第118話 ガルダ島
―――それは南部最南端の港から船で一週間ほど進んだ場所に位置している。
周囲は切り立った崖で囲まれ……いやそんな生半可なものではない。
まるで、絶海にそびえたつ巨大な柱と言えた。絶壁は垂直に天を貫き雲まで達す。その高さは海面からは計り知れない。
外周を船で回るのに丸一日は要し、無論、船を着ける海岸線などは見当たらない。
見た者が初見で島だと認識するのはまず不可能だろう。
それがガルダ島だった。
ガルダ島を眼下に見下ろし、空を翔ける銀狼と化したマルハチが、翼をはためかせて旋回していた。
背には漆黒のボディスーツに身を包んだ君主を乗せ、数騎のドラゴン族の戦士を従えながら。
「あちらです!」
ドラゴン族のひとりが指差した。
坊主頭に長く伸ばした黒ひげ。鋭い眼光をした厳つい強面の大男。
柱の上部は、なるほど、島と言って過言はない。草木が生い茂り、小高い丘やそこから流れ出す川まで見えるではないか。
その川のほとりに佇む小さな農村。
男が示したのはその村の中央に構える、他とは一線を画する大きな建物。
天霊郭とまではいかないがそれを縮小したような、ドラゴン族独特の建築様式で建てられたものであり、この村の盟主とでも言わんばかりにそびえていた。
ドラゴン族の歴史の全てが納められた図書館。
彼らが目指す目的地であった。
マルハチは翼を翻すとゆっくりと高度を下げ始め、建物の前へと降下していった。
「うむ。案内ご苦労であった。アバラハンよ。」
着陸後の勢いを殺すように小走りするマルハチの背中から、プージャの声が聞こえてくる。
威厳に満ち溢れ……いや、今までも、彼女は時には威厳を醸し出すことはしてきた。
だが、それとはまるで違う、腹の底から震え上がるほどの威圧感、気品と風格……一言でまとめるならば、魔王としての貫禄を身に付けていた。
「さて。」
マルハチが腰を落とすよりも早く、プージャの体は音もなく宙に浮き上がると、ゆっくりと地上へと降り立った。
その挙動の滑らかさにマルハチは内心で舌を巻いていた。
この動きは彼女の黒の衝動によるもの。
たった数日、ツキカゲによる講義を受けたのみだ。
その座学のみの習熟で、彼女は己の能力をいとも容易く制御して見せた。
大雑把な範囲攻撃しか成せなかった荒ぶる力を、繊細なまでに使いこなしたのだ。
ここへ来るまでの、雲の上を飛行する間もそうだ。彼女は黒の衝動で薄い防護服を生み出し、それを身に纏うことによって気圧や気温の変化から身を守っていた。
恐るべきセンス。
身体能力こそ、長きに渡る鍛練を要するが故に短期間での向上は望めないが、魔力と精神で制御する能力に関しては、彼女の持つものは天賦の才に類すると言えた。
「行くとしよう。」
プージャは胸を張ると、マルハチを伴って図書館の扉を押し開いた。
手も使わずに。
「すごいな!」
図書館に足を踏み入れて分かった。
建物はとても大きい。外観だけでも、3階建てほどの高さを誇るのは見て取れた。
奥行きや幅もまた、マリアベル屋敷の本館ほどもある巨大なもの。
分かったのは、その建物が壁による仕切りなどなく、ひとつの空間のみで構成されていたこと。
そしてその空間は、柱の代わりに天井まで届く無数の本棚の列で支えられていることだった。
「ええ。とてつもない蔵書数ですね。」
プージャの感嘆の声にマルハチは冷静を装って答えたが、その実、彼も圧倒されていたのは隠せない。
プージャは笑いながら言った。
「こんな数の本の中から意中のものを探すなど、それこそ数ヵ月も要するような難題じゃな。」
「流石にこれは参りました。仰る通りです。」
あまりにも気の抜けたプージャの言動に、マルハチも釣られて笑っていた。
本来ならばそんな場合ではないのだが。
「魔王様がた。無駄口を叩いている時間はないのでは?」
角将に付き従っていた道化のような服装をしたドラゴン族が言った。
「そうですよ。うちらの動向、神の涙がそう長いこと放っておくとは思えませんが?」
その隣に佇むビキニアーマーを着込んだ破廉恥なドラゴン族も口を揃えた。
そちらに振り返ると、プージャは笑って見せた。
「そうだな。通常の敵であればあり得んだろうな。」
その一言に、道化の如しドラゴン族であるライケイが問いかけた。
「通常であれば?」
「うむ。ダクリは、何かを秘めている。私達とまみえた時もそうだ。容易に殺すことも出来たはずだったが、奴は撤退した。」
「ええ。サルコファガスでもそうでした。何故あのタイミングで仕掛けた。そして何故、白狼を墜としたにも関わらず、プージャ様は見逃したのか。」
「あの小僧の意図は滅裂だ。そして何より、攻められれば一巻の終わりである。もはや身構えようと無意味である以上、私達はやるべきことをやるのみなのだ。」
魔王プージャと魔王ガルダの化身が交互に口を開く。
全くもって納得出来る内容ではないが、それでも自信を持った様子で断言している。
こうなれば、当事者でもない自分達が口を挟む意味もない。
彼らと部下らとのやり取りを静観していたアバラハンが言った。
「かしこまりました。ですが、裏を返せばいつ攻められてもおかしくはない状況とも捉えられます。時間は掛けない方が得策かと?」
「それは正論じゃな。して、心当たりがあるのだな?」
問い返すプージャにアバラハンが答えた。
「遺憾ながら、我々にはそこまでの学は。ですが、司書に聞けばその限りにあらず。」
その武人の言葉に促されるように、破廉恥アーマーのマキミズが図書館の奥へと消えていった。
待つこと数分。
マキミズがひとりのドラゴン族を連れて戻ってきた。
「これは珍しい。外界からの客人とは。」