第35話 その女、危険につき
街道を進むのは、巨大な馬車。
4頭の巨大な重種馬に引かせたキャリッジには、黄金や白銀の装飾が散りばめられ、まるで大きな宝石箱かと見まごうほどだ。
豪奢なのはキャリッジだけではない。
それを引く馬は、手懐けることは困難を極める、強さと凶暴さを兼ね備えた魔界でも最高品種と言われるバーノン種。
1頭捕獲するだけでも、食物連鎖の頂上生物を討伐するのと同等の労力を必要とする上に、馬車を引かせるまでに手懐けるなど、最上位魔血種族のソーサラー族の中でも選りすぐられた魔術師でもなければ不可能。
そして、馬車を取り囲みながら進むのは、黄金の鎧に身を包んだ兵の小隊。
この3つの事実から読み取れるのは、この馬車の所有者が、よほどの権力者であるということ。
否、よほどの権力を示したくて仕方がない者。
ということだった。
「あぁ、ダルい。」
キャリッジ内の座席に浅く腰掛け、だらしなく体を座席に預けた女性が、言葉通りの倦怠感に包まれた口調で声を上げた。
「ツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオ様。」
その女性に対し、御者台の老夫が小窓から声を掛けた。
「なんだ?」
白い羽根扇子で口許を隠してはいるが、明らかにあくびを噛み殺しているだろう、歯切れの悪い返事を返した。
「領民が道を塞いでおります。」
「知るか。」
にべもない答えだった。
「このままでは通行に支障が。」
それでも食い下がる御者に、ツワンダはイラ立ちを隠すことはしなかった。
勢いよく羽根扇子を閉じると、強い語気で言い放った。
「知るか。貴様で処理しろ。バカめ。」
「かしこまりました。」
御者はゆっくりと小窓を閉めた。
「あぁ、ダルい。」
それを見届けると、ツワンダは再び扇子を開き、そこから立ち上る香の匂いに浸った。
どのくらい経っただろうか。
何も考えず、ツワンダが手遊びを始めた頃だった。
再び御者台の小窓が開いた。
「申し訳ございません。ツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオ様。」
顔を覗かせたのはまたしても老夫だった。
赤黒い肌に深く刻まれた多数の皺が、普段より更に深くなっている。
どうやら顔をしかめているらしい。
あまりの皺の深さにどこが目でどこが皺なのかも分からず、その灰色の瞳は今にも埋もれてしまいそうだ。
「なんだ?クグマーズ。しつこいぞ。」
「申し訳ございません。領民がどうしてもツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオ様にお目通りをと聞かず。」
「貴様は本当にバカか。何故、朕がそのようなことをせねばならぬのだ。」
「しかし、このままでは先へは、」
クグマーズと呼ばれた御者が言いかけている最中だった。
小窓から羽根扇子が飛び出してくると、その赤黒い肌を強かに小突いた。
「黙れ。それを何とかするのが貴様ら下僕の仕事であろう。いちいち朕の手を煩わせるな。」
「し、しかし、」
「くどい!」
ツワンダが声を荒げたと同時だった。
馬の嘶きが響き渡り、キャリッジが大きく揺れ動いた。
咄嗟に車内の装飾物から飛び出た突起に捕まるツワンダだったが、それでも体高5メートルの巨大馬に揺さぶられた衝撃は計り知れず。
体は大きく跳びはね、天井や壁に勢いよく叩きつけられた。
それが2、3度続き、ようやく馬は落ち着きを取り戻した。
「ツ、ツワンダ・キヌ・カッ、」
クグマーズも何とか馬車にしがみつき難を逃れたようだ。
慌てた様子で小窓を覗き込んだが、長ったらしい名前を言いきる前に絶句した。
そこに主の姿は無かった。
「ツワンダ様!?ツワンダ様はいずこに!?」
狭い小窓から首を突っ込むほどの勢いで中を見回すクグマーズの背後から声がした。
「ここだ。」
それは、ツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオの声だった。
強い日差しの下、その女性は羽根扇子を揺らめかせながら地上に立っていた。
背が高く凹凸の少ない細身の体を、ワイン色のプリンセスラインドレスで覆っている。
銀髪、いや、完全なる白い髪は腰まで伸ばしてあり、それはまるで清流が落ちる滝の如き美しさで、光を反射する。
肌はソーサラー族特有の赤みを持っているが、クグマーズと違い彼女は澄んだ薄紅色に染まっていた。
平面的な造形だが目鼻立ちはくっきりとしており、何よりも、少し大きめではあるが形の良い、熟れた果実のような赤い唇が印象的だった。
「クグマーズよ。貴様、何をしておる?」
その口調から感じられるのは、怒りのみだった。
「ツ、ツワンダ・キ、」
「長い!有事の際は縮めろと何度言えば分かるのだ!バカが!」
「も、申し訳ございません!ワンダ様!」
突然の怒号に、大気が揺れる程の威圧感を絡み付かせ、ツワンダは羽根扇子を掌に叩き付けた。
目の前に広がるのは、広大な畑の中を突っ切って地平線の先まで延び続ける、むき出しの街道。
その街道は、数百にも及ぶ農民達に占拠されていた。
