楽しんでいた。


「これは、魔王様。」


最も近くで談笑していたジャック・オー・ランタン族の領主が、扉をくぐり抜けたプージャの姿を目に留めると近付いてきた。

その途端、領主達に仕えていた側近や給仕達が一斉に部屋の壁際に身を控えた。


「ご機嫌うるわしゅう。」


プージャの前で足を止め、その手を取って甲にキスをした。


「うむ。久しいの。」


威厳に満ち溢れた声色で答えた。

それに釣られるかのように、次々と各領主達が挨拶に訪れる。

そのひとりひとりと短い言葉を交わしながらも、プージャは気もそぞろに広い室内を見渡していた。

領主達の、魔王への挨拶の為の人だかりが出来始めた頃、ようやくプージャは見付けることが出来た。


 ひとりだけ、席を立とうとしない者がいる。


VIPルームの最もホール側。

ガラス窓の前に腰を落ち着け、魔王の方へは振り返りもしない者。

純白の、まるで清流の滝の如く煌めく、腰まで伸びた白髪。

ワインレッドのプリンセスラインドレスを身に纏い、羽根扇子を扇ぎながらシャンパングラスを傾けている。

あの不遜な態度。

魔界最高種族のひとつ、ソーサラー族特有の赤みを帯びた肌。

間違いない。

魔血種族の王。

滅亡の女帝(デストラクショナリー)

魔界最強の暴君。

大公ツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオだ。


そしてその傍らに佇むのが、プージャの探し求めていた人物だった。


(良かった。まだ無事だ。)


