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第121話 マリオ・ヴェ・ヌール村のアースラ

 プージャは思わず前のページを捲り返したほどに驚いた。


(え?負けた?ヴェルキオンネ、負けた?)


 それは彼女が、いや、全ての魔界の住人が知る物語では、なかった。


(え?負けたって、負けてどうなるの?え?てか、負けたの?)


 プージャは急いでページを捲った。

 その先には、手と手を取り合う英雄と魔王の姿が描かれていた。


(ヴェルキオンネは神の涙に敗北した。しかし、神の涙はその健闘を称え、ヴェルキオンネを英雄と認め、彼の子孫が生き続ける限り、姿を現さないと約束をした。その代わり……)


 ページを捲る手が震えていた。


(その代わり……神の力を持つ魔王の庇護の元、魔界を治めよ……と命令された……)


 それが最後のページに記された文言だった。



(どういうこと!?ヴェルキオンネは、ダクリの軍門に下ったってこと!?私達が知ってる伝承とは真逆じゃんさ!)


 息をすることも忘れるほど、プージャは驚いていた。しばらくの間、動くこともままならなかったほどだ。


 だが気が付いた。


 この結末の描かれた1冊の後に、更に倍近いほどの続きが存在していることに。



(神の涙に破れたヴェルキオンネは魔界の盟主となり、ドラゴン族の治世が始まった。それからしばらくは平和な時代が続いたが、神の涙を恐れて鳴りを潜めていた他種族も活動を再開させており、ヴェルキオンネが天寿をまっとうすると同時に魔界は再び戦乱の世に変わった。)


 その次のページには、ヴェルキオンネの子孫とされるドラゴン族の姿が描かれていた。


(ヴェルキオンネの血筋の者が再度、魔界の覇権を握ったのはそれから……ええと……時代は読めないな、掠れてる。んと、とにかく、それから何度かドラゴン族の時代がやっては来るんだな。なんか今とあまり変わらんな。魔族は争ってばかりだ。)


 そのような取り留めのない戦記と言うべきか、英雄譚が膨大な年月の分続いた。

 プージャは一気に読み進め、遂にヴェルキオンネの伝承も終わりに近付いた頃、その小節が始まったのだった。


 【ヴェルキオンネ・サーガ第99節 天霊(てんりょう)ブローキューラ】


(て、天霊……ここが最終節なのか。)


 改めてプージャは本棚へと目を向けた。

 ヴェルキオンネ・サーガが収められた棚に、既に続きが綴られた本は残っていていない。

 正真正銘、最後の1冊ということだった。


(天霊ブローキューラは、ヴェルキオンネの血筋ではあったが、もはやその血は薄く、ほぼ英雄の色は示せなかった。ブローキューラは暴虐の限りを尽くし、魔界を力で支配した。しかし、それだけに飽き足らず、彼の魔王は己の神祖を超える企てをした。……やりそう……)


 ページを捲るとそこには、大空を埋め尽くすほどのドラゴン族達の姿が描かれていた。


(天霊ブローキューラは神の涙を墜とすべく、魔界中の空という空を探索した。そして遂に……常闇と魔界の狭間に、緋哀の樹を見付けるに至った。……しかし、血は薄れ、天霊ブローキューラはヴェルキオンネのように緋哀の樹に届くこと叶わず……憤怒した天霊ブローキューラは、地上から強大なドラゴン族の光を放ち、撃ち落とそうとした。)


 プージャも一瞬のみだが目視した、あの巨大な翼のないドラゴンの姿が描かれていた。


(いかに強大な天霊ブローキューラの光でも、緋哀の樹には触れることは出来なかった。怒りに狂った天霊ブローキューラは、魔界を……破壊しようと試みた……とんでもないこと考えるな。)


 思わず笑みが溢れた。

 実際に会ったわけではないが、敵対した間柄としてよく分かる。彼のドラゴン族はとても短絡的で、とても軽薄で、とても稚拙だった。

 伝承ですら、そのものズバリで描かれているのは、縁の浅い彼女の目線から見たとしても非常に滑稽なことだった。


 そして次のページを捲り、プージャはつい声を上げた。


「っあ!」


 討ち伏せられる天霊ブローキューラ。

 そしてその上に足を乗せ、剣を掲げる戦士の姿。


「天霊ブローキューラを討ち取る者、現れる。数多の魔族の力を結集させ、己の力に変えた者。その名は…………」


 屈強な肉体を持った、小さな戦士。

 ドラゴン化した天霊ブローキューラの目玉ほどしかないその小さな戦士は、頭部に小さな角を持ち…………


【その名は、アースラ。天霊ブローキューラの配下にして、マリオ・ヴェ・ヌール村のゴブリン族。】


 その一文を指でなぞりながら、プージャは震えるように声を漏らした。


「お……父ちゃん……?」



 カツリ。



 背後で音が鳴った。

 プージャの心臓は思い切り跳ね上がった。心臓だけではない。全身が大きく跳ねた。

 それがあまりにも驚いたのだろう。

 靴音を立てた本人ですら、慌てて謝罪を述べたほどだった。


「申し訳ありません、プージャ様。まさかそれほどまでに集中なさっていたとは。」


 マルハチだった。


「あ、いや。いいんよ。平気。少し驚いただけだから。」


「大変失礼致しました。」


「うん。大丈夫。ちびってない。」


「いえ、そこまでは聞いてませんが。」


 そのすっとんきょうな返答に、マルハチは思わず吹き出していた。


「どうしたん?もう秘法は見付かったん?」


 あまりの驚きように自分でも恥ずかしくなったのだろうか。プージャは顔を赤らめながら振り向いた。


「ええ。問題なく。」


「早いね。」


「プージャ様。もう既に半日以上経っております。」


 言いながらマルハチはプージャの傍らに歩み寄って来ると、君主が食い入るように見つめていた書物へと目を落とした。


「これは……ミスラ様……ですか?」



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