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第44話 プージャの決意

 舞踏会の行われる多目的ホールに到着した途端のことだった。

馬車を操るヴリトラが馬を停め、プージャとミュシャがキャリッジから飛び出す間もなく、突如として現れた兵達によって馬車はすぐに取り囲まれた。

それはエッダの配下である、マリアベルの兵だった。

身を隠されるように囲まれたまま連行されたのは、プージャの為に用意された魔王の控え室だった。


「マルハチは?マルハチに会わせてくれ。」


部屋の中央に設置された豪奢なテーブルセットに座らされたプージャが口を開いた。

プージャが要求を述べた相手は、目の前に佇んだヴリトラとミュシャ。

クロエ、ジョハンナ、そして、執事室次席を務めるアイゼンという名の細身なトロル族の中年男性だった。


「室長は既にツキカゲの接待の任に就いております。お会わせするわけには参りません。」


短めの黒髪をオールバックに固めたアイゼンは、銀縁眼鏡の奥に並んだ細い双眸を光らせながら、太く低い声で答えた。


「マルハチに危険が迫っておるのだ。きっとツキカゲに何かされるに違いない。すぐに会わなければならん。」


プージャは必死の形相で訴えた。

予知した未来は必ず起こる未来。

しかもいつ起こるのか分からない未来。

阻止しなければならない。

その為には、自分がマルハチの近くにいなくてはならないのだ。


「正確に申し上げます。お会わせ出来ないのは、室長にではございません。魔王殿下をお会わせするわけに参らないのは、ツキカゲに、でございます。」


アイゼンの冷静な答えに、プージャは憤りを隠さなかった。


「私が会いたいのはツキカゲなどではない!マルハチじゃ!」


しかし、アイゼンはそれでも冷静な態度を崩さずに答えた。


「申し上げた通り、室長は既にツキカゲの接待に入っております。室長にお会いになるには、ツキカゲともお会いになるということと同義。お会わせは出来ません。」


「じゃから、ツキカゲなどはどうでもよいのだと言っておろうが!」


その余りにも冷静な物言いに、プージャは遂に怒りを露にすると、掌でテーブルを叩き付けた。

感情に任せたせいで無意識に黒の衝動が発動したのか、分厚いマホガニー材のテーブルが真っ二つに叩き割れた。

そんなプージャの激昂ぶりに、見兼ねたクロエが助け船を出した。


「ひめでんか、おちついてきいてほしい。」


ソファから身を乗り出したプージャの隣に寄り添うように腰を降ろすと、その掌の上に白骨の掌をそっと重ねた。

プージャの手は、驚くほど震えていた。


「クロエよ、アイゼンに言ってくれ。何故そんな意地悪を言うのじゃ?」


感情が昂りすぎた。

自分でも自分の体が制御出来ていない。

プージャはわなわなと顎を鳴らしながら、震える声で訴えかけた。


「いじわるではない。みな、ひめでんかをしんぱいしておる。」


「心配?私の、何を、心配する、のだ?心配なの、は、マルハチ、だ。」


「いったい、なにをみたのだ?」


プージャの肩を抱き締めると、クロエは優しい声色で問い掛けてきた。

体温は感じられない。

だがしかし、その想いだけは感じ取れた。

そのクロエの想いで、プージャは少しだけ落ち着きを取り戻せた。

声の震えは止まらなかったが、プージャは自分が見たビジョンをゆっくりと皆に話して聞かせた。


「なるほど、な。」


プージャが話し終えると、クロエはさっきよりも強くプージャを抱き締めてきた。


「それは、たしかにふあんだ。」


背中をゆっくりと擦られた。

プージャは、急に目頭が熱くなってくるのを感じた。


「ひめでんか、れいせいにきいてほしい。」


プージャの肩を両手で掴み、体を離しながらクロエが言った。


「ツキカゲは、むほん(謀叛)をたくらんでいるかもしれない。」


「謀叛?」


「だから、マルハチはツキカゲをかんし(監視)している。」


プージャを挟んでクロエとは反対側にジョハンナが腰を降ろした。

そして、クロエの手と重なるプージャの手に同じように手を添えると、今度はジョハンナが言った。