プージャは内心で胸を撫で下ろしていた。

ツキカゲのグラスにシャンパンを注ぐマルハチの姿を確認すると、プージャは歩を進め始めた。

移動をしながらも、領主達は魔王への挨拶を止めはしない。

魔王に媚びを売り、少しでも心証を良くしようと必死なのだ。

次から次へと迫り来る魔族達を、それでもおざなりにすることはなく相手をしながら、プージャは少しずつガラス窓へと近付いていく。

次第に挨拶を済ませた人だかりは小さくなっていき、段々と歩きやすくなってきた頃、プージャはようやくマルハチの元へと辿り着いた。


 プージャが歩を止めた。

白髪のソーサラーが腰掛ける椅子の背後に立った。

それでもこのソーサラーの王は振り返ることもしなかった。

この物々しい雰囲気は一気に部屋中へと広がった。

ようやく魔王への挨拶の順番を迎えたグール族の領主だったが、その禍々しいまでの空気を察知したらしく、そそくさとその場を離れていった。


 プージャは無言のままツキカゲの背後を通り過ぎると、自分の腹心の傍らまで歩み寄ろうとした。


 そこでようやく、ツキカゲが動いた。


「あら、魔王様。いらしたのですね。」


椅子に掛けたまま首だけを動かすと、ツキカゲがプージャに声を掛けた。

その様子に、部屋中の領主、その側近、給仕の者まで、全ての魔族に緊張が走った。

魔王配下であるはずのツワンダが椅子に腰を降ろした状態で、主であるはずの魔王が立ち上がっている。

普通に考えれば、まずあってはならない異常事態だった。

ツワンダの意図が明確に部屋中に伝わった。

そして、もうひとつの意図も。

自分を無視して使用人に近付くなど言語道断。

そう言っている行為だった。


「おお、いたのか。カッサーラ・ゲシオ。」


プージャは出来るだけふてぶてしい態度を取るように心掛けると、尊大な物言いでツキカゲに返した。


「ごきげんよう。」


ここでようやくツキカゲがプージャの方へと向き直った。


「随分とご無沙汰でしたわね。」


そしてゆっくりと立ち上がった。


「そうだな。父の葬儀以来か。」


自分よりも少し背の高い、薄紅色の肌を持った美女を目の前にし、プージャは毅然とした態度で言った。


「私の継承披露式は欠席だったな。」


「ほほほ。」


ツキカゲは扇子で口許を隠しながら笑い声を上げた。


「あの時は(わらわ)、ちょうど体調を崩しておりましたゆえ。」


「そうであったか。それで、良くなったのか?」


「ええ。お陰様で。」


声だけではない。

ツキカゲは目も笑っていた。

しかし、瞳の奥の紺碧(こんぺき)の輝きだけは、笑ってはいなかった。


「立ち話も無粋ですし、お掛けになりませんか?」


ツキカゲが近くにある椅子を視線で示した。


「いや、結構だ。私は皆に挨拶を済ませたらお暇するつもりでな。私がいれば、皆も堅苦しかろう。」


「そんなこと、ございませんわ。」


紺碧の輝きが一層深くなったのが見てとれた。


「それでだ。ここにおるマルハチは私の執事なのだが、」


「ええ、存じております。」


「少し所用があるゆえ、連れていく。」


「まぁ、それは困りましたわね。見ての通り妾には自前の執事がおりませんことよ。」


「案ずるな。代わりは用意する。」


「お言葉ですが、魔王様。このマルハチは貴女様が執事室の長と聞き及んでおります。まさか先に充てがったこの者より下の者を着けると、そう仰るのですか?」


それは侮辱である。

ツキカゲの言葉にはその意図を隠すつもりなど毛頭なかった。


「マルハチは確かに執事室室長だ。だが、私の部下は全てがこの者と同等の者ばかり。形骸的に室長の役を任せているに過ぎん。」


「そうでしたか。ですが、やはり困りましたわ。妾、この後、このマルハチにダンスの相手をしてもらう約束をしてしまいましたの。」


ダンスの相手がいなくなる。

この舞踏会において、独り身で過ごさざるを得なくなる。

最大級の屈辱。

そう訴えているのだ。


「貴公であれば引く手あまたであろう。」


しかし、プージャはにべもなく言い返した。


「それとも、魔王様。貴女様、このマルハチとダンスを踊るおつもりですの?」


「悪いか?」


「であれば、貴女様の横に控える、その立派なご仁はなんでございましょう?」


ツキカゲがヴリトラを視線で指し示した。

最悪のパターンを想定し、ヴリトラはプージャの警護として帯同していた。

ヴリトラはパートナーではなく、本当のパートナーはマルハチである。

そう言ってしまえば事は済んだのだ。

だがしかし、ヴリトラを目の前にしてそれを言えない優しさをプージャは持っている。

その優しさと、そしてこの場にヴリトラを帯同させてしまったことが、仇となった。


「貴女様には既にそのような素敵なお相手がおわしますのに、それでも尚、妾からパートナーを奪うと、そう仰るのでしょうか?」


「……そういうことではない。」


プージャは言葉を詰まらせた。


「ならば、ダンスが終わりましたらマルハチはお返し致します。それで宜しいですね?」


形勢は一気にツキカゲに傾いてしまった。

プージャにはこれ以上抗う手立ては残されてはいなかった。

が、そこで口を開いたのはヴリトラだった。


「恐れながら申し上げます。」


「つつしみ、」

「よかろう。」


ツキカゲの言葉を遮るようにプージャは咄嗟に声を出した。


「私めはただの護衛にございます。魔王様のパートナーなど、滅相もございません。」


ヴリトラの一言が窮地を救った。


「なるほど。」


ツキカゲが扇子を閉じた。

紺碧の輝きが、一際大きくなるのが分かった。


「では、マルハチは連れていく。」


プージャがマルハチに目線を送った、その時だった。


「魔王様。少し見ない間に、貴女(あなた)、」


ツキカゲの声が大きく張り上がった。


「女になりましたわね。」


部屋中の全ての魔族に聞こえるように、ツキカゲは大声でそれを言ったのだ。

部屋中の魔族達からざわめきが聞こえてきた。



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