第34話 イビル・モンストルデー
ひとつは黒いドレス。
もうひとつは、黒いドレスだ
「…………。」
マルハチは言葉を失った。
どっち?
と聞かれたような気がしたが、マルハチにはそのふたつのドレスの差が全く理解できていなかったのだ。
そして、どちらかを選べという質問自体にも絶句した。
こういう時、女性というものは予め答えが決まっているものだ。
男性に求めているのは、賛同。
意見ではない。
マルハチは今、プージャがどちらに決めたのかを予想して、それに沿った選択をしなくてはならないのだ。
「ええと、そうですね。(どちらだ?どちらを選べばいい?まずいぞ。全く同じに見える。)」
マルハチは苦悩していた。
この選択はあまりにも重すぎる。
せめて少しくらい見分けがつくならまだいい。だが、見分けのつかない物から君主の好みを探り出すのは不可能だ。
こんな時こそ正しき道を示すサイコロが必要だ。
マルハチは苦悩していた。
が、
答えは思いの外に簡単だった。
(マルハチはどっちが好きなんだろ?マルハチが好きな方を着た私を見て欲しいなぁ。)
プージャはマルハチの答えを心待ちにしていた。
どちらでも良かったのだ。
マルハチが決めてくれた方を着たかっただけなのだ。
ふたつに絞ってあげた方がマルハチにも決めやすかろう。
プージャなりの優しさだった。
ただ、チョイスが悪すぎた。
プージャには全くの別物であるふたつのドレスは、マルハチには同じに見えているとは思いもよらなかった。
ふたりの性別が違うのだから仕方ないのだが。
「では、左手の方で。」
マルハチは恐る恐る指差した。
「こっちね。うん、いいね。じゃあこっちにしよ!」
プージャは顔を上気させながら、鏡の前でマルハチの選んだ衣装を体にあてがうと、クルクルと回って喜んでいた。
(よし!正解!)
心中でガッツポーズを決めるマルハチ。
だったが、正解など無かったことは知る由もない。
さて、ここで紹介しておかなければならない。
【イビル・モンストルデー】とは。
年に一度のマリアベル領内における催しもののひとつであり、領民が最も楽しみにしている最大の祭典である。
本来は、マリアベル家の初代当主が初めてその名を名乗り、魔界を統治した日を祝う祝日であった。
しかし、長い歴史の中でいつしかその意味合いは変わっていき、近年では全く違う意味合いを含むようになった。
毎年この日は、独身の男女が意中の相手や、くじ引きで決まった相手などと一日中行動を共にし親交を深めるのが慣習となり、それがいつしか意中の異性にチョコレートを渡して想いを伝える日へと変わっていった。
最近では様々な仮装を身に纏い、大騒ぎをする不届きな輩すらいる模様。
―――魔界百科事典アクぺディアより出典。
「そっかそっかぁー。」
とろけそうな笑顔を浮かべながら小躍りするプージャが、突如としてマルハチへと向き直った。
「マルハチは何を着るん?」
唐突な質問に、またしてもマルハチは困惑を隠せなかった。
何を着るかなど、聞くまでもないことだ。
「この服ですが?」
「そっか。まぁ、そのタキシードならまぁ
いっか。」
マルハチが掌を当てて示したのは、いつも着ている執事の制服とも言える燕尾服だった。
だが、プージャの表情はとても明るいとは言えなかった。
どうしてだろう。
自分が着る服の何にそんなに不服があるのか。
マルハチにはその理由は分かりかねた。
「んじゃさ、何かける?実はさ、領主様特権でさ、好きな音楽を選んでいいって言われたんだよね。何がいいか?」
今度は音楽?
何故自分にそんなことを聞くのだろう。
「プージャ様のお好きな曲を。」
「えー?一緒に考えてよ。」
「私は、すみません。情緒的なものには疎いので。申し訳ありません。」
「あっ、そー。」
マルハチのそっけない態度に、プージャは若干のイラ立ちを覚えていた。
「じゃあいいわ。それは私が考えておくからさ。出来るだけ踊りやすそうなやつをさ。」
まぁよい。
こういったリードは自分がすればよい。
プージャは無理やり自分を納得させようと努力した。
それよりも、問題はマルハチがきちんとしたダンスを踊れるのかどうか、だ。
よくよく考えてみれば、マルハチとは長い付き合いではあるが、彼がそういったことをしているのを見たことがない。
もしかしたら踊ったことはないのかも。
少し練習をしておくべきなのだろうか。
プージャが思案している時だった。
「そうですね。皆様の華麗なダンスを拝見するのを楽しみにしています。」
マルハチが言い放った。
「は?」
この一言に、プージャは食い付かずにはいられなかった。
「え?何言ってんの?マルハチも踊るんだよ。」
「いえ、私はご来賓の方々のおもてなしがございますので。」
「は!?」
プージャは全身の毛が逆立つような感覚に見舞われていた。
イビル・モンストルデーの当日。
昼は、様々なイベントが領地のあちこちで開かれる。
大小の祭り、パレード、演劇、演奏会、人々が楽しめる、娯楽たり得るものの全てが行われる。
だがしかし、それに対して夜のイベントはひとつだけ。
それが舞踏会だった。
多目的ホールのボールルームで行われる舞踏会こそが、この日を締めくくるクライマックスなのだ。
昼のイベントで想いを伝え合い、通じあった者同士がその結末を噛み締める場。
この舞踏会はあらゆる領民達が心待ちにしているはずの、最高であるべきイベントなのだ。
「え?ちょっと、意味が不明なんだけど。え?マルハチは仕事をする、と?」
頬をひきつらせるプージャの質問に、
「はい。」
マルハチは真顔で答えた。
この顔の時は本気の時だ。
プージャの長年の経験で、それは心得ていた。
だがしかしだ、これが冗談である可能性もゼロではないだろう。
いやそれは否か。
もしくは冗談ではないとして、気が付いてないという可能性だってある。
マルハチは真面目だ。
真面目なだけに時に天然な部分も持っている。
プージャは念を押すべく、もう一度問い掛けてみることにした。
「あのね、分かってないのかもしんないけど、週末はイビル・モンストルデーで、その夜はダンスパーティーなんだよ?イビル・モンストルデーのダンスパーティーなんだよ?」
「はい、分かっております。」
「その日に仕事をすると?」
「毎年そうですが?」
マルハチの無情な答えがプージャの頬を思いっきり張り倒した上に、心臓を握り潰し、更には鼻に指を突っ込んで奥歯をガタガタといわせた。
確かにマルハチは毎年毎年、来賓の接待に従事してきた。
それがマルハチが執事である以上は当然の役割である。
片やプージャは、自分が女性だという自覚を持つようになってから150年余り。
領主であり魔王である父の娘として、常にひとり、ダンスに興じる人々を見守ってきた。
確かに自分は奥手なのかもしれない。
そういう自覚はある。
たが、羨ましく思わなかったはずがない。
愛する男性と、音楽にあわせてダンスを踊る。
プージャの夢のひとつだった。
プージャにとっては、夢にまで見たあのダンスパーティーに初めて参加することになる、特別な夜になるはずだった。
(そーだけど、そーだけどさ!毎年そーだけど、違うじゃんさ!今年は違うじゃんさ!)
「プージャ様も魔王になられたわけですし、領民が心より楽しむ姿をしっかりと見守って下さいませ。」
立ち尽くしたまま、プージャはマルハチの顔を眺めていた。
ただただ呆然と。
そして二言、
「そか。分かった。」
そう告げるのが精一杯だった。




