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第138話 僕の大好きなあの子。

 ―――次に気が付いた時、マルハチの体はがんじがらめに鎖で巻かれ、その口蓋も拘束具で固められ、衆目に晒されていた。

 眼球が動く範囲だけでざっと見渡したところ、ここはどうやら屋敷の庭園のようだった。

 石舞台の上に拘束されたまま晒されている。そう理解出来た。

 衆目がマルハチを鋭く刺しているのが分かる。強い陽射しすら、マルハチを責め立てていた。


「拘束を解け!」


 太く、低い怒号が庭園に響いた。


(この……お声は……)


「俺が直々に殺す! プージャの仇は、この俺が直々に取らねば気が済まぬ!」


 聞き覚えのある、懐かしい声。

 だが、こんな怒りに満ちた声は、聞いたことがなかった。


 下命通り、マルハチを繋ぎ止めていた鎖が解かれ、あまつさえ(くつわ)すら外された。


「立て、(けだもの)よ! 俺の宝を殺めた貴様を、俺は許さん! 殺してやる! この手で、殺してやるぞ!」


 よろけつつも、マルハチはゆっくりと立ち上がった。

 そして、顔を上げた。

 そして……目の前に立ち塞がる男性を見留めると……平伏した。


(ミスラ様!)


 ゴブリン族として見れば極めて大柄な、逞しい男性。

 艶やかな黒髪は短く切り揃えられ、頭頂部には一本の大きな角がそびえている。

 マリアベル家男子伝統の正装である漆黒のチェインメイルの上に漆黒のサーコートを纏った姿。プージャの父にして、マルハチが初めて仕えた君主、ミスラ・ミラ・マリアベルXII(トゥエルブ)のものだった。

 

「何をしておる、獣め! 立て! 我が娘が味わった苦しみを貴様にも味わわせてくれる!」


 平伏したままのマルハチの鼻先に、鉄塊が突き立てられた。

 破壊神バルモンを打ち破った、彼の身長ほどもあり身幅も彼と同じほどもある、彼しか使いこなせない超重量の両刃の大剣。

 これを持ち出したということは、彼が本気で戦いに臨むことを意味していた。


(ミスラ様と……僕が……。勝てるわけがない)


 それでもマルハチは立ち上がることをしなかった。


「立て! ただ処刑などとは生ぬるい! 立って戦え! 貴様をねじ伏せなければ、プージャの無念は晴らせぬのだ!」


 ミスラの怒号が石舞台すら揺るがした。

 彼の言わんとすることが、マルハチには理解出来た。

 もし仮に、自分が同じ境遇に立ったのなら、やはり同じことを望むだろう。

 ただ大人しく死を受け入れる腑抜けなぞに、プージャが殺されたなど思いたくはない。

 それは、プージャの死に対する冒涜と同義なのだ。

 痛いほど分かる。

 マルハチは、ミスラに従う以外にないことを受け入れた。


 ゆっくりと立ち上がった。


「それでよい。さぁ、掛かってこい。プージャの仇だ。貴様を押し潰してくれるわ!」




 ロンドンの街の片隅。

 石畳の上で、銀狼が立ち上がった。

 無人の街角でひとり暴れている。それだけだった。


「くく……」


 実に無様だし、滑稽な姿だ。

 何かと戦っているつもりだろうが、ただ単に飛んだり跳ねたり、時には自分から倒れて見せたりしているだけ。

 

「これが本当の幻術の恐ろしさだよ。マルハチ」


 赤レンガのアパートメントホテルの屋根の上。

 そんな情けないマルハチの姿を眼下に捉えながら、黒薔薇の貴公子はほくそ笑んだ。

 ウェーブの掛かった長い黒髪が、黒い詰め襟のスーツの上に羽織ったマントが、夜風にたなびいていた。

 

「前回は確かにハメられたよ。まさか幻術を逆手に取るとはね。だが、それは僕と敵対するために準備をしていたからこそ。幻術とは、こうやって気付ぬうちに仕掛けるものなのさ」


