表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/164

第35話 その女、危険につき

 街道を進むのは、巨大な馬車。

4頭の巨大な重種馬に引かせたキャリッジには、黄金や白銀の装飾が散りばめられ、まるで大きな宝石箱かと見まごうほどだ。

豪奢なのはキャリッジだけではない。

それを引く馬は、手懐けることは困難を極める、強さと凶暴さを兼ね備えた魔界でも最高品種と言われるバーノン種。

1頭捕獲するだけでも、食物連鎖の頂上生物を討伐するのと同等の労力を必要とする上に、馬車を引かせるまでに手懐けるなど、最上位魔血種族のソーサラー族の中でも選りすぐられた魔術師でもなければ不可能。

そして、馬車を取り囲みながら進むのは、黄金の鎧に身を包んだ兵の小隊。

 この3つの事実から読み取れるのは、この馬車の所有者が、よほどの権力者であるということ。

 否、よほどの権力を示したくて仕方がない者。

ということだった。





「あぁ、ダルい。」


 キャリッジ内の座席に浅く腰掛け、だらしなく体を座席に預けた女性が、言葉通りの倦怠感に包まれた口調で声を上げた。


「ツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオ様。」


その女性に対し、御者台の老夫が小窓から声を掛けた。


「なんだ?」


白い羽根扇子で口許を隠してはいるが、明らかにあくびを噛み殺しているだろう、歯切れの悪い返事を返した。


「領民が道を塞いでおります。」


「知るか。」


にべもない答えだった。


「このままでは通行に支障が。」


それでも食い下がる御者に、ツワンダはイラ立ちを隠すことはしなかった。

勢いよく羽根扇子を閉じると、強い語気で言い放った。


「知るか。貴様で処理しろ。バカめ。」


「かしこまりました。」


御者はゆっくりと小窓を閉めた。


「あぁ、ダルい。」


それを見届けると、ツワンダは再び扇子を開き、そこから立ち上る香の匂いに浸った。



 どのくらい経っただろうか。

何も考えず、ツワンダが手遊びを始めた頃だった。

再び御者台の小窓が開いた。


「申し訳ございません。ツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオ様。」


顔を覗かせたのはまたしても老夫だった。

赤黒い肌に深く刻まれた多数の皺が、普段より更に深くなっている。

どうやら顔をしかめているらしい。

あまりの皺の深さにどこが目でどこが皺なのかも分からず、その灰色の瞳は今にも埋もれてしまいそうだ。


「なんだ?クグマーズ。しつこいぞ。」


「申し訳ございません。領民がどうしてもツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオ様にお目通りをと聞かず。」


