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第21話 その前の日

 マルハチは自室で荷造りをしていた。

出発は明朝、日の出と共に。

寒さに強い種類の馬に馬車を引かせ、行けるところまで。

そこから先は徒歩による行軍。

極力荷物は少ない方がいい。

無駄な物の一切を省き、生き残るための最低限の装備を。

マルハチは黙々と手を動かしていた。


「マルハチさん、マルハチさん♪おにぎりはおやつに入りますかー?」


ノックもせずに扉の隙間から顔を覗かせたのは、銀髪のメイドだった。

まるで遠足にでも行くのかと勘違いしてるのか。

目をキラキラと輝かせておにぎりを見せつけてきた。


「おにぎりは食料だよ、ミュシャ。そしておにぎりは外に出した途端に凍るよ、ミュシャ。」


そんなミュシャには一瞥もくれず、出来る限り水分を含まない食料品を選別していた。


「分かりました!」


そう言っただけで、ミュシャは扉の隙間に消えていった。

食料の準備は終わった。

次は武具だ。

マルハチの主な武器は、素手に嵌めるブラスナックルだ。

バンテージを巻いたとしても、極寒の中で扱うには難がありすぎる。

あまり使い慣れてはいないが、毛皮の手袋の上からでも装着できる手甲型のナックルをチョイスすべきか。

思案していた時だった。


「マルハチさん、マルハチさん♪新しく買ったこの大鎌、持っていってもいいですか?」


再び扉の隙間から顔を覗かせたミュシャが部屋の中に差し込んできたのは、普段使っているポールアクスよりも更に一回り巨大な、白銀の鎌だった。


「それは持ち運びに不便すぎるよ、ミュシャ。第一、そんな大きな得物は目立ちすぎて隠密行動には不向きだよ、ミュシャ。」


あまりにも長大な鎌がマルハチの後頭部をつついている。

それでもミュシャには一瞥もくれることなく、マルハチは手甲型のナックルを袋に詰め込んでいた。


「分かりました!」


大鎌をマルハチの部屋の床に突き刺すと、ミュシャはまた扉の隙間から消えていった。


「置いていくな。」


溜め息をつき、大鎌の柄を持ち上げようとしたが、あまりの重さに動かすことすら叶わなかった。


「あいつ、嫌がらせか?」


マルハチは立ち上がると、柄に股がって腰を入れた。

全力で持ち上げようと力を入れて少し浮く程度。

これを部屋から持ち出すには相当な労力が必要だと思った。

瞬時にしてイライラが頂点に達するような気分に見舞われた時だった。

部屋の外から足音が聞こえてきた。


(あのクソガキ、戻ってきたか。)


