第30話 その次の日
第3幕最終話
プージャが床に臥せってから、数日が経った。
意識はあるものの、あれだけ衰弱したのだ。
すぐに快復には至らない。
クペの実を摂取させることもしなかった。
実際に使ってみたマルハチにはよく分かっている。
あの実は、体への負担が大き過ぎた。
たったの二粒しか口にしていないマルハチでさえ、それは確かに遠征と戦いとの負荷もあったかもしれないが、翌日は奇妙な気だるさに見舞われ、半日は起き上がれなかったほどだった。
長期間、止めどなくクペの実を摂取し続けたプージャのダメージは想像に難くなかった。
が、
「あ、甘いもの。甘いものが、食べたい。」
ベッドに横になるプージャの口から漏れるのは、寝ても覚めてもそれだけだった。
一晩寝て起きた辺りで既にプージャの肉体は元の形を取り戻し、ただの衰弱に変わったが、それでも傍目から見れば重篤な状態に見えた。
にも関わらず、プージャの求めるものは甘いものだけ。
一時期よりは元気を取り戻していたが、本来ならばそんな消化の悪いものを摂取すべきではないはずだ。
「甘いもの、甘いもの。」
だがしかし、プージャはそれだけを求めた。
「どうでしょう?食べられるものなのですか?」
プージャの定期診察が終わり、マルハチは主治医を応接室に招いた。
お茶とお菓子を囲みながら、主治医に尋ねてみた。
「ううむ。」
白衣を身に纏ったグール族の小男が、ごま塩混じりの無精髭をいじりながら思案に暮れていた。
やはり難しいのだろうか。
あれだけの消耗だ。
実際、食べる寝るはただでさえ体力を使う作業。
無理をすればまた体調は悪化してしまうに違いない。
「いいんじゃん?」
そんなマルハチの想いを余所に、グールの医師はあっけらかんと言ってのけた。
「いいんですか!?」
マルハチは咄嗟に立ち上がった。
「いや、本当はダメよ?無理よ。お腹壊しちゃうでしょ。」
「なのに何故いいなどと言うのですか?」
「まぁね、本人が求めてるんだから仕方ないじゃない。あれだけ欲するってことは、体が求めてるってことよ。少し負担でも、食べさせてあげた方が精神衛生的にも良いとは思うのよね。」
「病は気から。ということですか。」
「まぁ、そうよね。大いにあると思うわ。」
「左様ですか。」
医師はお茶を口に含むと、大きなクッキーをマルハチに差し出した。
「ほら、食べてごらんなさい。」
「私がですか?」
今はそんな気分ではなかった。
だが、恐らく意図があっての薦めだろう。
マルハチは仕方なく、クッキーを割ると口に放り込んだ。
「どんな気分?落ち着いた?」
「ええ。まぁ。」
「そうよね。姫殿下も、きっとそういう気分になりたいのよ。」
ふむ、一理ある。
マルハチは妙に納得していた。
確かに、ただでさえ「あれも駄目、これも駄目」と抑圧されている身だ。
いくらその御身を気遣われてのこととは言え、今は普段にも増して抑圧されている。
大きなストレスは抱えているだろう。
「そう、ですね。そう。分かりました。先生、消化に良くて美味しいお菓子をご存知で?」
「あんたバカね。美味しいかどうかは知らないわよ。美味しく作ればいいじゃない。」
「む。確かに。」
「そうね。ま、ヨーグルトか、ゼリーか、プリンじゃない?」
「なるほど。プリンですか。」
プリンは、プージャの好物のひとつだった。
「だからと言って何故僕が作らなくてはならないんだ!?」
厨房に足を踏み入れ、プージャにプリンを食べさせたいという旨を伝えた途端だった。
メイド達に一斉に押さえ付けらると、レースフリル付きの綺麗なエプロンを装着させられた。
「わぁ!マルハチさん、よくお似合いですね♪」
嬉しそうにミュシャが手を叩いていた。
「似合うわけないだろ!バカにしてるのか!?」
「マルハチさん!」
珍しくミュシャが不快感を顕にした様子で言い返してきた。
「そんなわけないじゃないですか!ミュシャはただ、いつもうるさいマルハチさんが少しくらい間抜けな格好してくれた方が皆が和むかな?って思っただけです!」