 無論、マルハチに聞こえようはずもない。

 だがあえて口に出さねば気が済まないのも事実。

 それほどまでの屈辱を味わった。

 己の術を利用され、あまつさえ過去の心的外傷を利用された。

 彼の魔王としての……いや、いち魔族としての矜持は、マルハチの手によってズタズタに引き裂かれたのだ。


「お前だけは許さないよ。絶対に許さない。この世で最も愚劣な死に様を晒すがいい。」


 黒薔薇の貴公子の嘲笑が夜風に乗って街に響き渡る。それでも尚、マルハチはひとり、幻の中の君主と戦い続けていた。



 背後に気配を感じた。

 決して隠してはいない。いや、彼女は気配を隠すような芸当を持ち合わせていない。

 何処からか緩やかに飛来し、黒薔薇の貴公子の背後に降り立った。


「流石ですね、レーヴァテイン……いえ、黒薔薇の貴公子様……」


 虚ろうような、上ずった声がその口から放たれた。

 黒薔薇の貴公子は振り返る。まるで待っていたかのように。


「ほう……どういう風の吹き回しだい?」


 目の前に立っていたのは、長身の女性。

 前頭部、両のこめかみの辺りには、下ろされた長い黒髪の隙間から覗く小さな2本の角。

 漆黒のボディスーツを身に纏ったその姿は、黒薔薇の貴公子もよく知るものだった。


「プージャ」


 プージャは笑みを浮かべると、稀代の美丈夫と呼ばれた黒子(シャドー)族史上唯一の魔王へとすり寄った。


「何を仰います。私は貴方様の妻にございますよ」


「妻……だって?」


 黒薔薇の貴公子は、プージャから離れるように一歩後ずさった。

 一体何を考えているのか。

 この女は自分を謀った女だ。

 彼の心は、強固な理性によって保たれていた。


「私は考え違いをしていたのです。あのマルハチに騙されて。私の心は、貴方様の物でございます。」


 それでも尚、体を寄せてくるプージャ。

 

「信じられるものか!」


 黒薔薇の貴公子は、彼女を力任せに突き放した。

 プージャは弱々しくよろめき、そして屋根からせり出していた突起に足を取られ、バランスを崩した。

 そのまま傾斜のきつい屋根の上を転がり、まっ逆さまに階下へと転落していった。


「な!?」


 その瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。

 プージャの転落に、黒薔薇の貴公子は恐怖したのだ。

 急いで階下を覗き込む。その視線の先には、鮮やかな血の花を咲かせたプージャが、虚ろな瞳でこちらを見つめているだけだった。


「…………嘘だ…………」


 自分でもおかしいと思う台詞が口を突いていた。

 

「嘘ではありません」


 背後から声を掛けられ、黒薔薇の貴公子は咄嗟に振り返った。


「こうしたかったのでしょう? 貴方様の望み通りではありませんか」


 そこに立っていたのは、プージャだった。


「な!? え!? 君は……」


 黒薔薇の貴公子は再度、階下を覗き見るも、やはりそこにはプージャの遺体が横たわっていた。


「望みが叶ったのですよ? もっと喜んで下さいませ」


 黒薔薇の貴公子は立ち上がり、目の前に佇むプージャに向けてレイピアを突き出した。


「何者だ? 一体、何が起こっている?」


 その問いに、プージャは笑った。


「これが望みでしょう? 貴方を陥れ、貴方から魔王の座を奪った、ラクシャサ大叔母様へ、貴方は復讐したかったのでしょう?」


 言いながら、プージャは髪をほどいた。

 頭頂部で結われた黒髪の蕾から、1本の小さな角が露になった。

 それを目にした瞬間、黒薔薇の貴公子は、全身の血が沸き上がるほどの想いに駆られた。


「そ……んな……バカ……な?」


 もう一度、黒薔薇の貴公子は階下を覗き込むために身を乗り出そうと、振り返った。


「何故なの?」


 振り返った途端、視界は血まみれの女で埋め尽くされた。

 黒薔薇の貴公子は、目を見開いた。 

 真っ赤に染まった両手で彼の頬を撫でながら、女は必死に黒薔薇の貴公子にしがみついていた。



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