第126話 ミュシャの居場所
そして、時は来た。
サルディナの群れは、霧散した。
その光景を目にし、ツキカゲは口角を上げ、背後へと振り返った。
そこに立っていたのは、言わずもがな。
巨大な、それこそ2メートルを超えるジョハンナの身長と同じほどの長さの金棒を携えた、魔界最強のメイドの姿だった。
「…………」
自分でも思わず体が動いてしまったのだろう。その表情は曇ったままだ。
だが間違いなく、ミュシャは立っていた。
立って、仲間を救ったのだ。
「冴えない面しやがって」
ツキカゲは立ち上がると、巨大なサルディナを5体、周囲に浮かび上がらせた。
「ミュシャは…………ミュシャは!」
「やめとけ。貴様の気持ちは分かる。矛盾だらけの貴様の気持ちがな」
「ツキカゲさん、ミュシャは!」
「やめとけと言ったろう。貴様の頭では考えるだけ無駄だ。余計にこんがらがるぞ」
「ミュシャは! ミュシャは!」
「結局、貴様はそういう奴だ。理屈なんかじゃない。目の前で誰かが傷付いてりゃ助けるし、そのためには手段も選ばない。選ぶような余裕もないんだろうがな」
言いながら、自らの腕に目を落とした。
ジョハンナの金棒に押し潰されてひしゃげた自らの腕に。
「す、すみません」
ツキカゲは潰れた腕をバゼラードで切り落とすと、小型のサルディナを傷口にめり込ませた。
「もういい。シンプルなのが貴様の美徳だ。シンプルに行くぞ」
言うと、5体のサルディナが音もなく前へと進んでいく。
今のツキカゲが持ち得る魔力の全てをこの5体に籠めた。
あの金棒を手にしたミュシャとやり合うには、数よりも質。
ツキカゲの覚悟の現れだった。
「あたしから貴様に言えることはひとつだけだ」
ミュシャが金棒を構えた。
ツキカゲもまた、サルディナを構えた。
「てめーの居場所はてめーで見付けろ」
ある日の昼下がり。
マリアベル屋敷の廊下にて。
ふたりは再び、激しくぶつかり合った。
―――それからどのくらいの時間が経ったのだろう。
「お見事。ですわね」
床に倒れ伏すツキカゲの顔を覗き込み、ジョハンナが言った。
その傷だらけの顔には、笑顔が満ち溢れていた。
「まさか本当にミュシャ殿を立ち直らせるとは」
その隣では、頭巾をたくしあげた眉目秀麗な青年……ペラもまた、笑顔を浮かべていた。
「黙れ」
いつもの如く四肢を失い、身動きのひとつも取れないながらも、ツキカゲは悪態をついて見せた。
その目線の先では、銀髪のサキュバスが肩を大きく上下させながらへたり込んでいるのが見えた。
ところどころ怪我をした様子で、髪の生え際から血が流れ出ていた。
そんなミュシャを気遣うように、フォスターが甲斐甲斐しく上着を肩に掛けてやっていた。
「クソが。精一杯やっても掠り傷程度か」
その姿を捉えたツキカゲが吐き捨てるように呟いた。
「冗談でしょう? 貴女、あのミュシャに傷を負わせたのですよ」
「ああ。誇りに思え。貴殿はもう、伝説に名高い魔王達にすら匹敵すると言えよう」
そんなツキカゲの口惜しそうな様子を、ジョハンナは手放しで讃えた。それはペラも同様だった。
「黙れ」
それでもツキカゲは悪態を止めなかった。
この女は、どうしてもミュシャを倒したかったらしい。
「貴女もしかして、本気でミュシャを打倒しようとしていたんですの?」
そのあまりの執着に、ジョハンナは呆れるしかなかった。
元々はここにいる4人が考えたことだった。
ツキカゲが反乱を起こし、ジョハンナら3人をツキカゲが制圧する。
その様をミュシャに見せ、彼女の奮起を促す。
荒療治以外に他ならないが、ツキカゲの強い希望によって、それは実行された。
流石のミュシャと言えど、今のツキカゲが反乱を起こすなどとはにわかに信じようはずもない。また、気持ちの入っていない戦闘など、ミュシャにはすぐに看破されてしまうだろう。
ジョハンナの提言により、彼らは己の肉体を傷付けてでも、その猿芝居を成立させようと誠心誠意を籠めて取り組んだ。
その結果、彼らは互いに本気でやり合ったし、実際に怪我まで負ったわけだが、ツキカゲのそれは他とは一線を画していた。
「黙れと言っておろうが!」
どうやら図星だったようだ。ツキカゲは顔を真っ赤にし怒鳴り散らしていた。
「ツキカゲさん」
そんなツキカゲの元に、ミュシャが歩み寄ってきた。
「げろげろバナナ、出せますか?」
おもむろにしゃがみ込むと、弾けんばかりの笑顔で問い掛けた。
「無理だ。針ほどの大きさでも出せん」
寝そべったまま顔を背けたツキカゲの口許に、ミュシャが何かを差し出した。
それは、クペの実だった。
「またそれか……そいつは魔力よりも先に肉体から治すから嫌いだ。再生に痛みを伴うからな」
そんなツキカゲの肢体からは、鮮やかな血液が流れ放題であった。
「食べないと痩せちゃいますよ?」
まぁ言ってることは分からなくもない。放っておけば失血死は免れないだろう。それに、今ですら既に死ぬほどに痛い。
仕方なくツキカゲは口を開いた。
「はい、あーん♪」
相変わらずに不味い実だ。ツキカゲは心中で独りごちながら実を噛み砕き、宙を眺めていた。
また負けた。
彼女の頭は、そのことでいっぱいだった。
「ツキカゲさん?」
そんなツキカゲの顔を、ミュシャは更にまじまじと覗き込んできた。
「この戦いがぜぇんぶ終わったら……」
太陽よりも輝く笑顔で。
「もう一度、本気で戦いましょうね♪」
ツキカゲも笑顔で返した。
「次は負けないからな」
「はい! ミュシャ、頑張っちゃいますから♪」
ふたりの笑い声は、廊下に響き渡っていた。
そんなふたりの声を聞きながら、ペラは小さく溜め息をついた。
(ミリア、すまない。あわよくば、とは思ったが、小生では届かなかった。だが……彼女らであれば……君の分まで本気で生きてくれるだろう。小生もまた、君の分まで)
空は青く、緋哀の樹は紅かった。