「それがバカにしてると言うんだ!」
マルハチの主張はもっともだった。
「まぁまぁ。」
いきり立つマルハチをなだめる者があった。
メイドの影に隠れて気が付かなかったが、オーク軍団の長、ヴリトラだった。
「ヴリトラ殿!?何故このようなところに!?」
「え?あ、ああ。少し、な。」
歯切れの悪い返答だった。
大きな鼻を鳴らしながら、ヴリトラは恥ずかしげに頭の皮膚を掻きむしっていた。
すかさずメイドのひとりがマルハチの耳元で囁いた。
「ヴリトラさんは無類のお菓子好きなんです。いつもこうやって厨房で私達とお菓子を作ってるのです。」
「む、そうなのか。人は見かけによらないものだな。」
「マルハチさんだって見かけによらず、こんな可愛らしいエプロンを着けてるじゃないですか♪」
言った瞬間に逃げ出したミュシャを追い掛け回すマルハチだったが、ひとしきり鬼ごっこを終えた後、ミュシャの放った一言で考えを改めることとなった。
「マルハチさん♪姫様が一番喜ぶのは誰が作ってくれるプリンですか?マルハチさんのプリンに決まってます♪」
ヴリトラが本を覗き込みながら、プリンのレシピをマルハチに説明していく。
「まずは、カラメルソースを作るのだ。砂糖と水を鍋で煮詰め、色が変わってから湯を入れる。少しずつだぞ。」
一気に湯を入れたミュシャの鍋から熱いカラメルが飛び撥ねていた。
「ソースを器に流し込んだら、次はプリンの本体だ。卵を泡立てないようにほぐし、そこに砂糖を加えてすり混ぜる。」
ミュシャのボウルは泡風呂のように見事に泡立っていた。
「それからミルクを温め、沸騰する前にバニラエッセンスを入れる。」
ミュシャの鍋からは沸騰したミルクが溢れ出していた。
「卵にミルクを加えるぞ。泡立てないように気を付けろ。蒸し上がりに素が入るとからな。」
ミュシャのボウルは泡風呂だった。
「混ぜ終えたら、カラメルの入った器に、こし器でこしながらこのプリン液を注ぐのだ。目が細かいこし器の方が滑らかに仕上がるぞ。」
ミュシャはこし器を使わず、直に液を流し込んでいた。
「では蒸すぞ。器にこの薄い金属箔を被せると見た目も綺麗に仕上がる。10から15分でいいからな。」
ミュシャは器を直火で炙っていた。
グツグツとプリンが沸騰して、焦げ臭い臭いが厨房に充満し始めた。
「最後に粗熱を取ってから、氷室で冷やせば完成だ。」
ヴリトラの説明は、本を読みながらとは言えとても分かりやすいものだった。
仕上がりは別としても、お菓子作りの初心者であるマルハチでもプリンを作ることが出来たのだ。
マルハチは、何とも言えない達成感に包まれていた。
確かに始めは、はっきり言ってしまえば嫌だった。
君主の口に入る菓子を、ずぶの素人である自分が作るなどあり得ないと思っていた。
であれば、上手に作ることの出来るメイド達やヴリトラが作るべきだ。
その方が絶対に美味しいし、プージャだって喜ぶに違いない。
金属箔を取り除くと、器から皿に移してみる。
そこには薄い黄色に輝いた、滑らかそうな、でもちょっと緩そうな、プリンと言われればそうだし、違うと言えば違うような、プリン風の何かが出来上がっていた。
「あぁ。やはり失敗だ。これじゃ、プリンじゃなくてムースか何かじゃないか。」
マルハチはうなだれてしまい、落胆を隠せなかった。
それを見たミュシャが口を開いた。
「わぁ♪姫様、きっと喜びますね♪」
あまりにも意外な一言に、マルハチは驚いて顔を上げた。
ミュシャが、ヴリトラが、メイド達が、皆がマルハチの顔を見ていた。
全員が満面の笑みを浮かべて。
「プージャ様、これなんですが・・・。」
ベッドの縁に腰掛けると、マルハチは恐る恐る、体を起こして座っているプージャの膝の上に差し出した。
「ん?これ?……んと、んと……プリン、かな?」
どうあってもプージャの言ったそれには見えない、見るも無惨なカスタードクリームのムースである。
ほんの少しカラメルソースが混ざった。
