第124話 ジョハンナとペラ
咄嗟に庇うように、フォスターはミュシャの頭を抱え込んだ。飛び散るガラスや木片がふたりに降り注ぐ。
破砕音の後に聞こえてきたのは、誰かが床に着地したらしき衝突音だった。
「ジョハンナさん!」
フォスターが声を張り上げた。
「フォスターさん! あなた、まだこんな場所に!」
顔を上げたミュシャが見たのは、巨大な金棒に体を預けるように膝を突いた、傷だらけの上司の姿だった。
「ミュシャを連れて早くお逃げなさいと言ったでしょう!」
「申し訳ありません!」
「早く! まだ間に合います! ここはわたくしに任せて、お行きなさい!」
ジョハンナがフォスターを激しく叱責したが、視線を巡らせることはしなかった。
彼女の視線は一点を見据えたままだった。
ミュシャの部屋の外。
日の射す中庭に、それは浮き上がっていた。
無数の、一目では数えきれないほどに無数のサルディナを周囲に漂わせた、魔界最強の暴君が、そこに立ちはだかっていたのだ。
「見付けたぞ。クソゴリラ娘め」
ツキカゲが笑みを浮かべる。同時にサルディナが襲い掛かってきた。
「ツキカゲ!」
気合い一閃。ジョハンナは金棒を振り上げると、窓際に配置されたミュシャのベッドへと得物を叩きつけた。
反動で跳ね上がるベッドに、サルディナ達が突き刺さる。そのまま手首を返すと、ジョハンナはツキカゲの使い魔達をベッドごと殴りつけた。
オーガ族の強烈な膂力によって、ベッドは粉々に砕けながら中庭へと打ち出された。
狙いはツキカゲ。
木片と化したベッドはサルディナを巻き込み、無数の刃の如くツキカゲへと襲い掛かる。
「下らん」
が、ツキカゲの思念ひとつでサルディナ達は体勢を立て直すと、飛来する木片を空中で叩き落とした。
しかしそんなことは想定済みだ。
ジョハンナの狙いは、ベッドの死角に入り込んでツキカゲへと接近することだった。
全ての木片が打ち落とされたその時には、既にジョハンナはツキカゲの懐へと潜り込んだ後だった。
「喰らいなさい!」
渾身の力を込めた金棒が蘇りし暴君へと襲い掛かる。
「はんっ! 下らんと言ったぞ!」
ツキカゲが息を吐いた。
豪壮な激突音が中庭に響き渡った。
ツキカゲは、ジョハンナの強力な一撃を受け止めていたのだ。
使い魔達を使ってではない。素手でだ。
「そんな!?」
ジョハンナから驚嘆の声が漏れた。
ツキカゲは決して肉弾戦が得意なわけではない。むしろ苦手と言える。彼女の本領は、サルディナ達を使役した同時多角攻撃により、初めて発揮されるのはずだ。
そのツキカゲが、腕力で数段上回るはずのジョハンナの一撃を、受け止めたのだ。
ジョハンナ以外の魔族では、持ち上げることすら容易ではない、超重量の金棒での一撃を。
「今までの朕だと思うなよ?」
その顔には、未だに笑みが湛えられたままだった。
「ちっ!」
ジョハンナは金棒を引いた。目にも止まらぬ速さで。そして全く同じ速さで打ちつけた。
が、ツキカゲはそれすらも容易く受け止めて見せた。
「うりぃあぁぁぁぁぁ!」
咆哮と共にジョハンナは金棒を振り回すと、何度も何度も打ち下ろす。まるで小刀でも振り回すかのように、軽々と振り回していた。
このラッシュには、流石のツキカゲも受け流すので精一杯のようだ。
ふたりはその場に留まると、超高速の攻防を繰り広げていた。
「す、すごい。ジョハンナさんの全力の攻撃を生身で。ギガース族でも簡単には出来るもんじゃない。」
フォスターが乾いた声を上げた。彼はそのあまりの光景に、ふたりの攻防を注視したまま動けずにいた。
ミュシャもまた、動く気配もなくその場にしゃがみ込んだままだった。
そんなふたりに、サルディナの群れが襲い掛かった。
「そんな!?」
フォスターが声を張り上げた。
全力のジョハンナの攻撃を正面から受けて尚、ツキカゲは同時に使い魔を使役したのだ。その数、ざっと見積もっても両手では数えきれないほど。
鋭さを微塵も落とすことなく、ツキカゲの殺戮獣がふたりに喰らいつかんとしたその刹那だった。
「何を悠長な真似を」
冷たい声と共に、宙を裂くサルディナ達は、真っ二つに切り裂かれた。
フォスター達を庇うように窓際に立ち塞がっていたのは、ひとりの黒子族だった。
「グズグズするな。早く逃げろ」
「ペラさん!」
黒薔薇の貴公子配下独特の黒頭巾を被った、およそ正体を掴ませない出で立ち。声すらも大した特徴があるわけでもない。
しかし、多数のサルディナ達を瞬時に葬った先ほどの攻撃。
目に見えぬほどの細い糸を自在に操って敵を切り裂く、独特の得物。そんな複雑かつ繊細な攻撃方法を持つ者は、この黒子軍団の長しか存在し得なかった。
「っあ」
フォスターに抱きかかえられたミュシャから、小さな声が漏れたのが聞こえた。
だが、それを遮るようにペラは続けた。
「幻術で煙幕を張る。屋敷を出て身を隠せ」
「分かりました。ペラさんは?」
「小生はここで、ジョハンナ女史と共に反逆者を食い止めよう。」
フォスターは立ち上がると、ミュシャの体を引き起こそう手を握った。
そんなフォスターの手を、ミュシャは振りほどいた。
「あ……あの……ペラさん……」
ミュシャはよろめきながら立ち上がると、その名を口にした。
親友ミリアが好いた、その名を。
「ミュシャ殿。早く行きなさい」
しかし、ペラは振り返りもせずにそれだけを言った。
ミュシャは言うべき言葉を失い、その場で立ち尽くすしかなかった。
そんなミュシャの姿が見えているのだろうか。やはり振り向きもせず、ペラは続けた。
「もし君がいなければ、ミリアの無念は誰にも晴らせなかっただろう。礼を言う」
その言葉を聞いたミュシャの表情が、今にも落ちてきそうな空のように厚い雲に覆われていったのを、フォスターだけが見逃さなかった。
「ミュシャ、逃げよう。一緒に来るんだ」
もう一度、フォスターがミュシャの手を引こうと握った。
今度は、それを振りほどかなかった。
ふたりは、部屋を後にした。