第154話 もういい。
―――プージャの姿が消えた。
(速い!?)
マルハチは驚愕した。
同時に、部屋中のあちこちに衝撃波が走った。
部屋中を駆け巡りながら、プージャとダクリはぶつかり合っていたのだ。
地上、空中問わず、ありとあらゆる場所で衝撃波が走る。プージャはダクリの小さな拳を受け止め、受け流し、プージャもまた、慣れぬ体さばきで掌底や蹴りを繰り出す。
ふたりのせめぎ合いは熾烈を極めた。
飛び交う衝撃波。
その中にひとつだけ、遥か遠くから響く爆発音。
違和感を覚えながらも、マルハチはふたりを瞠目していた。
速い。
だがそれは、あくまで過去のプージャにしてみれば。の話だった。
マルハチにはその攻防の全てが手に取るように分かっていた。
いかに術を用いて身体能力を向上させたとしても、長年の鍛練を積み重ねてきたマルハチや、先天的に最強のミュシャには遠く及ばない。
そんなプージャと、真っ向から互角にやり合っているダクリ……
そしてひとつの疑問がマルハチの頭から離れない。
何故、武装を解いた?
そうだ。
ダクリは、プージャを貫こうとした黒の衝動と黒の炎を解除した。
せっかく手にしたばかりの玩具をしまったのだ。
奴は今、丸腰で戦っている。みすぼらしい、初めて出会った時と全く変わらぬ出で立ちで。
(一体、何故だ? プージャ様の力に合わせてるのか? だとしても、今ここには僕もいる。遊び半分に力を抑え、僕に横槍を入れられては遊びも何も成立しないだろう)
マルハチは慎重にダクリの挙動に注意を払った。
ダクリの顔は、怒りに満ちていた。
否。
悲壮感に満ちていると言うべきか。
必死でプージャに殴り掛かっていた。
プージャはそれを受け止めていた。
もはや捌いてもいない。
ダクリが放つ、子供が母親にするような、腕を乱暴に振り回すだけの、およそ攻撃とは言えない必死の抵抗を、プージャは受け止めていた。
(一体何が起きている?)
マルハチには到底理解し得ない。
理解出来るとすれば、
それはプージャのみだ。
―――マルハチが戦闘体勢を解いたのとほぼ同時だった。
「何をしたのさ?」
遂にダクリが声を荒げた。
彼の腕は、プージャにがっちりと押さえ付けられていた。
「何を? そんなん、ダクリなら分かるでしょ?」
宙に浮かびながら、プージャもダクリも、ゆったりと宙を漂いながら、ふたりは言葉を交わし始めた。
「分かってればこんな質問しない」
「あら、意外。何でもお見通しかと」
「バカにすんな」
プージャに両腕を掴まれ身動きの取れないまま、ダクリは大きく上半身を振った。
「知りたい?」
「当たり前だよ。出し抜かれたままなんてごめんだ」
要望に応え、プージャはダクリの細い肩をしっかりと握り締めた。
「お前、言ったな? マリアベルの、私の能力は……お前が授けた能力だと」
「………………言った……けど、まさか?」
「そう、そのまさかよ」
「嘘でしょ? そんなこと、出来るわけ……いや、出来たからこうなってるのか」
「そういうこと」
「オイラが授けた能力だからこそ、今、オイラが使っている能力は……貴女の能力と全く同じものだと……」
「だから、私には分かるのよ。お前の力がどこから来て、どういう仕組みで、どう力を発揮するのか」
「そのオイラの力を逆手に取って」
「アンチマリアベルの術を施せば……」
「オイラの力を無効化出来る……」
「ツキカゲの研究のお陰さね。私の術式を、根掘り葉掘り、存分に紐解いてくれたからね」
「だとしても、あの一瞬で掛けられるものかい? ほんの一瞬じゃないか。オイラがプージャ様に触れたのなんて」
「いやー、ギリギリのラインだったよ。マルハチが助けてくれなきゃ、あのまんま惰性でぶっ刺されてたかんね」
「……オイラが言いたいのはそういうことじゃないんだけど……まぁいいか。あんな一瞬で完璧に術を完成させるなんて、プージャ様ってば」
「なにさ?」
「天才なんじゃない?」
ダクリは笑っていた。
笑いながら、プージャの手を振りほどいた。
「オイラにも魔王としての意地があるからね。悪いけど、終わりまで格好つけさせて貰うよ」
ダクリの姿が消えた。
プージャの姿もまた、消えた。
ふたりの攻防は、再び時計塔の最上部、小さな小さな、でも世界の中心の、そんな小さな部屋を揺るがしていた。
―――ダクリは懸命にプージャを追いかけていた。
だが、プージャは捕まらない。
それどころかグングンと離され、ダクリは置き去りにされていく。
マルハチは悟った。
(そうか。ミュシャ、ツキカゲ。君達は、もう……)
神の涙の力の供給源である、緋哀の樹の動力炉が破壊されたことを。
でなければ、あの程度のスピードのプージャをダクリが捉えられないはずがない。
マルハチは真剣に、ふたりの攻防を見守っていた。
もはやダクリには、生きるための力は残されてはいなかった。
徐々に彼のスピードは衰えていく。
姿を消すことすら叶わない。
体を宙に浮き上がらせることすら叶わない。
地に足をつき、ダクリはそれでもプージャを追った。
ふらふらになり、もう、立ってもいられない。
よろける体に無理やり力を籠めて、ダクリは最後の一撃を放った。
その細く、弱々しい彼の腕が、プージャの胸に触れた。
「もういい」
そんなダクリの最期の一撃を、プージャは優しく包み込んだ。
「もう……いい」
ダクリは、プージャの胸に抱かれながら、ゆっくりと目を閉じた。
緋哀の樹が揺れていた。
まるで大きな地震に襲われるように、緋哀の樹が揺れていた。