全員が全員跪き、地に頭を擦り付けた農民達によって、だ。
血の気の多い暴れ馬達だ。
どうやらこの農民達を目の前にして、興奮を抑えきれずにさお立ちになったのだろう。
ツワンダは何も言うこともなく、馬の脇を通り抜けると、農民の前へとにじみ寄って行った。
先頭で平伏す年老いたゴブリン族の男の前まで進み出ると、ゆったりとその歩を止めた。
位置関係から見るに、この男が集団の長に違いないだろう。
ツワンダが口を開いた。
「何をしておる?」
ゴブリンの男は答えなかった。
ただただ、額を地面に押し付けるだけだった。
「何をしているのか聞いておる。答えよ。」
ツワンダの言葉に、長はようやく口を開いた。
「私めはこの辺り一帯の村を代表しております、」
「貴様の素性などどうでもよい。何をしているのか聞いておるのだ。」
「申し訳ございません!私共、本日は、領主様に陳情したい義があり、馳せ参じました!」
「ほう?」
ツワンダの目が細くなった。
「よかろう、申せ。ただし、簡潔にだ。」
「ありがたき幸せ!この度の長き冬の影響で、私共の耕す畑はご覧の有り様です。種を撒く間もなく、麦秋を迎えることも叶いませんでした。」
確かに街道を挟む畑は黒々とした土のみが広がっている。
本来であれば、黄金色に輝く麦畑で埋め尽くされているべき季節のはずだ。
「蓄えも無く、日々、命を繋ぐパンすらも焼くことも出来ず、」
「簡潔にと申したであろう。」
「申し訳ございません!」
「要点だけを言うがよい。」
「その、税を、税として納める麦を、お待ち頂くことは叶いませぬでしょうか。」
その言葉を聞き届けると、ツワンダは羽根扇子を翻した。
「パンが無いのならば、ケーキを食えばよい。」
それだけを言い残すと、ツワンダは踵を返して行った。
その言葉に群衆は騒然となった。
当たり前である。
どこの世界にも同じような、考えの足らない者はいる。
ソーサラー族という魔界で最も高貴な種族のひとつである、この女領主もそのひとりであった。
「そんなもん、あるわけねぇだろ。」
群衆のずっとずっと奥の方から、誰かの声が聞こえた。
誰かは分からない。
数百ものゴブリン族達がひしめいているのだ。
恐らく、発言した者もそう思ったから言ったに違いない。
この中からひとりを探し出すのは不可能だ。
「今、何か申したか?」
ツワンダは足を止めると、群衆へと向き直った。
「ケーキが無いのならば、」
その表情からは、何も感じ取れなかった。
何の感情も含まれてはいない。
ただ真顔で、口だけを動かしていた。
「死ねばよい。」
言った刹那だった。
馬車に繋がれていた4頭のバーノン種が一斉に解き放たれた。
凄まじい地響きと土煙が、拓けた大地を埋め尽くす。
群衆が蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとしたが、間に合わなかった。
巨体からは想像もつかない壮絶なスピードで街道を駆けると、立ち上がろうとする農民達の中に突っ込んで行った。
大樹のように太い足先に生えた蹄が子供を抱えた母親を踏み潰した。
またもう1頭は、恋人を守ろうと立ちはだかった若者の頭を蹴り飛ばした。
ただ暴れているだけではなかった。
4頭のバーノン種は、明らかに農民達を殺そうと体を動かしていた。
畑に逃げ込んだ子供達を追い、上半身を噛み砕き、逃げ遅れた老婆を磨り潰し、誰ひとりして逃げることも出来ず、ひとり、またひとりと魔獣の餌食になっていった。
「あははははは!あははははは!」
それを眺めながら、ツワンダは笑っていた。
扇子を小さく振りながら、まるで喜劇でも観ているかのように、笑っていた。
「ワンダ様!」
クグマーズが駆け寄ってきた。
「これほどの数の領民が死ねば、取れる税が大層に少なくなりますぞ!今すぐにお止め下さいませ!」
「クグマーズや。」
血相を変えて抗議の声を上げた老夫に向かい、ツワンダがにこやかな笑顔を作ってみせた。
「貴様の責任であろう。」
くぐもった音と共にクグマーズの頭部が膨れ上がり、薄っぺらな紙風船かのように破裂した。
背後から響く農民達の悲鳴を余所に、ツワンダはゆったりとした歩調で馬車に戻ると、取り巻きの兵のひとりを指1本でこまねいた。
直ぐ様に馬を降りると、呼ばれた兵がツワンダの前に跪いた。
「貴様、名は?」
「メンサーにございます。」
「今から貴様が朕の執事だ。」
「はっ!」
その場でフルフェイスの兜を取り、鎧を脱ぐと、メンサーと名乗った男が若者だったことが分かった。
「片付いたら馬を戻して馬車を引かせろ。」
「はっ!」
メンサーの返事を聞くこともせずツワンダはキャリッジの中へと戻ると、再び座席にどっかりと腰を落ち着けた。
「あぁ、ダルい。」
外では未だに領民達の悲鳴が聞こえてくる。
しかし、そんなことにはつゆとも興味を示す様子もなく、ツワンダは窓越しに裸の麦畑を眺めていた。
喧騒から抜け出したとみられる若い女が、畑の中を駆けて行くのが見えた。
長い黒髪を登頂部で結った女だった。
「何故、朕がマリアベルの舞踏会などに赴かねばならぬのだ。胸くその悪い。」
畑の上を走る女の頭が、花火のように破裂した。




