第152話 ハリーアップ!
―――地に臥し、全身から鮮血を吹き出しながら、黒薔薇の貴公子が言葉を紡いだ。
いつ事切れてもおかしくはない。
そんな状態であろうと、黒薔薇の貴公子は、気に留める様子もなく、紡ぎきった。
そんな黒薔薇の貴公子の顔を見つめながら、マルハチは前髪をかき上げた。
「貴殿方を倒す度に、プージャ様の能力が失われる……ダクリは始めからそれが狙いだったのか」
「あ……あ……そういう……ことだ……」
黒薔薇の貴公子が血を吐いた。
もう長くはないだろう。
「始めから……ほんとう……に、はじめ……から……」
「何故、僕にそれを言う気になった?」
マルハチは、ゆっくりと黒薔薇の貴公子の傍らに膝を突いた。
「なぜ……だろう……な……君が……僕に……似ている……から……かな……」
笑っていた。
「似ている……かどうかは知らないが……」
これにはマルハチも笑うしかない。まさか、そんな風に自分を見ていたなんて、思いもよらなかった。
だけど、不思議と悪い気はしなかった。
「今の話を聞いて合点がいった。ラクシャサ様が、何故、貴方を殺したのか」
「……な……に……?」
「かつて、ミスラ様に伺ったことがある。貴方とラクシャサ様が婚姻の儀を執り行った日のことを」
黒薔薇の貴公子は大きく息を吸った。
「その日、破壊神バルモンの軍勢が黒子族領に迫っていたと聞きました」
「……まさ……か?」
「やはり、貴方には知らされていませんでしたか。貴方が健在であれば、破壊神バルモンと貴方との激突は必定だったことでしょう。もし、貴殿方がぶつかり合えば、どちらかが斃れるのも必定。そこで合点がいきました。恐らく、それ自体も、神の涙の計略だったのだと」
「…………」
「きっと、そこで斃れた方の能力は神の涙に奪われていたことでしょう。だからこそ、ラクシャサ様は貴方を殺めた。魔界のため、神の涙の好き勝手にさせないために」
「…………」
「ラクシャサ様は、翌日、破壊神バルモンとの決戦に打って出て、戦死されました」
「…………」
「僕はこう思います。魔界のため、貴方を殺めはしたものの、ラクシャサ様は貴方を愛していた。愛するが故に、貴方の後を追うように、彼女もまた散っていった、と」
「………………ラクシャ……サ」
黒薔薇の貴公子はゆっくりと目を閉じた。
その目から、一滴の涙が溢れ落ちた。
「マルハチ……今……プージャは神の涙……と戦って……いる。プージャを……救い……たければ……緋哀の樹の……動力を……止めろ……それが……神の涙を……無力……化する……唯一の……方法……だ」
その口から、多量の血液が吐き出された。
マルハチは彼を見送った。
マルハチが彼に語ったことは、マルハチの創作でしかなかった。
本当のことは、もはや誰にも分からない。
時系列だけを並べれば、そうあってもおかしくはない。が、この話をマルハチに語ったミスラ自身もまた、ラクシャサの本意までは測り兼ねていた。
しかし、マルハチは心の奥底から、この話を黒薔薇の貴公子に伝えたいと思い、語った。
何故ならば、プージャと瓜二つである彼女の祖先が、己の欲のみで誰かを貶めるなどと、マルハチには考えられようはずもなかったのだから。
「行け、ミュシャよ」
―――そう言い残し、破壊神バルモンは息絶えた。
バルモンもまた、死力を尽くして戦った相手を讃え、全てを明かしていたのだ。
「ありがとうございました♪」
その大きくてゴツゴツした手を握り、ミュシャは笑顔で答えた。
「ありがとう……ございました♪」
そしてもう一度、礼を言った。
「ほう、珍しいな。貴様が泣くとは」
背後からの不意の一言に、ミュシャは反射的に身を捩ると渾身のパンチを放った。
「!?」
あまりにも鋭く、あまりにも速い。
ツキカゲが避ける隙もなく、ミュシャの放ったパンチはツキカゲの顔面を捉えると、その体内を通り抜け、背後の空間を削り取りながら何処かへと消えていった。
ツキカゲに残されたのは、あり得ないほどの恐怖心だけだった。
「あれれ? ミュシャ、失敗してしまいました」
実に残念そうな表情を浮かべ、ミュシャは自分の拳に目を落としていた。
そんな様子にツキカゲは激怒した。
「貴様、本気で殺す気か!? むしろ今のが失敗だとしても、あたし以外の魔族なら戦意喪失してるぞ! バカか!?」
少しは埋まったと思っていた自分とミュシャとの差には、どうやらこの短時間でより深い隔たりが生まれてしまったようだ。
怒鳴り散らしながら、ツキカゲは酷い嫉妬心に見舞われていた。
「えへへ♪ ミュシャ、ツキカゲさんも戦意喪失させる気で撃ったんですけど、効きませんでしたか?」
そんなツキカゲの気持ちなどはどこ吹く風。ミュシャは爽やかな笑顔を浮かべて言い放っていた。
ミュシャに言わせてみればあの一撃が効かなかったそれだけでも、ツキカゲの力を突き放せていない、己が伸びた分だけぴったりと追い付いてきている証拠なのだ。
「より性質が悪かろう! 貴様、仲間を何だと思ってるんだ!?」
あまりにも趣味の悪いミュシャの冗談に、流石のツキカゲも真剣に注意をするしかない。いよいよ持って、本当に面倒な相手になってきた。
ツキカゲは、心中で額を押さえるしかなかった。
「―――というわけで、姫様はビッグベンの中でダー君と戦っていますが、ダー君のパワーは空飛ぶロンドンと繋がっているらしいので、そっちを壊した方がいい! ってバルモンさんは仰ってました♪」
「ふむ。貴様にしてはだいぶ分かりやすい説明だったな」
ツキカゲはビッグベンと呼ばれた塔を見上げながら逡巡していた。
「ミュシャ。プージャはひとりで神の涙とやり合えると思うか?」
「んー、分かりませんが、簡単じゃないと思いますよ?」
「だよな。悩むな」
この女にしては珍しく、本気で頭を抱えていた。
出来れば、現状を理解するためにも、プージャの安全のためにも、彼女の元へと赴きたいのは確かだ。
だが、破壊神バルモンが言うように、神の涙の力の根源を断つ方が、よりプージャのサポートになる可能性が高いのも否定出来ない。
どう動くべきか。
ツキカゲは心の底から悩んでいた。
「あ……多分ですけど今、マルハチさんが勝ちましたね♪」
突然ミュシャが声を弾ませた。
「ご都合主義か!?」
そのあまりのタイミングに、ツキカゲは盛大なツッコミを放った。
「だとすれば、奴は十中八九……いや、十中十はプージャの元へと向かうはずだな」
が、すぐに切り替えた様子で時計塔を指差した。
「ならばあたし達が動力炉へと向かうべきだ。」
言いながら、今度は足元を指差して見せた。
「分かりました♪ 本当はミュシャも姫様が心配ですが、今はマルハチさんにお譲りします♪ その代わり今度、フォスターさんに有給休暇を貰います♪」
「…………貴様もいつの間にか女らしくなったな。あたしは嬉しいぞ、バカめ」
そう言って頷き合うと、ふたりは夜の闇へと消えていった。