しかし、プージャはそれをプリンだと言い当てたのだ。
「わ、分かりますか?」
「まぁね。ミュシャのよりは分かりやすい。」
プージャは口を押さえて笑った。
「申し訳ありません。初めて作ったもので。」
言葉通り、実に申し訳なさげにマルハチは手を揉みしだいていた。
「問題はだな、見た目ではないんだぞよ。味。」
プージャは執事に小さなスプーンを手渡すと、大きく口を開いて見せた。
「失礼。」
マルハチは高鳴る鼓動を抑えながら、プリンという名のムースをひと掬いすると、手を添えながら魔王の口へと運んでいった。
出来るだけ優しく丁寧に、舌の上にムースを乗せてやると、プージャは目をつぶり、口の中でそれを転がし始めた。
「んー……。」
ふむ。
少し卵が多い。砂糖の量も少ない。
魔界にそのような料理は無いのだが、敢えて表現するならば少し甘い茶碗蒸しと言った味がする。
カラメルソースも少し焦がしが強い。
まぁ、お世辞にも美味しいとは言えない出来ではあった。
マルハチにもそれは分かっていた。
目をつぶったままで口の中身を飲み下したプージャの表情を、懸命に読み取ろうと努力していた。
「うん。星3つだな。」
「まさか!そんなお世辞など、」
「星10個中な。」
そりゃそうである。
マルハチはがっくりと肩を落とした。
「申し訳ありません。」
プージャは手に持ったプリンムースの器をマルハチに差し出した。
「いいよ。気持ちが嬉しいんだから。それに、初めから美味しく作られたら私の立つ瀬がないしね。」
「確かに、そうですね。」
マルハチが器を受け取ろうとすると、まるでフェイントを掛けるようにプージャがそれを引き戻した。
「マルハチも食べな。」
器を少し傾けると、スプーンで掬うように促した。
「宜しいので?」
「三ツ星パティシエの味を堪能するがよい。」
魔王の手からプリンを掬い取ると、マルハチはゆっくりと口へと運ぼうとした。
が、ムース状のプリンはあまりにも緩すぎて、スプーンの上からこぼれ落ちてしまった。
マルハチは急ぎ手を伸ばしたが、間に合わなかった。
ムースは、プージャの掌の上に落ちた。
「え?」
マルハチは思わず声を上げた。
まるで、まるでプージャにはプリンが落ちるのが分かっていたかのように、スプーンの下に手を差しのべていたのだ。
「勿体なーい。」
嬉しそうに掌のプリンを舐めるプージャの顔を、マルハチは唖然とした表情で見つめていた。
「まさか、プージャ様?」
プージャは、微笑んでいた。
「の、ようですねー。」
「す、素晴らしい。何て言うことだ。」
感激してるのだろうか。
肩を震わせながら、マルハチは立ち上がろうとした。
しかし、それをプージャは止めた。
今はそういう話をしたくはない。
それがプージャの気持ちだった。
「ほら、座って。プリン、食べて。そしたら、また、食べさせて。」
その穏やかな口調に、マルハチは大人しく従った。
そうだ、今はプージャを休ませなければならない。
腰を下ろしたマルハチの胸に、プージャはゆったりと、しなだれるように寄り掛かった。
だけど、ほんの少しだけど、プージャの中の子供の部分が頭をもたげ始めていた。
プリンを自分の口に含んだ後、今度はプージャの口にプリンを運ぶ。
「プージャ様、どのくらい先が見えるのですか?」
「ん?まだ分かんないな。色々と試してみた訳じゃないし。」
「そうですか。では、」
プージャの口から取り出したスプーンを、そのまま咥え直した。
「これから何が起こるか見えますか?」
「え?これから?」
言っている意味が分からない。
そんな表情だったが、ほんの少しの時間で感じ取るものがあったらしい。
プージャは目を閉じると、何か考え事をしているように眉をしかめた。
それからすぐに、プージャの頬は真っ赤に染まった。
目を開けると、ゆっくりとマルハチの顔を見上げた。
「宜しいですか?」
コクリ。
その問い掛けにプージャは無言で頷くと、
また目を閉じて、そしてゆっくりと顎を上げた。




