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第119話 図書館

 それは、老夫だった。

 身の丈はマキミズとさほど変わらぬ、ドラゴン族の男性としてはかなり小柄な方だろう。頭髪も、顔のほとんどを覆い隠す髭も真っ白で、ほとんど手入れをしていない様子で、どちらも床に着かんばかりに長く伸ばされている。衣服もドラゴン族独特の前あわせのワンピースだが、一体どれほどの年月を使い続けているのか、襟元も袖口も、裾も何もかもボロボロだ。

 だが、それでも身だしなみだけはきちんと行っているのか、爪は綺麗に切り揃えられ、その体からは石鹸の良い香りが漂っていた。


「相変わらずのアンバランスだな、おじぃは。」


 その様子を目に留めたライケイが笑い声を上げた。


「本当よ。潔癖症のくせに、そんな格好ばっかして。」


 マキミズも呆れたように言い放った。

 うん。もっともだ。

 その言葉に、プージャもマルハチも内心で同意したのは言うまでもなかった。


「うるさい(わっぱ)共じゃの。なんじゃ?勝手に村を飛び出して久し振りに帰ってきたと思うたら。ワシに小言を言いに来たんか?」


「いや、そうではない。実は、この方々が本を探していらっしゃる。それを案内して欲しいのだ。」


 アバラハンが頭を下げた。


「ワシは1日2回風呂に入っておるのだぞ。この長い髪と髭を洗って乾かすのに、一体どれほどの時間が掛かるか分かっておるのか?起きてる時間の半分は風呂じゃ。」


「……………。」


 その返答に、アバラハンは頭を上げた。無論、彼の頭上にクエスチョンマークが浮かんでいるのは明白だった。


「いやおじぃ!別におじぃの風呂情報聞きに来た訳じゃないから!」

「そうよ!うちらその話、子供の時から何回も聞かされてっから!知ってるから!」


 老夫を取り囲むように抗議を始めるライケイとマキミズだったが、それを遮るように老夫が翼を大きく広げた。


「やかましいわ!耳元でギャーギャーと!ワシは今、風呂上がりで気分がいいから答えてやるが、この髪も髭も服装も、全て意味があるんじゃぞ!」


 その動作の意味は完全に、体を大きく見せるための威嚇だったようだ。


「それも知ってる!風格あるように見えるからって、何回も聞いたから!」

「てかわざわざ新品の服を汚したり切ったりしてるのも知ってるし!」


 何やら盛り上がる3人を余所に、アバラハンはひきつり笑いを浮かべながら、プージャらに向かって振り返った。


「申し訳ありません。彼はこの図書館の司書でして。彼なら、魔王様ご所望の内容に添った蔵書を選択できるはずです。」


「え?う、うん。それは……ええと、頼もしい?な。」


 いかに楽観的なプージャと言えど、不安は隠せなかったようだった。

 珍しく溜め息を交えながら返していた。




「それで?どんな本をお探しかな?」


 ようやく落ち着いたらしい司書がプージャ達へと興味を移したのは、それから半刻も経過した頃の話だった。


「お?もういいのか?」


 完全に飽きていたプージャとマルハチは、自主的に図書館の中を歩き回り、めぼしい本を探索しているところだった。

 そんなふたりの元へと歩み寄り、司書が問い掛けてきた。


「この図書館の蔵書はワシが長い年月、管理しているのじゃ。もちろんどこに何があるのか全て把握しておる。何でも聞くがよろしい。」


「全て!?この蔵書量の全てをか!?」


 プージャが驚愕の声を上げた。

 

「そうじゃ。ここには2958万9325冊の本が納められておる。しっかりと内容とタイトル順に並べてあるからの。」


「す、すげぇ。数まできっちり分かっておるのか。」


「2958万冊……マリアベル屋敷の図書室の100倍の数ですね。」


「え!?てか、屋敷の本ってそんな多いの!?」


 同じく驚いた様子のマルハチの発言に、更に驚いたようにプージャは振り返った。


「ええ、そうですが。」


 事も無げに頷いたマルハチに、プージャは眉を吊り上げて見せた。


「へい、おにーさん。おにーさんは以前私に言ったな?『マリアベル家の当主は皆、図書室の蔵書は全て読んでいる』とな。」


「ええ。」


「1日1冊読んだとして800年近く掛かるではないか!嘘ついたな!?」


「プージャ様!」


「なにさ!?」


「そんな大きな数の計算を一瞬で、しかも暗算で。いつの間にそんな賢く?マルハチめは嬉しゅうございます。」


「誤魔化すな!このぉ!」


 言い終えるよりも早くプージャの掌がマルハチの脇腹に襲い掛かかり、何やら揉み揉みしている。


「プージャ様。私めはそういう耐性は強いのです。」


 眉ひとつ動かさず、マルハチは言い放った。


「それと、少なくともミスラ様は1日数冊の蔵書をお読みになっていたと記憶しておりますし、歴代の御当主も皆様そうなさっていたと聞き及んでおります。」


「嘘!ぜったい嘘!」


「嘘ではありません。」


「お父ちゃん、仕事してない時は狩り出るか、一緒にお菓子作ってくれた記憶しかないもん!」


「ええ。プージャ様とお戯れになってる折りにはそう言った遊びに興じられてましたね。」


「じゃあ、なに?仕事と遊び以外の時間に本も読んでたって?」


「はい。ミスラ様は速読の達人であらせられましたので。私めもミスラ様より速読の方法をご教授頂きました。」


「…………そんなん出来るの?」


「ええ。」


「なら教えてって!もっと昔から私にも教えてくれたらもっとちゃんと本読んだのに!」


「はぁ、すみません。ですが、プージャ様。その気にならなければ覚えられない、簡単な技術ではありません。明らかにその気ではなさそうなプージャ様では習得は難しかったでしょう。」


「…………むぅ!」


 マルハチの正論に、プージャは返す言葉も見付からなかった。

 とりあえず腕組みして頬を膨らませてみたものの、やはり悔しくなって再びマルハチの脇腹に襲い掛かったその時だった。


「お前さん方。イチャつきたいなら宿へ戻れ。言うても、この島に宿など無いから童のうちの誰かの家に泊まることになるじゃろうがな。」


 司書の冷たい一言に、ふたりは我に返ったのだった。





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