いくつになっても心の声だけは昔のままである。

執事として品行方正な半生を送ってきたものの、彼もまだそれなりに若いということだ。


「おいミュシャ。遊ぶのはいいが人に迷惑をかけるんじゃない。」


マルハチが勢いよく扉を開けた。

しかし、部屋の前にいたのは銀髪のメイドではなかった。


「ありゃ?ミュシャと約束してたん?」


プージャだった。


「え?プ、プージャ様?」


流石のマルハチも面食らった。

そこにいるのはミュシャだと思い込んでいたから・・だけではない。

プージャがマルハチの自室に来るなど、いつ振りのことだろうか。

記憶に留まっていないほど昔の話だった。


「いえ、約束などは。ただこの鎌を取りに来たのかと、」


「そっかそっか。んじゃお邪魔してよいかね?」


マルハチの言葉を遮りながら、プージャはゆったりと部屋に入ってきた。


「申し訳ありません。荷造り中だったもので、散らかってますが。」


「ううん、いいよ。急にごめんね。」


見ると、プージャの手には銀のトレーが握られていた。


「ちょっとおやつでもと思いましてねぇ。」


トレーの上には湯気のたっていないティーポットとふたり分のカップ。

そして、ふたり分のエクレアが乗せられていた。


 ふたりは小さな丸テーブルの上に乗せられたティーセットを囲んで、腰を落ち着けていた。

落ち着かない腰を、頑張って落ち着けていた。

プージャに促され、マルハチはエクレアを手に取ると口に運んだ。

シャクリ・・・

到底エクレアとは思えない食感が前歯に伝わってきた。


「ありゃりゃ。さっき作ったばっかなのに、もう半分凍っちゃったね。」


同じくシャリシャリとした食感のエクレアを頬張りながら、プージャは笑っていた。


「お茶も冷めちゃったし。」


まるで氷で冷やしたかのようなお茶を口に含み、それでもプージャは笑っていた。


「少し、暖炉で温めましょう。」


ティーポットから小さな鍋に紅茶を移すと、マルハチは暖炉へ向かおうと立ち上がった。

その背中に、プージャがそっと寄り添った。


「ねぇ、マルハチ。」


背中を伝って、声の震えを感じた。


「ごめん。」


厚着の上からでもはっきりと感じた。


「プージャ様。話し合って決めたことではありませんか。プージャ様が謝ることなど、何ひとつありません。」


敵地に乗り込む死の行軍。

マルハチの言葉通り、これはマルハチと、ミュシャと、そしてプージャとで決めた。

最も領国の安全を確保しつつ、最も効率的に敵地に侵入し、最も生還率の高いであろう人選。

もし他の人選を考えた時、全ての確率はほぼゼロだろう。

ほんの数パーセントでも可能性があるとすれば、それはマルハチとミュシャを置いて他にはなかった。


「…………。」


プージャはマルハチの背に顔を埋ずめ、しっかりとコートを握り締めていた。


「……プージャ様。」


君主の体温が、マルハチの背にはっきりと伝わってくるのが分かった。


「マルハチ。こっち向いて。」


その言葉に、マルハチは戸惑いを隠せなかった。

プージャの気持ちは分かっていた。

分かっていたが、この気持ちに応えるべきなのか否か。

自分はもう戻らない。

かもしれない。

それなのに、今、プージャと気持ちを通わせるべきなのか。


だからこそ、


だからこそ、


プージャにとっては、今、だった。

マルハチを、待つ。

ずっとずっと、待つ。

それがプージャの決意だった。

何があっても。

理屈なんかじゃない。

何があっても、待つ。


だからこそ、


だからこそ、





「マルハチさん、マルハチさん♪」


ノックもせず、部屋の扉が勢いよく開かれた。

瞬間的にプージャはマルハチから離れ、マルハチは鍋の紅茶を暖炉の火にぶちまけた。


「鎌はやめて、この武器にします♪見て下さい!トンファーと言いまして、近距離戦と中距離戦の両方をこなすことが出来るんですよ!しかもこのトンファーはただのトンファーではありません!ふたつを合体させるとショートスピアとしても使えるんです♪」


「説明が長い!」


暖炉から上がる煙を払いつつ、マルハチは声を荒げた。


「あっ!姫様?」


ここでようやくプージャの存在に気が付いたのか、ミュシャは口に手を当てて驚くような素振りを見せた。


「お、おう。ミュシャ。」


プージャはそそくさとベッドに腰掛けると、何食わぬ顔でミュシャに向かって手を上げて見せた。


「ミュシャ、ごめんな。こんな仕事を押し付けることになって。」


「姫様?謝ることなんてありません♪そのお話は散々しましたよ。それに、ミュシャは姫様と皆さんの為なら、この命、惜しくありません♪」


「そんなこと言うなよ。」


プージャの声が深く沈んだ。


「大丈夫です♪ミュシャは命は惜しくないですが、今は死にたくないので死にません。ちゃあんと帰ってきます。マルハチさんを連れて、ちゃあんと帰ってきます。だから安心して待ってて下さいね♪」


ミュシャはにっこりと微笑んだ。

その言葉にどんな意味があるのか。

どこまで分かって言ってるのか。

それは彼女にしか分からないのかもしれない。

だけど、ミュシャは、はっきりとプージャに告げ、そして部屋を後にした。

大鎌を片手でひっぱり上げ、扉を閉めるその間際、プージャに片目をつぶって見せ、ミュシャはスキップしながら自室へと戻っていった。


「らん♪らんらららんらんらん♪」


美しい歌声が遠ざかっていき、そして聞こえなくなった。




 暖炉から上がる煙に何とか始末をつけると、ふたりは再びテーブルを囲んだ。

もうさっきまでの妙な緊張は、きれいさっぱりと消え失せていた。


「マルハチ、これな、持って行って欲しいんだわ。」


プージャがマントの内側から取り出したのは、小さな革袋だった。


「これは、何かの実ですか?」


袋の中には、ドングリほどの小さな木の実が6個、詰められていた。


「これはね、クペの実って言うの。」


「クペの実?聞いたことないですね。」


「まぁね。お父ちゃんから貰ったんだけど、マリアベルの家宝のひとつなんよ。」


「家宝?そんなものが?」


マルハチは驚きを隠せなかった。

執事として勤め始めて幾星霜。

まさか未だに自身が知らされていない物が存在していたとは、夢にも思わなかった。


「うん。お父ちゃんから、家族以外の誰にも絶対に教えてはいけないって言われてたから。」


「触っても宜しいのですか?」


プージャが頷いたのを確認すると、マルハチはゆっくりとその小さな実をつまみ上げた


「この実をね、困った時に食べて。一粒で、怪我が治って、体力が回復するよ。二粒食べると、気力に満ち溢れて、神経が鋭くなる。」


「それはすごい。魔術で育てられた実なのですね。」


「だけど、一度に三粒は絶対に食べては駄目。本来の力を遥かに超えた力が発揮される代わりに、全身から血を噴いて死んじゃうから。」


その目は冗談からは程遠かった。

真剣にマルハチの目を見つめていた。


「御意。」


その目に応えるよう、マルハチも真剣にプージャの目を見つめていた。


「御意は、いやだな。」


マルハチの言葉があまりにも可笑しくて、プージャは思わず笑い声を上げた。


「?」


これがどういう意味なのか、マルハチには上手く理解が出来なかった。

それでもプージャはケラケラと笑っていた。


「今は、御意の気分じゃないよ。」


「で、では、なんと言えば?」


「そうだなぁ。『気を付けます。』くらいでいいかなぁ。」


マルハチは自分の癖毛をクシャクシャといじると、一拍おいてから口を開いた。


「はい。気を付けます。」


プージャがにっこりと微笑んだ。


「ねぇ、マルハチ。」


「なんでしょうか?」


「抱っこして。」


プージャの隣にゆっくりと腰を降ろすと、マルハチは優しくその細い肩を抱き寄せた。

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