「ツキカゲはプージャ様のお命を狙っているかも知れないのです。ですから、プージャ様をツキカゲとはお会わせ出来ません。そしてこれはマルハチさんの指示なのです。」


「マルハチの?」


「ええ。」


ジョハンナは小さく頷いた。


「しかし、だが、しかし。それでマルハチが危険な目に合うのなら、」


プージャはジョハンナへと向き直った。


「かもしれません。」


ジョハンナが言った。


「プージャ様もツキカゲがどのような者かはお分かりでしょう?あの者に魔王の座を明け渡すようなことがあれば、この魔界はどうなりましょう。苦しむは民です。」


「だから、だからマルハチは、ひとりで?」


「そう。それがマルハチのいし(意志)だ。まんいち(万一)のときには、じぶんがくいとめる(食い止める)と。」


「それに、」


クロエとジョハンナは、交互にプージャに投げ掛けていた。

まるで子供を諭すように。

ふたりはプージャを納得させなければならなかった。


「だれよりも、ひめでんかのために。」


そう。

マルハチの想いだ。

プージャを危険に晒したくはない。

それが本音なのだ。

絶対に口にはしないが、マルハチの意志はそれ以外の何物でもない。

クロエも、ジョハンナも、マルハチの意志を守らなければならない。

そして、マルハチの大切なプージャを守らなければならなかった。


だが、


「嫌だ。」


プージャは涙を拭いながら言った。


「私は、私は嫌だ。マルハチが、私の為に死ぬなんて、私は嫌だ。」


「プージャ様、お聞き分けを。氷煌の時もそう決断したではありませんか。」


「あの時は勝算があった。だけど今回は違う。今回は、放っておけば本当にマルハチが死んでしまう。私はそんなの、嫌だ!」


プージャは声を荒げた。


「ひめでんか、」


なだめようとするクロエの手をはね除け、プージャは声を張り上げた。


「嫌だ!絶対に嫌だ!マルハチを救う!民も救う!私はどちらも失わん!絶対に、嫌だ!」


プージャの感情のダムは、その言葉と共に遂に決壊の時を迎えた。

もはや抑えられない。

誰にもプージャは止められなかった。

例え、自分自身でも。

その意志が、この世のどんなものよりも堅いことは、その場にいた全員が瞬時に察していた。

プージャの怒鳴り声が止んだ後で、口を開ける者は誰ひとりとして残ってはいなかった。


長い沈黙が控え室を支配していた。


「かしこまりました。」


その沈黙を破ったのは、アイゼンだった。


「では、魔王殿下を室長の元へとお連れ致しましょう。」


最も折れないと思われた男が、最も始めに折れたのだ。

プージャの顔に希望の光が差し込んだのは言うに及ばなかった。


「その代わり、」


アイゼンは指先で眼鏡のツルを押し上げた。

プージャの心に再び暗雲が立ち込めた。

その代わり?

一体何の条件を出すつもりなのだろうか。

既にマルハチのことしか思考にないプージャには、想像すら出来なかった。


「ツキガケと対面するに当たって、守って頂くルールがございます。」 


「ルール?」


プージャは眉を潜めた。

想像すら出来なかったが、だとしても、そんなことを言われるとはつゆとも思っていなかったのだ。

言われるとしてもせいぜい、注意深くとか、油断するなとか、その程度だと思っていたのだ。


「はい。このルールだけは絶対にお守り下さい。宜しいですね?」


眼鏡の奥が威圧的なまでの冷たい輝きを放っていた。


「分かった。」


プージャはゆっくりと頷いた。


「では、ご説明致します。まず、このルールは魔王殿下を、そして室長を、そして領民全てを守るものだと理解して下さい。」


「分かった。」


「ルールは3つです。

その1、絶対に怒らない。 

その2、絶対に謝らない。

その3、絶対に選ばない。

この3つを守って頂けなければ、何が起こるかは分かりません。そうご理解して下さいませ。」


「分かった。」


「そしてこのルールは、」


アイゼンが眼鏡を押し上げた。


「室長から魔王殿下へのご伝言にございます。」


「……分かった。」


プージャは、ゆっくりと髪をほどいた。





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