「貴様は本当にバカか。何故、(ちん)がそのようなことをせねばならぬのだ。」


「しかし、このままでは先へは、」


クグマーズと呼ばれた御者が言いかけている最中だった。

小窓から羽根扇子が飛び出してくると、その赤黒い肌を強かに小突いた。


「黙れ。それを何とかするのが貴様ら下僕の仕事であろう。いちいち朕の手を煩わせるな。」


「し、しかし、」


「くどい!」


ツワンダが声を荒げたと同時だった。

馬の嘶き(いななき)が響き渡り、キャリッジが大きく揺れ動いた。

咄嗟に車内の装飾物から飛び出た突起に捕まるツワンダだったが、それでも体高5メートルの巨大馬に揺さぶられた衝撃は計り知れず。

体は大きく跳びはね、天井や壁に勢いよく叩きつけられた。

それが2、3度続き、ようやく馬は落ち着きを取り戻した。


「ツ、ツワンダ・キヌ・カッ、」


 クグマーズも何とか馬車にしがみつき難を逃れたようだ。

慌てた様子で小窓を覗き込んだが、長ったらしい名前を言いきる前に絶句した。

そこに主の姿は無かった。


「ツワンダ様!?ツワンダ様はいずこに!?」


狭い小窓から首を突っ込むほどの勢いで中を見回すクグマーズの背後から声がした。


「ここだ。」


それは、ツワンダ・キヌ・カッサーラ・ゲシオの声だった。


 強い日差しの下、その女性は羽根扇子を揺らめかせながら地上に立っていた。

背が高く凹凸の少ない細身の体を、ワイン色のプリンセスラインドレスで覆っている。

銀髪、いや、完全なる白い髪は腰まで伸ばしてあり、それはまるで清流が落ちる滝の如き美しさで、光を反射する。

肌はソーサラー族特有の赤みを持っているが、クグマーズと違い彼女は澄んだ薄紅色に染まっていた。

平面的な造形だが目鼻立ちはくっきりとしており、何よりも、少し大きめではあるが形の良い、熟れた果実のような赤い唇が印象的だった。


「クグマーズよ。貴様、何をしておる?」


その口調から感じられるのは、怒りのみだった。


「ツ、ツワンダ・キ、」


「長い!有事の際は縮めろと何度言えば分かるのだ!バカが!」


「も、申し訳ございません!ワンダ様!」


突然の怒号に、大気が揺れる程の威圧感を絡み付かせ、ツワンダは羽根扇子を掌に叩き付けた。


 目の前に広がるのは、広大な畑の中を突っ切って地平線の先まで延び続ける、むき出しの街道。

その街道は、数百にも及ぶ農民達に占拠されていた。

全員が全員跪き(ひざまずき)、地に頭を擦り付けた農民達によって、だ。

血の気の多い暴れ馬達だ。

どうやらこの農民達を目の前にして、興奮を抑えきれずにさお立ちになったのだろう。


 ツワンダは何も言うこともなく、馬の脇を通り抜けると、農民の前へとにじみ寄って行った。


 先頭で平伏す年老いたゴブリン族の男の前まで進み出ると、ゆったりとその歩を止めた。

位置関係から見るに、この男が集団の長に違いないだろう。

ツワンダが口を開いた。


「何をしておる?」


ゴブリンの男は答えなかった。

ただただ、額を地面に押し付けるだけだった。


「何をしているのか聞いておる。答えよ。」


ツワンダの言葉に、長はようやく口を開いた。


「私めはこの辺り一帯の村を代表しております、」


「貴様の素性などどうでもよい。何をしているのか聞いておるのだ。」


「申し訳ございません!私共、本日は、領主様に陳情(ちんじょう)したい義があり、馳せ参じました!」


「ほう?」


ツワンダの目が細くなった。


「よかろう、申せ。ただし、簡潔にだ。」


「ありがたき幸せ!この度の長き冬の影響で、私共の耕す畑はご覧の有り様です。種を撒く間もなく、麦秋(ばくしゅう)を迎えることも叶いませんでした。」


確かに街道を挟む畑は黒々とした土のみが広がっている。

本来であれば、黄金色(こがねいろ)に輝く麦畑で埋め尽くされているべき季節のはずだ。


「蓄えも無く、日々、命を繋ぐパンすらも焼くことも出来ず、」


「簡潔にと申したであろう。」


「申し訳ございません!」


「要点だけを言うがよい。」


「その、税を、税として納める麦を、お待ち頂くことは叶いませぬでしょうか。」


その言葉を聞き届けると、ツワンダは羽根扇子を翻した。


「パンが無いのならば、ケーキを食えばよい。」


それだけを言い残すと、ツワンダは(きびす)を返して行った。


 その言葉に群衆は騒然となった。

当たり前である。

どこの世界にも同じような、考えの足らない者はいる。

ソーサラー族という魔界で最も高貴な種族のひとつである、この女領主もそのひとりであった。


「そんなもん、あるわけねぇだろ。」


群衆のずっとずっと奥の方から、誰かの声が聞こえた。

誰かは分からない。

数百ものゴブリン族達がひしめいているのだ。

恐らく、発言した者もそう思ったから言ったに違いない。

この中からひとりを探し出すのは不可能だ。


「今、何か申したか?」


ツワンダは足を止めると、群衆へと向き直った。


「ケーキが無いのならば、」


その表情からは、何も感じ取れなかった。

何の感情も含まれてはいない。

ただ真顔で、口だけを動かしていた。


「死ねばよい。」


言った刹那だった。


 馬車に繋がれていた4頭のバーノン種が一斉に解き放たれた。

凄まじい地響きと土煙が、拓けた大地を埋め尽くす。

群衆が蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとしたが、間に合わなかった。

巨体からは想像もつかない壮絶なスピードで街道を駆けると、立ち上がろうとする農民達の中に突っ込んで行った。

大樹のように太い足先に生えた(ひづめ)が子供を抱えた母親を踏み潰した。

またもう1頭は、恋人を守ろうと立ちはだかった若者の頭を蹴り飛ばした。

ただ暴れているだけではなかった。

4頭のバーノン種は、明らかに農民達を殺そうと体を動かしていた。

畑に逃げ込んだ子供達を追い、上半身を噛み砕き、逃げ遅れた老婆を()り潰し、誰ひとりして逃げることも出来ず、ひとり、またひとりと魔獣の餌食になっていった。


「あははははは!あははははは!」


それを眺めながら、ツワンダは笑っていた。

扇子を小さく振りながら、まるで喜劇でも観ているかのように、笑っていた。


「ワンダ様!」


クグマーズが駆け寄ってきた。


「これほどの数の領民が死ねば、取れる税が大層に少なくなりますぞ!今すぐにお止め下さいませ!」


「クグマーズや。」


血相を変えて抗議の声を上げた老夫に向かい、ツワンダがにこやかな笑顔を作ってみせた。


「貴様の責任であろう。」


くぐもった音と共にクグマーズの頭部が膨れ上がり、薄っぺらな紙風船かのように破裂した。



 背後から響く農民達の悲鳴を余所に、ツワンダはゆったりとした歩調で馬車に戻ると、取り巻きの兵のひとりを指1本でこまねいた。

直ぐ様に馬を降りると、呼ばれた兵がツワンダの前に跪いた。


「貴様、名は?」


「メンサーにございます。」


「今から貴様が朕の執事だ。」


「はっ!」


その場でフルフェイスの兜を取り、鎧を脱ぐと、メンサーと名乗った男が若者だったことが分かった。


「片付いたら馬を戻して馬車を引かせろ。」


「はっ!」


メンサーの返事を聞くこともせずツワンダはキャリッジの中へと戻ると、再び座席にどっかりと腰を落ち着けた。


「あぁ、ダルい。」


外では未だに領民達の悲鳴が聞こえてくる。

しかし、そんなことにはつゆとも興味を示す様子もなく、ツワンダは窓越しに裸の麦畑を眺めていた。

喧騒から抜け出したとみられる若い女が、畑の中を駆けて行くのが見えた。

長い黒髪を登頂部で結った女だった。


「何故、朕がマリアベルの舞踏会などに赴かねばならぬのだ。胸くその悪い。」


畑の上を走る女の頭が、花火のように破裂した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