第24話 たったひとりの抵抗
薄ぼんやりとした、まるで幻影のような景色が見てとれた。
それは凍みついた森の木々であり、氷に閉ざされた湖の水面であり、雪で覆われた平原であり、人影の見えないプージャの住む町であった。
それぞれの景色は綺麗に四角に区切られ、それぞれが隣接するように四面を覆っている。
そして雪の降り続く空も、四角く切り取られていた。
全ての力を使い果たし、プージャは膝から崩れ落ちた。
「……っは!……っは!」
(魔力が、魔力が足りない。)
力が途切れたのを察知してか、地下室の扉が開け放たれ、クロエがプージャの元へと駆け寄ってきた。
「ひめでんか。だいじょうぶか?」
四面と天井に外界の景色を映し出した広大な石造りの地下室は、肌が切り裂かれるほどに冷えきっていた。
床を埋め尽くす程にびっしりと書き込まれた魔法陣の中央では、大龜が黒く輝く光の柱を放っている。
その傍らで四つん這いになり、激しく肩で息をするプージャの体を抱き起こす。
冷たい部屋にいたとは思えないほど、プージャは汗にまみれていた。
「……はぁ!……はぁ!」
プージャは、まともに返事すら出来なかった。
「すこしやすまなければ。」
「ごほっ。ごほっ。」
言葉を発する代わりにプージャは咳で答えるのが精一杯だった。
「ごめん、クロエ。」
プージャが謝ったのは、部下の顔に咳をかけてしまったことに対してだったようだ。
しきりにクロエの頭蓋骨を袖で拭いながら、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「きにするな。それよりも、やすめ。」
クロエが優しくそう囁いたその時だった。
地下室に映し出された景色に変化が起こった。
天井の空は夜のように暗くなり、ちらつく雪が吹雪と化した。
それに合わせて、森の木々にへばりついた氷は勢いよく浸食を始める。
湖面の氷は膨れ、平原の雪は一気に降り積もり、町の家々を氷が覆いだした。
「だめ。だめよ。」
クロエの肩に手を掛けると、プージャは無理やり体を起こそうと踏ん張った。
「ひめでんか。むりだ。そのからだでは。」
プージャの体は、まるでクロエの体のように痩せ細り、肉がそげ落ちていたのだ。
「無理でも、いい。やらなければ。」
膝がガクガクと笑っている。
ひとりで立ち上がることもままならなかったが、それでもプージャは無理やり体を持ち上げると、クロエに向かって掌を広げて見せた。
クロエは黙ったまま、その掌の上に小さな実を二粒乗せてやった。
クペの実だった。
プージャは何も言わずにその実を飲み込むと、倒れ込むように大龜にしがみついた。
少しの間を置いただけで、プージャの体はみるみるうちに元通りの張りを取り戻し、その目にも光が宿る。
「行くぞ!」
まるで別人のように生気を取り戻したプージャは、大龜の中に向かって黒い炎を注ぎ込んだ。
大龜は炎を飲み込むと、更にまばゆい光の柱を解き放つ。
それに呼応するかのように、魔法陣も黒く揺らめく光を放ち始めた。
するとどうだ。
壁に映し出された景色が、再び変化を始めた。
吹雪は止み、森の木々を蝕んだ氷は徐々に溶け、湖面を覆った氷も薄くなった。
雪原も穏やかさを取り戻し、町を襲った氷もその勢いを失った。
この大龜と魔法陣はプージャの炎を取り込み増幅し、プージャの領地全てを暖める地熱へと変える変換装着だった。
マリアベルの民が住むこの地が冬に飲み込まれぬよう、プージャはたったひとりで抗っていたのだ。
―――プージャが再び炎を注ぎ始めて、数時間が経過した。
「ぐぐ……。」
プージャの口から苦しそうな声が漏れた。
堪らず、クロエはその細長い指に手を添えた。
つい先程まで生気に溢れていたプージャの手は、既に干からび始めていた。
見ての通りだった。
少しの間でもプージャの炎が途切れれば、冬は一気に迫り来る。
マルハチ達が旅立ってから、プージャはクペの実だけを接種するのみで、この儀式を続けてきた。
何日も何日も、飲まず食わず。
睡眠すらとることも出来ずに。
そして、プージャがクペの実を必要とするスパンは、明らかに短くなってきていた。
(早すぎる。もう限界だ。)
そんなクロエの思いを余所に、プージャが声を荒げた。
「クロエ!実を、実を頼む!」
「それいじょうはいけない。」
「クロエ!!」
プージャの悲鳴が地下室に響き渡った。
このまま放っておけばプージャは力尽きる。
仕方なく、クロエはプージャの口ににクペの実を押し込んだ。
(マルハチ、早く!早くしろ!)
クロエもまた、心の中で悲鳴を上げていた。
城と言うにはあまりにも小さな館を目前にし、マルハチ達は茂みに身を潜めて様子を伺っていた。
非常に背の高い塀に阻まれ、中の状況は伺い知れない。
最低でも、臭いでは何も感じ取れはしないが、ジェノサイドポーラベアの例がある。
館に潜む者がステルスの術を使っている可能性は大いにある。
むしろその可能性を考えないことこそ愚の骨頂だ。
しかし、ネガティブな可能性ばかりに囚われていても前には進めない。
虎穴に入らずんば虎児を得ず、だ。
だがしかし、危険を冒すべきではない。
少なくとも目的を果たすまで。
氷煌の居場所を暴くまでは。
だが、だがしかし。
しかし。
何度考えても決断は出来なかった。
潜入は困難を極めていた。
珍しくかっこいいプージャ様。一体どうした?




