第26話 ミュシャの筋肉
「残すは地下室だけか。」
ロビーに戻り、マルハチはダクリのスゴロクに目を落とした。
「マルハチさん、マルハチさん♪」
そこでミュシャがマルハチに声を掛けてきた。
「なんだい?」
「地下室の階段ってどこにありましたっけ?」
「…………。」
その質問にマルハチは絶句した。
確かに。
館中を回って、階段はこのロビーにあるもののみ。
他のどの部屋にも階段らしきものは見当たらなかった。
「見取り図では、地下室はどこから繋がってるんだ?」
スゴロクに指を這わせ、地下室から伸びる通路を追う。
そこはこのロビーだった。
しかし、そんな通路はどこを探しても見えない。
「隠し通路か。」
となれば、その地下室に何かがあるのは間違いない。
わざわざ隠すのだから。
隠密部隊が探しても見付からないわけだ。
マルハチ達ですら事前に地下室の存在を知っておかなければ、それが隠されていることすら気が付かなかっただろう。
「そこから繋がってるよ。」
ダクリはスゴロクから目を離すと、階段の裏側の壁を指差した。
「氷が厚いな。」
透き通った氷の先に、木製の壁が見えている。
もしこの氷が無ければ直接調べられるのだが、掘るにはあまりにも厚い氷で覆われていた。
「ミュシャが掘ってみましょうか?」
「いや、例えふたりがかりで掘ったところで、時間が掛かりすぎる。とは言えそれしか手はないか。」
ふたりは思い思いに武器を手にしたが、それをダクリが止めた。
「掘る前に、ちょっと試してみたいことがあるんだけど。」
その小さな掌の上にサイコロが転がっていた。
「まさか、そのサイコロも魔道具なのかい?」
「そうだよ。」
言いながらダクリは手の中で激しく転がしていく。
一体どんな道具なのだろうか。
サイコロという特性上、恐らく運が絡むようなものなのか。
ダクリの手からサイコロが放たれた。
床の氷に転がったサイコロが出したのは、1の目だった。
「このサイコロは、行く道を示してくれるんだ。オイラ達の行く道は、」
1の目から光が放たれる。
放射状に宙を照らした光は、次第に人影を映し出した。
「これは?ジャック・オー・フロスト?」
白い肌に白い髪。
背が高く、細い体を持つ絶世の美女だった。
しかし普通の女性と違うのは、身に纏っているのは氷で構成されたドレスだということ。
「わぁ、綺麗な人ですね♪」
「いや、この人型の部分も氷のはずだ。精霊族の実体は小人みたいなものだから。」
「作り物なんですか?本物に見えますよ。」
「それだけ精巧なんだろう。君も精霊族に美人な外殻でも作ってもらうといい。今よりずっとマシになるぞ。」
「ミュシャは今でも十分可愛いですよ♪見て下さい、この上腕二頭筋を!ムキムキカッチカチです♪」
「……まず筋肉がついていることと可愛いことはイコールではない。のと、触ったことはないが、いつも君の腕を見ている限り、君の上腕はプヨプヨだ。」
そんなふたりのやり取りを尻目に、幻影の女はロビーの中をすすみ、壁際に置いてある小さな花瓶置きテーブルに近寄っていった。
テーブルに付いている引き出しを引き出すと、中に手を入れた。
するとどうだ。
マルハチ達の背後、階段下の壁がゆっくりと開いていくではないか。
「この中ってことだね。」
幻影のジャック・オー・フロストが消えたのを見届けてから、ダクリがサイコロを拾い上げた。
「すごいな。どうなってるんだい?そのサイコロは。」
「仕組みは分からないけど、その時最も適した方法を示してくれるんだ。今は幻影投影だったけど、目によって効力も変わるんだ。だけど、どの目が出て何が起こるかは使ってみないと分からない。」
「かなり複雑な道具なんだな。」
「オイラのお守りさ。」
厚い氷の向こう側に空間が開いた。
しかし進む道さえ分かれば、こんな厚みの氷など問題ではない。
マルハチとミュシャはそれぞれの得物を構えると、道を遮る障壁を打ち砕いた。
二階へと繋がる階段に平行する位置で、地下への階段が口を開いた。
地下へと繋がるはずなのに、その先からはぼんやりと揺らめくような青い光が放たれていた。
だがそれだけではなく、館内よりも更に凍てついた、突き刺すような空気も漏れ出してくる。
明らかに異様な雰囲気を漂わせていた。
「気を付けろよ。」
人がひとり通れるほどの細い階段は、館とは違い石造りへと変わっている。
マルハチを先頭に、ミュシャ、ダクリが続く。
とても深い階段だった。
一体どこまで潜るのだろうか。
しかし、終わりがあることは感じる。
次第に冷気は濃くなっていき、淡い揺らめきも強くなっていく。
「ミュシャ。構えろ。」
振り返らずにマルハチが囁いた。
マルハチの脇から前を覗き込むと、階段の終点が見えていた。
「はい♪ミュシャ、頑張っちゃいますから♪」
階段が終わりを迎えた。
一気に天井が高くなり、開けた空間が目の前に現れた。
マルハチと、ダクリを抱えたミュシャは、開けた空間に出た瞬間に大きく飛び退いた。
ふたりが回避した直後の階段の出口を、分厚い氷が覆い尽くした。
「ほう。流石はマリアベル最強の戦士だ。」
出口を挟むように着地したマルハチとミュシャは、声のした方へと視線を移した。
とても広い空間だった。
地上の館がまるまる収まってしまう程に広いだろう。
その空間の中心に、それはあった。
まばゆい程の青い光を放つ、氷の塊が空中に浮かんでいた。
そしてその前に、痩せ細った体に分厚い氷を纏わせた、見覚えのある魔族が佇んでいた。
「氷煌ヘレイゾールソン。」
マルハチがその名を口にした。
「よくぞここまで辿り着いたものだ。」
マルハチの声に応えたかのように、氷煌は手を叩いた。
その湿った音が広い空間に響き渡った。
「だが遅かったな。」
マルハチは立ち上がると、腰を落とし構えをとった。
「貴様らの主は、もうじき死ぬ。」
「その前に倒しちゃいますから♪」
氷煌の台詞が終わるのも待たず、ミュシャが床を蹴った。
マルハチもそれに続いた。
激しく金属が擦れる音が、空間に響いた。
「やれやれ。」
ミュシャとマルハチ、ふたり同時に繰り出した攻撃を受け止めながら、氷煌は笑みを浮かべていた。
「ならば、貴様らから死ね。」
氷煌の全身を覆っていた氷が、大きな角に変貌を遂げると、ミュシャとマルハチの腹部を貫いた。
冬の侵略が一気に早まっていた。
プージャは全霊を籠めて炎を放ち続けていた。
しかし、それももう限界だった。
クペの実ですら、もはや彼女の体を支えることしか叶わなくなっていた。
地下室に映し出された景色は、既に冬に飲み込まれつつあった。
それは同時に、プージャの生命の灯火もまた、深い冬の闇に飲み込まれつつあるということでもあった。
地下室の扉を守るクロエの元に、ひとりのゾンビ兵が駆け寄ってきた。
「クロエさま!て、てきしゅうです!」
「てきしゅう?」
クロエが聞き返したと同時だった。
ゾンビ兵の体が瞬間的に凍り付くと、砕け散るように四散した。
「こんなところに居たのか。」
ゾンビ兵の亡骸を踏み潰しながら、細身の魔族が現れた。
(氷煌……ヘレイゾールソン!?)
クロエは剣を抜いた。




