第132話 黒の障壁
―――遥か天空で光の筋が走った。
地上から見れば、それはまるで稲妻の如し。
放たれた稲妻は緋哀の樹を包んだ球体に沿うように流れると、空高く飛んでいった。
プージャは、そしてツキカゲは、それを目にした瞬間、何が起きたのかを悟った。
「黒の障壁展開用意!」
躊躇なくプージャが声を張り上げた。
「御意!」
その号令に従い、ツキカゲは屋上に設置した大龜に向けて魔力を注ぎ込み始めた。
「予想はしてたが、やはりガードしてきたか!」
悪態をつきながらも、プージャは魔力を練り上げる。
「貴様のネガティブな予想は常に当たるな!」
ツキカゲは笑った。
「私なら考えるもんね! 昔一発ぶっこまれたやつなら、次はやられないように守るもん!」
「同感だ!」
ツキカゲの相槌を待たずして、プージャは練り上げた魔力を龜に向けて注ぎ込んだ。
黒の炎を黒の衝動で変質、操作することにより生み出される、今現在の魔界で最も堅牢な防御壁。それが黒の障壁だった。
龜から噴き上がった黒の障壁が草原の町を覆い尽くした、それと同時だった。
緋哀の樹から、紅い雨が降り注ぎ始めた。
落涙だった。
「これも予想通り! 来たね、カウンター!」
サルコファガス砦を更地に変えたものとは別物に思えた。
恐らくはツキカゲの居城を瞬間的に破壊した、あの時の落涙。
雨と言うよりは、紅い光の帯。
落涙の真の姿とでも言うべきなのだろうそれが、プージャ達のいる町へと打ち付けられたのだ。
「うえぇー! すごいぃー!」
黒の障壁に浴びせられる凄まじい圧力に、プージャは思わず悲鳴を上げていた。
「堪えろ! この一月、何のために頑張ってきた!?」
黒の障壁を噴き出す強度を最大に保つため、龜に魔力強化を行っているツキカゲが叱咤した。
「分かってるわ、やかましい! 泣き言という名の気合いだぁー!」
自信があるのかないのか不明な気合い一閃。
プージャの放つ魔力が一気に膨れ上がった。
その濃度、密度たるや、およそ現実とは思えないほどに禍々しく猛り狂っていた。
(こんな力をゴブリン族が出せるものなのか)
あまりの膨大な魔力量に、ツキカゲは内心では舌を巻くしかなかった。
(悔しいな)
紅く輝く光の帯が、次第に力を失い始めるのを感じた。
それは徐々に顕著になり、町を飲み込むほどの奔流は、収束の一途を辿ってゆく。
そして気が付いた時には、
「早く終わってぇー!」
プージャの情けない気合いの雄叫びと共に、夜の闇へと消えていった。
残されたのは、確かに縁には、深い円形の奈落こそ生み出されていたものの、居住区そのものには一切の破壊は見受けられない、無傷の町の姿のみだった。
「しゃあ! おねーさんの勝ち!」
魔力の放出を終え、プージャは思い切り両腕を上げながら吠えた。
言葉通りだ。
プージャは凌いだのだ。
絶対であるはずの、
神話において数々の魔族の居城を葬り去ったはずの、
神の鉄槌【落涙】を、
凌ぎきったのだ。
残されたのは、秋の夜の静けさ。
そして、虫達が奏でる涼しげな音色のみだった。
「姫様ー♪」
―――ほどなくして軽やかな声が虫の合唱を遮った。
見上げると、頭上には急降下してくる銀狼。そしてその背に乗ったミュシャの姿が捉えられた。
「マルハチさん、失敗してしまいましたよー♪」
その声は、滅多にないほどに軽く弾んでいた。
「他人の失敗を喜ぶ奴があるか!」
同時にマルハチの抗議の声も響いてきた。
どうやら落涙の発動を受け、プージャが心配になって急ぎ引き返してきた。そんなところのように思えた。
上空で小さく旋回すると、マルハチはゆっくりとプージャらの傍へと着地した。
「申し訳……」
「見ましたか? マルハチさん、また失敗したんですよ♪」
マルハチの謝罪を遮り、ミュシャが更に嬉しそうに声を弾ませた。
「しつこい!」
これにはマルハチも激怒した様子で、威嚇するように思い切り牙を剥き出していた。
「貴様ら! いつもそうだが、もう少し真面目になれないのか!? バカ共めが!」
あまりにも緊張感は、ない。
ツキカゲはマルハチを更に凌ぐ勢いで怒声を上げて応じて見せた。
「こっちは命懸けで落涙を防いだと言うのに、間抜けか!? このドサンピンが!」
どうやら冷静さを失った、本気の怒りらしい。
ここでこのまま感情に任せて言い争いになるのは旨くない。
プージャはそうなる前に手を打つことにした。
「はいー、そこまで。お戯れはまた後にして、次よ。次」
その大人の対応に度肝を抜かされたのか、3人は一斉に固まると、プージャへと振り返った。
「次? だと? 何か手を考えているのか?」
ツキカゲが問い掛けた。
それに対し、プージャは腕組みをしながら答えた。
「手は……ない!」
「ないのか! バカめ!」
前にも見たようなやり取りが展開されただけだった。
だが、これは前振り以外の何物でもないことは、3人には周知の事実だった。
「申し訳ありません、プージャ様。して、次はどのような手を?」
改めてマルハチが問い直した。
「うん。状況を間近で分析したわけじゃないから確実性はないけど、恐らくは火力不足が原因でしょ? 逸らされたのは」
まるで火が燃えるのを表すかのように、プージャは指をヒラヒラと回しながら言った。
「恐らくは仰る通りです」
実際には認めたくはないだろうが、マルハチは素直に答えた。
「なら火力を上げよう。一球入魂。今出せる最大火力をぶつけてみようか」
「最大火力? どうするのだ?」
ツキカゲが問うた。
それに対し、プージャは満面の笑みで応えた。
言葉通り、拳を握って、突き出して見せながら。