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第157話 ブックフェスティバル・イン・タイキオ

 それは、ある晴れた冬の日のことだった。


「ぬおおぉぉぉぉぉぉ!! これが、これが人間界のブックフェスティバルかぁぁぁぁ!!!」


 すっとんきょうな叫び声が木霊した。


「なんと、なんとまぁ、素晴らしい! 見たこともないような素敵な作風! 人間の感性とは、かようまでに魔族とは一線を画するものなのか!? あぁ、これまでの我が半生、こんな甘美で魅力的な文学を知らずに生きてきたなど、文学ファンとして手抜かり以外の何物でもなかったわ!」


 わなわなとうち震え、人でごった返す広大なロビーの中心で、ひとり、愛を叫んでいた。

 その声の主の目の前には、珍妙な絵柄の美少年や美少女の描かれた無数の巨大なタペストリーが壁一面、ところ狭しと貼り尽くされていた。

 そのタペストリーの1枚1枚にじっくりと見入り、その度に奇声を発し、身悶えていた。


「プージャ様。そのように興奮されては、他の客の迷惑になりますよ」


 そんなプージャの姿に呆れ返ったように、マルハチは冷淡に言ってのけた。


「ふごぉぉぉぉ! これがモノホンのサキュバスたん!? 萌えるぅー!! 萌え尽きるぅー!!」

「視線んー!! 視線、欲しいでござるぅー!!」

「こっち! こっち向いてぇー!!」


 が、そんなマルハチの杞憂などはどこ吹く風。彼の周囲に生まれた人だかりの主達もまた、銀髪のサキュバス娘を取り囲み、似たり寄ったりな奇声を上げては大盛り上がりを見せていた。

 ちなみに、小慣れた仕草でポーズを決めるミュシャの挙動に合わせて巻き起こる歓声の傍らで、誰にも構われることなく仏頂面で佇むツキカゲの姿は見えないことにした。


「……なるほど。同じ穴のムジナというわけですか」


 その様子に妙に納得したらしく、マルハチがそれ以上お小言を言うこともなくなっていた。


「そうよそうよー。こんな素敵な場所に来たんだもの。喜びを身体中で表現しないなんて、逆に不敬にあたるってもんよ」


 ニヤニヤ……を通り越し、もはやニタニタしながら魔王は言った。

 それは、とてもとても、得も言われぬほどに、だらしのない弾けるような笑顔だった。


「……ミュシャもなんだかんだで満更でもなさそうですし、まぁ良いでしょう。ですがプージャ様、お財布だけは決して落とさぬようご留意下さいませ」


 お得意の溜め息混じりにマルハチは前髪をかき上げていた。

 その仕草に合わせるように、遠くの方でやたらと黄色い悲鳴が上がるのをプージャは聞き逃さなかったが、とりあえず今は気にしないことにした。

 何せ、お宝の山はもう目の前。そんな些事に気をとられている暇ではないのだ。


「大丈夫じゃ! 見てみぃ、こうやって、しっっっかりと首からぶら下げておるからな! 絶対に失くしはせんぞ!」


 しっかりの強調具合は尋常ではない。

 そう言いながら、使い込まれた革袋の中身を腹心に見せびらかせた。

 その中には、魔王様が1年間かけて身を削る思いで貯めた全財産。32枚のシリウス金貨と8枚のアナベル銀貨 (※日本円にして32万8千円相当) が、活躍の時を待つように静かに鎮座していたのだった。


「プージャ様。このような公の場で、お財布の中身をひけらかしてはいけませんよ。スられでもしたら、お目当てはまたしてもお預けになりますからね」

「嫌ねぇ、このおにーさんは。スリなんて、マルハチの前で出来るわけな……」


 魔王様がそこまで言ったと同時だった。


「どいて! おばさん!」


 ミュシャに群がるべく、どこからともなく現れた謎の汗まみれの集団が、プージャの華奢な体を押し退けたのだった。…………一応は忖度した上で華奢にと形容しておく。

 プージャの虎の子の金貨32枚が人で溢れ返る闇鍋の如しロビーにバラ撒かれたのは、説明するまでもなかった。


 それはその刹那に起きた。


「くおらぁぁぁぁ!! 何さらしとんじゃ、この不敬者どもがぁぁぁぁ!!」


 甲高い叫び声が会場をつんざくと共に現れ出でた人影が、熱気渦巻く人ごみを散らすようにショートソードをぶん回し始めたのだ。


「魔王様は人間界全土にとっての賓客であらせられるぞぉ!! 何さらしとんじゃ、このボケナスクソ雑魚ナメクジがぁぁぁ!!」


 一斉に散り散りに逃げ去っていく人々。

 残されたのは、大きな目にいっぱいの涙を溜めながらいそいそと必死に金貨を拾う魔王プージャ、とそれを手伝うマルハチ。取り巻きがいなくなり退屈そうに手遊びをするミュシャ。度重なるストレスによってこれから大虐殺をせんばかりにサルディナの大群を召喚していきり立っていたツキカゲ。

