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第41話 初夏のグリーンミントチョコタルトと塩昆布

 普段は閑静なただの公園だ。

少しばかり体を動かしたりするには丁度良い整地された芝生と、子供向けの遊具がある広場。

園内を巡回するように張り巡らされた環状の歩道の脇には四季折々に表情を変える林。

領民達の憩いの場だ。

 しかし今日は違った。

園内の至るところに有名な菓子店が露店を開き、領民達を待ち受けている。

広い園内を散策しつつ、時折現れる菓子店で逸品を買い、初夏の陽射しに煌めく若葉を楽しみながら舌鼓を打つ。

お菓子好きのふたりには、これ以上は無い程の至高の空間だった。


「よーし。では、いよいよ入るぞ。ヴリトラよ、入場券を買って参れ。」


小さなショルダーバッグの中身をまさぐるプージャだったが、その手をヴリトラが制した。


「魔王様。ここはこのヴリトラめにお任せあれ。」


「む?それはいかん。部下に金を出させるなど、君主の名折れぞ。」


「いいや。馬車すら乗せて頂いてますんでね。レディにばかり出させる方が男児としての名折れですわ。」


「そ、そうか?」


「そうです。ここはこの男ヴリトラにお任せを。」


「うむ。ではお言葉に甘えるとするか。」


「少々お待ちを。」


颯爽とチケット小屋に向かうヴリトラの大きくて丸まった背を眺めながら、プージャは妙な満足感に満たされていた。

ここにマルハチがいないことに、少しの淋しさを感じてはいたが、それ以上にヴリトラの気持ちを嬉しく思う。

そんな自分に気が付いていた。


「お待たせ致しました。」


大きなオーク隊長が、不揃いな歯を覗かせて笑みを浮かべた。


「うむ。ご苦労であった。」


プージャはチケットを受け取ると、満足げな笑みで返した。

マルハチのことは確かに気になる。

だけど、それを承知で今日はここへ来た。

割り切るしかないのだ。

プージャは自分に言い聞かせながら、ヴリトラを従えて、スイーツフェスの門を潜った。



「まずはホムンクルス洋菓子店じゃな。」


案内図を覗き込み、目的地を見定める。

入り口から噴水広場を通り抜け、記念碑のある丘の麓に位置している。

ふたりは意気揚々と歩を進めた。

見事な堕天使の彫刻が施された噴水についてあれこれと話し、綺麗に整った芝生についても話し合う。

普段ならどうでもよいと思えることでも、今ならとても有意義な会話の種になる。

周囲には、自分達と同じように楽しげに歩くカップルが大勢見える。

自分達と同じように。

私もカップルに見えているのだろうか。

プージャは目を細め、晴れ渡った青空を仰ぎながら歩いていた。


「お、見えてきましたぜ。」


ヴリトラの言葉に、プージャは現実に引き戻された。


「む、もうか?」


「意外に近かったですな。それにしても、」


「すごい行列じゃな。」


ふたりの位置から、目指す露店はまだ遥か先だ。

しかし店構えよりも何よりも、その前に連なる人の列が、そこに件の名店があることを伝えていた。


「超が付くほどの有名店ですからな。」


「じゃな。よし!並ぼうぞ!」


「了解ですわ。」


 行列は軽く数十人と言ったところか。

先頭の店は豆粒ほどに小さく見える。

が、並び始めてみればなんてことはなく、列は次々と先へと進んでいく。


「テイクアウトだけだからですかね?随分とさくさく進みますわ。」


「じゃな。私はもう少し待つものだとばかり思っておったぞ。」


「魔王ともあろうお方が、待つのを普通と思ってるなんて、可笑しな話ですな。」


「そうか?マルハチからもいつも言われておるのだ。『自分だけが特別だと思ってはいけません!君主たるもの、庶民の気持ちも理解せねばならないのです!』とな。」


「ほほう。流石はマルハチ殿ですわ。良いことを言いなさる。」


「まぁ、私はあんまり意味は分かってはおらんのだがな。」


「いや、その教えは魔王様のお人柄に現れてますわ。実に良い教えです。」


「そうかの。マルハチでもたまには良いことは言うのかの。」


「ええ。とても良いことです。」


そうこうしているうちに、列はどんどんと前へと進む。

気が付けばふたりの番になっていた。


「おお、遂に順番が回ってきたぞ。さて、どれが新作なのか?」


「ええと、あっ!これですわ!初夏のグリーンミントチョコタルト!」


「おお!見るからに美味しそうじゃの!よし、これをふたつ、売って下さい!」


ターコイズブルーのクリームが乗った一口大のタルトが、ガラス製のショーケース状に改良された氷室の中にところ狭しと並べられていた。

売り子の少女がそれを包み紙に移し変えると、丁寧な動作で手渡してきた。

プージャもまた、丁寧な動作で代金のラミレス銅貨を支払うと、ヴリトラがタルトを受け取った。

それからふたりは広場の端に沿うように設置されたベンチへと移動すると、早速包み紙を広げた。


「美しいの。まるでこのままブローチにでも出来そうな色をしておるの。」


プージャは小さなタルトを目線の位置まで持ち上げると、顔をほころばせて喜んでいた。


(魔王様の方がよほど美しいですわ。)


