第10話 開戦の業火は姫様の覚悟と捉えよ
「これはこれは、マルハチ殿。」
砦の奥に構える簡素な部屋が指令室だった。
薄暗い部屋の壁にピタリと平行に置かれた机の上は、驚くほど綺麗に整頓されている。
これだけでも、この部屋の主がどんな者であるのかが一目で分かる。
机で書き物をしていた小さなゴブリンが顔を上げ、マルハチに声を掛けた。
「ご無沙汰しております。エッダ将軍。」
そのゴブリンに、マルハチは丁寧にお辞儀をした。
「貴殿がいらしたということは、遂に姫殿下も?」
その言葉にマルハチの顔が曇った。
「それが……」
「はっはっはっ。その顔を見れば察しはつきますな!」
口ごもるマルハチを見て、エッダ将軍が笑い飛ばした。
「申し訳ありません。」
「なに、貴殿がいらしてくれただけで兵の気持ちも和らぐと言うものです。」
「それで、戦況は?」
エッダは側頭部に生えた小さな角を撫でながら、言った。
「ふむ。良くはないが、最悪でもない。と言ったところですかな。」
それは事実だった。
初戦の大敗を受けて尚、この砦は敵の大群に対して善戦を続けていた。
マルハチの危惧したような事態に陥ることなく、誰ひとりとして寝返ることもなく、この前線部隊は耐え忍んでいたのだ。
「皆、よくやってくれております。私も鼻が高い。」
それは偏に、この小さな将軍の人格の賜物だった。
ゴブリン族と言えば、魔界でも人間界でも、全ての魔族の最下層にあたる種族。
しかし、この男は、一兵卒から叩き上げで将軍にまで登り詰めた。
故ミスラ・ミラ・マリアベルはこの最弱の魔族であるエッダの人徳を寵愛し、取り上げた。
彼はその想いに応え数々の戦果を上げ、マリアベル軍の結束を現在の強固なものに作り上げた。
敵軍から接収された兵のひとりとして、その下を離れようとは思わない。
これほどまでに纏まった軍隊は他にはないだろう。
この男無くして、マリアベルの存続は無いとさえ言えた。
「本当に、皆さんには頭が上がりません。」
「なに。それもこれも、貴殿や姫殿下がいらっしゃるからこそ。我ら、必ずやこの局面を乗り切ってみせましょうぞ。」
「かたじけない。」
マルハチは再び深く頭を垂れた。
「顔をお上げ下さい。我々は同士。過度な気遣いは無用です。して、今日は如何ようなご用件かな?」
「はい。プージャ様の御下命により、私めも戦列に加わらせて頂きます。」
「それはそれは!」
マルハチの言葉を受け、エッダのゴツゴツした小さな顔が綻んだ。
「マリアベル最強の戦士が加わるとなれば鬼に金棒!兵の士気も上がりましょうぞ!」
「そんなこと……。微力かとは存じますが、このマルハチ、全力で勝利に向けて身を削ります。」
「うむ!宜しくお頼み申し上げますぞ!では部隊を再編せねばなりませんな。マルハチ殿には一個大隊をお任せしたい!」
「御意。」
エッダは早速、各大隊長を召集し、作戦会議が開かれた。
日が落ちる頃に始まった会議は、夜明けまで続いた。
何度も何度もシミュレーションを繰り返し、マルハチ達が導きだした答え。
それは、
―――日が登り、マルハチは野戦病棟を訪れていた。
殺風景な大部屋に並べられた簡易的なベッドは負傷者で埋め尽くされていた。
それどころか、ベッドが足りず、軽傷者は床に敷かれた毛布の上に横たわらなければならない程だった。
忙しなく部屋を動き回る衛生兵の邪魔にならないよう慎重に歩きながら、マルハチは負傷者に声を掛けて回った。
マルハチを目にした者は皆、一様にして嬉しそうな素振りを見せてくれた。
その度に、マルハチの心は締め付けられた。
「あ、マルハチさん。」
そんなマルハチに声を掛けてきたのは、見覚えのあるゴブリン族の少女だった。
「君は、確か……」
「ミュシャの友達です。ペルシャといいます。ちゃんとお話しするのは初めてでしたね。」
「そうか、ペルシャ。」
マルハチはペルシャのベッドの脇に膝をつくと、横たわる少女の手を握った。
「マルハチさんの手は温かいですね。」
にっこりと微笑んでいた。
彼女の手は、とても冷たかった。
この者達の為にも、この戦いは結果を残さねばばならない。
マルハチが覚悟していた通りだった。
エッダ達の導き出した答え。
偃月の陣をとり、中央突破で石棺の帝王の首を獲る。
その役目は、マルハチのものとなった。
(刺し違えてでも、この手で!)
