第40話 乗り合い馬車
―――イビル・モンストルデー当日。
「よく見ておくんだぞ、ヴリトラよ。」
漆黒に染め抜かれた革製のバッスルドレスに身を包み、プージャは得意げな笑顔を浮かべると、チケット売り場へと足を向けた。
「大人2枚、売って下さい。」
あくまでも売ってもらうスタンスは崩さない。
どこで覚えたのか、その辺は好感が持てる買い方だが、とりあえずは無事に切符を手にすると魔王様は小走りに戻って来た。
「これで乗り合い馬車に乗らせてもらえるのだ。すごいであろう。」
誰でも買える切符をさも凄いことのように説明しながら、大きくて恰幅の良い体をツイードのセットアップジャケットで珍しくお洒落に固めたヴリトラに手渡した。
「流石は魔王様。こんなこと、並大抵に出来ることじゃないですわ。」
根拠も何もない適当なおべっかを口にしながら、ヴリトラは魔王から切符を賜った。
満足そうに胸を張り、鼻から息を吹き出したプージャ。
ヴリトラもまた、興奮したように大きな鼻を鳴らしていた。
どうやら適当ではなかったらしい。
年に一度の祭典に、領内の全ての町が活気づいていた。
プージャの住まうこの町も、通りと言う通りの全てにはバルーンや横断幕の装飾が張り巡らされ、様々な出店がところ狭しと並んでいる。
思い思いの仮装やお洒落を楽しむ人々で溢れかえり、誰しもがこの祝日に心を踊らせているのが見てとれる。
そんな町の雰囲気を心の底から満喫するべく、ふたりは馬車へと飛び乗った。
「これ、見て下さいや。」
座席に腰を降ろすと、ヴリトラはでっ腹の下に取り付けた体とは不釣り合いな小さなポシェットの中から、丁寧に折り畳まれた紙を取り出した。
太く、無駄毛まみれの指でそそくさと広げると、それは何かの見取り図のようだった。
「ほう!これか!」
小声ながら、語気の強い口調。
プージャは興奮を隠せなかった。
「へい。領内の名店、30店舗が一堂に会して自慢の逸品を競い合う、」
「スイーツフェスじゃな!」
ヴリトラの腕にしがみつきながら、プージャは身を乗り出してスイーツフェスの案内図を食い入るように見つめていた。
「見て下さいや。ほら、ここ。かの有名なホムンクルス洋菓子店ですわ。この日の為に、新作を用意してると聞きますぜ。」
「なんと!それは楽しみだな!む?こ、これは!」
「ほう、ご存知ですかい?知る者ぞ知る隠れた名店、パティスリー・デスロードですわ。」
「うむ!うむ!この店のティラミスは絶品と聞くぞ!まだ私は食べたことがないのだ!」
「是非とも味わいましょうや。」
「おお!是非とも!……あっ!ここ、ここじゃ!」
「ここ、ですかい?」
「知らぬか?ルージュ・ノワール!ケーキ屋なんだが、ワッフルが最高に旨いのだ!」
「そりゃ存じませんでしたわ。流石ですな。」
「ならばここのワッフルも食べなくてはな!」
「楽しみですわ。」
ふたりの会話はまるでパンパンに膨らんだ毬の如く、次から次へと弾んでいく。
プージャ自身、ここまで他人との会話を楽しいと思ったことはほとんど無かった。
クロエとの絵本談義は楽しいし、マルハチとのとりとめのない会話だって楽しい。
だけど、同じ趣味を分かち合い、それをこうやって共感を持って受け入れてくれる相手との会話は、普段のそれとはまた別の、何と言うか、特別を感じられるものだと思っていた。
「うむ!では、30店舗、全部の目玉を食べ尽くすぞ!用意はよいか?」
「望むところですわ。魔王様こそ、胃袋の用意は宜しいのですかい?」
「はっはっは!心配には及ばぬ!私の腹は奈落の穴のように底無しじゃ!」
「実に頼もしいお言葉で。」
「うむ!」
光陰矢の如し。
楽しい時間は過ぎ去り、ふたりを乗せた馬車は目的地に近付いてきた。
以前教わった通り、プージャが降車ベルを鳴らそうとした時だった。
突如として馬車が止まった。
急な停車により車体が大きく揺れ、腰を上げていたプージャはバランスを崩した。
「おっと!」
そんなプージャが転ばないよう、ヴリトラがその体を引き寄せた。
「大丈夫ですかい?」
「す、すまぬ。」
ヴリトラの大きな膝の上にちょこんと腰を降ろしたプージャが声を上げた。
「一体なんだ?」
窓の外へ視線を移すと、そこには大きな黒い木の幹のような物が見えた。
木の幹が動いた。
それで察しがついた。
「馬、か?」
「そのようで。」
プージャの肩を掴むか掴まないかの微妙な距離感に掌を浮かせたヴリトラが答えた。
「この大きさ、バーノン種ですかね?」
こんな町中にバーノン種が?
訝しんでいるのか、ヴリトラの声は沈んでいた。
普通に考えて、バーノン種のような凶暴な馬が町中を通るわけがない。
何が起きている?
外の様子を覗こうと身を乗り出したその時、御者台に繋がる小窓が開いた。
「すいません、お客様方。ちょっくら大きな馬車とすれ違うのに、道を開けておりますんで。すぐ動きますから今しばらくお待ち下さいね。」
確かに窓の外には大きな馬車が見えた。
それも、4頭ものバーノン種にキャリッジを引かせた、豪華絢爛な装飾を施した特大の馬車が。
「なんだ。そうだったんか。」
説明を聞いて安心したのか、プージャはヴリトラの膝から滑り降りると、元いた自分の席に腰を落ち着けた。
君主の柔らかな余韻を膝に感じながら、ヴリトラが呟いた。
「ご来賓でしょうかいな?」
しかしプージャは答えずに首を振った。
「気にするな。来賓の相手は執事室の仕事じゃ。私達は楽しむだけよ。」
「了解ですわ。」
しばらくすると再び馬車は動き出した。
目的のスイーツフェスが行われる大公園は目と鼻の先だ。
すぐに到着すると、ふたりは勇んで馬車を飛び降りていった。
「なぁ、今の、領主様だったよな?」
「ええ。前も見たわね。」
「あれ、彼氏かな?」
「意外よね。もっとイケメンと付き合うものだとばっかり。」
「しかし、あんな美人なのに彼氏がああだと、少し安心するな。」
「確かに。でも何度見ても歳いってるわね。」