思わず口から出かかった言葉を飲み下しながら、ヴリトラもタルトをつまみ上げた。


「さて、頂きますかいな。」


「うむ。頂きます。」


一口かじり、プージャは目を見開いた。

上唇と大きな前歯に感じるのは、固そうな見た目と裏腹にふんわりとしつつとても滑らかなミントクリームの感触。

そして下唇と小さな前歯が感じるのは、さっくりと焼けた表面の中に隠されたしっとりとした生地の感触。

噛むと、中心に詰められたねっとりとした濃厚なチョコクリームが姿を現す。

更に噛むと、クリームの中にコリコリとしたチョコチップが泳いでいる。

鼻を通るミントの爽やか香りと、舌の上でとろける生地とチョコクリームのハーモニー。

今だかつて食べたことのない、食感と味のアンサンブル。


「これは……」


プージャは言葉も出せず、ただ黙々と顎を動かし、口の中で舌を動かしているだけだった。


「何と言う、」


それはヴリトラも同じだったようだ。

目を瞑り、うっとりとした表情で、ただタルトを味わうだけだった。

ふたりは無言でタルトを堪能すると、ほとんど同時に味のオーケストラを飲み下した。


「ヴリトラや。」


「なんです?魔王様。」


「こんな、」


「こんな?」


「こんな美味しいタルトは初めてじゃ。」


プージャは涙ぐみながら、シンプルな感想を述べた。


「自分もですわ。」


ヴリトラも、小さな目を潤ませていた。


「なんと、なんという場所に来てしまったのだ!私達は!」


「きっと他にもこんな旨い作品がゴロゴロしてるに違いありませんわ!」


「そうじゃ!次、次の店に行こうぞ!」


「了解ですわ!これは俄然やる気が出てきましたな!」


「うむ!行くぞ、ヴリトラよ!遅れをとるでないぞ!」


「了解ですわ!!」


ふたりはベンチから飛び上がると、半ば駆け足で次の店を目指したのだった。


 予定通り、パティスリー・デスロードのティラミスを食し、その次はルージュ・ノワールのワッフル。

お次は有名店のひとつである、ダークレイのチーズケーキ。

その次はふたり共が初見だったコボルト堂のフルーツロールケーキ。

更にその次には、魔界きっての老舗洋菓子店ル・マールのチョコサンデー。

そしてその次は…………


「ううむ。だいぶお腹に溜まってきたの。今は何店舗めだったか?」


「さっきのカステラ屋でちょうど半分ですぜ。」


「なんと!まだ半分か!」


「そろそろしんどくなりましたかい?」


「むぅ。いや、しんどくはないのだがな。何と言うか、舌がな。」


「ああ、甘ったるくなったんですかね?」


「そうじゃな。段々と慣れてきたのか、感動が薄くなってきた気がするぞ。」


 パラソル付きのテーブル席でカステラを完食し、一息ついていた時のことだった。

プージャの口から弱音が飛び出した。


「魔王様はこういう食べ歩きは初めてでしたね?」


「そうだ。マルハチがよう許してはくれんでな。」


「このまま食べ続けると、吐き気をもよおしますんで、ここらで口直しといきましょうや。」


「なに?私は甘味(かんみ)で気持ち悪くなったりはせんぞ。」


「いや、しますって。あんまり糖質を摂りすぎると、体が摂取停止の信号を出すんですわ。」


「ほう、そうなのか。お主、詳しいな。」


「休みの度に食べ歩きしてますんでね。」


言いながら例の小さなポシェットから取り出したのは、小さな包み紙。

テーブルの上にそれを広げると、中身はなにやら白い粒をまぶしたような、黒く縮れた正体不明の物質の千切りだった。


「な、なんじゃ?これは。」


「塩昆布ですわ。」


「こ、昆布!?私はてっきり、木屑の佃煮かとばかり。」


「それは食い物ではありませんわ。これを舐めれば一発で気分転換になるんで、宜しければ。」


「うむ、では頂こう。あっ、そうだ。」


昆布に伸ばした手を止めると、思い出したかのように手を叩いた。


「お茶を持ってきておったんだったわ。忘れてた。」


ショルダーバッグと逆方向にかけた水筒を指差した。

実はヴリトラはずっと思っていた。

体の前でバッテンを結ぶようにバッグと水筒を引っ掛ける様は、まるで子供のよう。

大の大人であり、大の魔王であるプージャがそれをしているのは、すこぶる可愛いらしかった。


「はい、どうぞ。」


水筒を下げた革紐にはふたつのコップがくくりつけられていた。

それを取り外し丁寧にハンカチで拭うと、プージャは順番にお茶を注いでいった。


「ありがたき幸せ。」


ふたりはお茶をすすり、塩昆布をひと切れずつ舌の上に運んだ。

塩っ辛くも、味わい深いコクが口中に広がっていく。


「おお、本当だ。なんだかスッキリした気分になったぞ。」


効果はてきめんだった。

口腔内にまとわりついていた甘ったるさが一気に消え失せた。


「そうでしょう?食べ歩きの必需品ですわ。」


「なぁ、ヴリトラよ。」


「なんです?」


「お主、本当に休みの日はいつも食べ歩きしておるのか?」


「ええ、いつもってのは言い過ぎでしたが、よくしてますぜ。」


「そうか。では、次に行く時は教えてくれ。私もついて行きたい。」


当の本人は、恐らく言葉のままの意味で言ったにすぎないのかも知れない。

しかし、その言葉を耳にしたヴリトラは、腹の奥の方がキュンと縮こまる思いだった。


「よし!では仕切り直しじゃな!次へ向かおうぞ!」


自分が何を言ったのか、全く自覚がないらしい。

胸を高鳴らせるヴリトラを余所に、プージャはいそいそとコップを片付けると、再び元気に立ち上がった。


「え?あ、はい。」


天にも昇る夢見心地のヴリトラだったが、なんとか塩昆布を回収すると、君主を追うようにして席を立った。


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