背後から、どよめき声が聞こえてきた。
それは、歓喜であり、感嘆であり、困惑であった。
人々が口にしたその名に、マルハチは振り返り、そして同じ名を口にした。
「プージャ、様?」
漆黒のボディスーツ。漆黒のマント。牡牛の角をモチーフにした兜を冠した、主の姿がそこにあった。
大部屋の入り口に立つ、プージャの姿がそこにはあったのだ。
「プージャ様!」
入り口から見渡す光景、プージャは言葉を失っていた。
このような、このようなことがあって良いのか。
大勢の兵が横たわっている。
皆が負傷している。
ある者は腕を、脚を失った。
ある者は光を失った。
ある者は、感じる術を失った。
一目で分かる。
巻き付けられた包帯はドス黒い血で染まり、もう二度と元のように戻ることはない。
一目で分かるのだ。
私は、私は、私が、私が目を背けてきたものは、
私が、私がもっともっと、もっと早くから、
私が、
私が!
「プージャ様!」
マルハチの声が聞こえた気がした。
…………私が。
マルハチの全身を戦慄が駆け抜けた。
プージャの瞳が、真っ黒く輝いていた。
光を失い、ただただ、真っ黒に。
マルハチには分かった。
プージャは今、憎悪に支配されていた。
プージャはマントを翻すと、まるで放たれた矢のように部屋を後にした。
「プージャ様!?」
マルハチも直ぐ様その後を追った。
しかしプージャは速かった。
通路を走り抜けると、階段を駆け登っていく。
マルハチが全力で追いかけても、プージャはぐんぐんと引き離していくのだ。
プージャを見失いそうになりながらマルハチが曲がり角を曲がると、誰かとぶつかりそうになった。
「すまない!」
「あ、マルハチさん♪」
それは大きな包みを担いだミュシャだった。
「ミュシャ!?やはりさっきのはプージャ様だったのか。」
「はい♪姫様といっぱいおにぎり作ってきました。皆さん、美味しそうに食べてくれてますよ♪」
「そうか、君がプージャ様を連れてきたのか。すまない、プージャ様がどこに行かれたか見なかったか?」
「姫様ならあっちに行きましたよ♪」
ミュシャが階段を指差した。
「ありがとう!」
マルハチは再度、プージャを追って走りだした。
「マルハチさんも後でミュシャのおにぎり食べて下さいね♪」
背後からミュシャの声が聞こえた。
「ああ!必ず頂く!」
後ろ手を振りながら、マルハチは階段に足を掛けた。
螺旋階段の遥か高い場所にプージャの姿を見付けた。
マルハチは声を上げた。
「プージャ様!どちらへ!?」
マルハチの声はプージャには届いていなかった。
何も感じず、プージャはただただ走った。
向かうべき場所は、
砦の頂上。
物見櫓の上だった。
プージャは櫓の上に立つと、石棺の帝王の軍勢を見渡した。
ずっとずっと奥の方。
居並ぶ兵に守られるようにして大きな椅子に腰掛ける、三つ首の魔族を捉えた。
プージャは腕を天にかざした。
その掌から、激しく燃え盛る黒い炎が柱のように噴き出した。
―――「魔王様!砦から炎のようなものが上がっております!」
衛兵のひとりが石棺の帝王の前に跪き、報告を行った。
「見えておる。何だ?あれは。」
「確かではありませんが、あれは恐らく、」
衛兵が言い終えるよりも早かった。
砦から噴き上がる黒い炎がその根本に収束したかと思うと、真っ黒い球体となり解き放たれたのだ。
「プージャ・フォン・マリアベルXIII!」
石棺の帝王の三つ首のうち真ん中のひとつに、真っ黒い炎の弾丸が直撃した。
一瞬で石棺の帝王の髑髏頭は蒸発し、突き抜けた炎により周囲は火の海となった。
―――全員が見守っていた。
砦の頂上で、君主が何をしようとしているのか。
砦にいる全員が見守っていた。
プージャが生み出した黒い炎は、黒い衝動により圧縮され、小さな黒い太陽のように輝いていた。
その太陽を、プージャは石棺の帝王目掛けて解き放った。
そして次の瞬間には、石棺の帝王の首のひとつが消し飛んでいたのだ。
誰もが理解できず、砦中を沈黙が包み込んだ。
「ふ、ふは、ふはは、ふはは!ふはははは!」
初めに声を上げたのは、石棺の帝王だった。
「やってくれたな!比較的ばばあ!」
胴体から無数の細い骨が飛び出してくる。
まるで蔦が絡みあっていくように、互いに巻き付きあい、それは次第に形を作っていく。
跡形もなく蒸発したはずの真ん中の髑髏首は、何事も無かったかのように再生したのだ。
無論、石棺の帝王の言葉は砦には届いてはいない。
が、プージャは何故か無性に腹が立ってきた。
「武器を取れ!」
目をつぶりながら声を張り上げた。
「わああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
爆発したかのようにル・タラウス砦中の兵士達から歓声が上がった。
「ぶっ潰すぞぉー!!!」
このプージャの号令が、開戦の狼煙となった。




