第22話 小さな侵入者
数千年前、魔界全土が長い冬に覆われた時代があった。
何者かのせいではない。
そういった気候変動が起きただけだ。
あまりにも長く厳しい冬は、多くの生命を奪い、新たなる生命の誕生を阻んだ。
魔界に生きる民の多くが姿を消していった。
しかしながら、生命とは強いものだ。
特に魔族という生命はしたたかなほどに強かった。
生きるため、常に変化し、常に進化する。
その種族は、元は高い魔力を持つ精霊族だった。
肉体のほとんどを四元素で構成される精霊族は、他のどの種族よりも適応能力が高かった。
寒さを取り込み、己の体の一部とすることで生き延びようとした。
いつの頃からか、その種族はジャック・オー・フロスト【氷の民】と呼ばれるようになった。
そして、環境に適応した新たなる種が現れ始めた頃、それは誕生した。
生まれながらにして冬を纏った、異形の者。
寒さから逃げ延びるために自らの一部を変化させた同胞とは、根底から違っていた。
冬そのものだった。
その者がひとたび念じれば、空気は凍り、周囲は氷で閉ざされる。
その絶対零度の世界では、いかにジャック・オー・フロストと言えど生きてはいけない。
その者は、生まれると共に氷の民の王となった。
【氷煌ヘレイゾールソン】の誕生だった。
馬車を止め、御者台から降りると、マルハチは辺りを見回した。
(これなら問題なく歩けそうだな。)
確かに雪は積もっているがそこまで深くはなさそうだ。
この山道の先に、マリアベル領内では最後となる山小屋があるはずだ。
そこに馬車を止め、後は徒歩で進む。
屋敷を出てからかなりの日数が経ってからのことだった。
「ミュシャ、そろそろ支度を整えておくんだ。」
荷台の幌を閉じているフェルトのカーテン越しに、中にいるミュシャに指示を出した。
「はい♪」
「御意!」
勢いの良い返事が、ふたつ。
(なに!?)
マルハチは乱暴にカーテンを開け放った。
「寒いです♪」
いつも通りの弾けるような笑顔でこちらを振り返るミュシャ。
馬車の床に地図のような絵が描かれた紙を広げ、その上にはサイコロが転がっている。
しかし、マルハチが見たかったのはこのメイドではない。
「お前!?」
マルハチが見たかったのは、
ミュシャの正面であぐらをかきながら、紙の上の駒を進めようと身を乗り出している少年の姿だった。
「ダクリ!?」
燃え上がるような赤髪を持った小さな少年は、最高の笑顔でマルハチに手を振って見せた。
「お前、何故ここに!?」
マルハチは急いで荷台に飛び乗った。
平静を装ってはいたが、内心では相当に焦っていたらしく、荷台の角に珍しく膝をぶつけた。
「大丈夫?」
顔をしかめ、痛そうな表情を浮かべるダクリのそばに膝立ちでにじみ寄ると、その肩をがっしりと握り締めた。
「何故こんなところに!?と言うか、いつからだ!?」
「え?いつからって、」
ダクリは何かを思案するかのように眉を動かすと、
「始めからいたよ。」
すんなりと言ってのけた。
「バカを言うな!始めからなわけないだろ!僕だってミュシャだってこの荷台で寝泊まりしてたんだ!隠れられるわけがない!」
マルハチの言うことがもっともだった。
荷物に囲まれており、大人ふたりが横になったらいっぱになるような小さな荷馬車なのだ。
「え、そう言われても。」
ダクリは困ったように頭を掻いている。
この顔は、本当に困った時の顔だ。
マルハチはダクリが嘘をついていないことを認めざるを得なかった。
「どこだ?どこにいた?」
マルハチの問いに対し、ダクリは荷台の隅に置いてある大きな木箱を指差した。
急いで木箱の蓋を開けるとそこには毛布が敷き詰められ、あまつさえ、様々な食べカスが散乱していた。
「……本当だ。」
マルハチは愕然とした。
どうしてこんなことが起き得たのか。
勢い良くミュシャの方へと振り返った。
「はい♪ミュシャがお世話してました♪」
「何を考えているんだぁー!!!」
「いるんだぁー」
「るんだぁー」
「んだぁー」
「だぁー」
「ぁー」
マルハチの絶叫が、静かな山林にこだました。
「雪崩が起きるよ。マルハチさん。」
ダクリが冷静な声で言い放った。
「お前は黙っていろ!ミュシャ、君は一体何を考えているんだ?」
ダクリを一喝すると、ミュシャに向けてビシリと指差す。
「はい、マルハチさんは日中はほとんど御者台ですし、夜もすぐ寝てしまうので、見付からずにお世話するのは簡単でした♪」
「そうじゃない!こんな子供を匿っていたことを責めてるんだ!僕らが今からどこに行こうとしてるのか分かってるだろう!」
「はい!氷煌レレイジョ、ゾールションのお城です♪」
「噛んでも言い切るな!!それを分かっていてなんで匿うんだ!何故見付けた時に帰さない!僕に報告しない!」
「えっと、」
マルハチのあまりの剣幕に、ミュシャは怯えたように指を擦り合わせて俯いていた。
この天真爛漫な少女にも恐れはあるようだ。
「スゴロクをくれましたし、それに、スゴロクのお相手をして欲しかったので。」
訂正しよう。
恐れなどは、無い。
ミュシャは照れていただけだった。
マルハチは頭を抱えてその場に突っ伏した。
「と、とにかくだ、」
重い体をゆっくりと持ち上げると、マルハチはダクリに振り返った。
「お前を町に送り帰す。」
「マルハチさん。一番近い町からここまで来るのに一週間はかかってたよ。送り帰してたらまた戻るまでに二週間かかるよ。」
チェスのポーンみたいな形をしたスゴロクの駒を掌で弄びながら、ダクリは呟いた。
まるで拗ねた子供のように。
子供なのだが。
「それでも、」
「マルハチさん。オイラを送り帰してる間に、この寒さはどんどん魔界を蝕んでいくんだよ。そんな暇は無いんじゃないのかな。」
が、こちらの一言は拗ねた子供の言葉ではない。
「お前、脅迫するつもりか?」
「脅迫なんて、そんなつもりないよ。」
確かに正論ではあるのだ。
現に、この森では既にほとんどの木々が氷に覆われており、雪の重みで枝葉が折れ始めていた。
「だって本当のことじゃない。だけど、」
ダクリはマルハチの目を真正面から見据えていた。
「なんでオイラが来たのか、聞いてもくれない。」
「なるほど。なら聞くが、何故ついて来た?」
「僕もマルハチさんの力になりたいんだ!」
「分かった。ではこの先の山小屋に置いていく。安心しろ山番の兵が駐在しているからひとりじゃない。」
ダクリの言葉を受け、マルハチは即答した。
イライラを抑えながら、マルハチは御者台に飛び乗ると馬を歩かせた。
何日経っていると思ってるんだ?
その間、本当に気付かなかったとでも言うのか?
こんな木箱に潜んで、飲み食いまでしていて、このマルハチが気付かなかったとでも言うのか?
様々な考えがマルハチの脳裏に浮かんでは消えていった。
そんなマルハチを余所に、ミュシャとダクリは和気あいあいとスゴロクで楽しんでいた。