 そして、大きく肩で息をする人間の青年……ディセイア・オデュッセイアスの姿だけだった。


「申し訳ございません! 魔王陛下! ご無事で!?」


 納刀しながらプージャの元へと走り寄るディセイア。

 ただでさえ暑苦しい濃いめの顔を汗だくにしながら、分厚い眉を屁の字に下げ、プージャの金貨拾いを手伝うために床に這いつくばっていた。


「ああ、気にするな。ディセイア。そもそもプージャ様の不注意だ」


 マルハチが涼しげに言い放った。

 言い終わると同時にプージャの平手がそのお尻をひっぱたいたのだった。


 

 ―――神の涙との戦役から1年と少しが経っていた。

 自身の召喚した全ての魔王を制圧し、魔界全土を統治するに至ったプージャだったが、その目下の目標は、神の涙の遺志を継ぎ神を打倒するための世界統一。すなわち、人間界への進出であった。

 だが、図らずも軍門に下った人間の勇者ディセイア・オデュッセイアスの存在が、その目標を想定よりも遥かに容易にしていた。


 ディセイア・オデュッセイアス。

 この、プージャに瞬殺で気絶させられた、この彼こそが、人間界にて多大なる功績を収めた、数多いる勇者の中の勇者。

 大勇者と評してもなんら差し障りのない、人間最強の存在であったのだ。


 人間界に絶大な影響力を持つ当代きっての勇者の手引きにより、プージャ率いるマリアベルの軍勢は、人間界を統治するいくつかの巨大国家に接触する機会を得られた。

 当初こそは歓迎されるべくもなかったが、そこは人間界を代表する勇者の橋渡し。

 プージャの大志はすぐに人間界に受け入れられ、魔界と人間界はほどなくして不可侵条約を結び、同盟関係にと相成った。

 

 そして今プージャらが訪れているのは魔界と対をなす、人間界と呼ばれる大陸の中心地。

 霊峰マウント・クラーマヤーマの麓に位置する人間界随一の巨大王政国家ヤーポンの首都、タイキオ市。その一画に建てられた、様々な催し物を行うための多目的ホール。

人間界における最大の文学の祭典。ブックフェスティバル・イン・タイキオの会場であった。


「と言うか、何なのだ? この汗臭くて蒸し暑い、むしろ臭い空間は。何やら鼻持ちならん無礼な輩だらけだし、こんなんだったら緋逢(ひあい)の樹に残っておけば良かったわ」


 未だに不機嫌さを隠せないツキカゲが悪態をついた。


「ツキカゲさん、ミュシャみたいにチヤホヤされないからむくれてるんですよ♪」


 図らずも人払いの済んだロビーを後にし、アマチュア作家による即売会場を進むプージャに纏わりつきながら、ミュシャが弾むような声を上げていた。


「バカを言うな! あのような無粋な連中、あたしは何とも思ってないからな! むしろ煩わしいだけだ!」


 怒声で返した時点で図星である。

 その場の全員が思ったが、あえて口には出さないのが優しさだった。


「仕方ありませんよ、姐さん。ここに来るような連中はどいつもこいつもロリコンですから。姐さんみたいな大人のアラサー女性は連中にとってみたら敷居が高過ぎなんです」

「貴様、世が世なら今の一言で三度は死んでいたと心得よ?」


 優しさの分からない男。その名はディセイア・オデュッセイアス。

 (けな)してるのか持ち上げてるのか理解に苦しむフォローの内容に、ツキカゲは青筋を浮かべるだけという大人の対応で応えてみせた。


「仕方ないだろう。プージャ様は、人間界にもブックフェスティバルが存在すると判明してからのこの1年、この日のためだけに軍資金をお貯めあそばされてきたんだ。この場所に訪れるのは必定だし、近衛である君がこの場所に訪れるのもまた必定だ」


 歩を進めながら振り返るマルハチ。

 それに合わせてプージャも声を弾ませた。


「そうよ! 今年は小遣いが月に金貨4枚にアップしたから、去年よりも更にいっぱい貯まったんだぞ!」


 何やら誇らしげに胸を張っていた。


「つくづく貴様は幸せな奴だと思うぞ。心からな」


 世界を牛耳れるほどの力を身に付けて尚、小遣い制を貫かれているプージャに、ツキカゲは同情と憐れみを持って答えた。


「そうであろう。私はお金持ちなのだ」


 が、当のプージャは鼻歌混じり。


「幸せそうで何よりだ」


 今度のツキカゲは諦めを持って答えていた。


 


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