第114話 終戦
―――太陽が中天にかかり、世界は煌めきに包まれた。
鳥が舞い、雲が流れる。
地上で起きている粗末な争いなど、取るに足らない小さなことのように。
世界は、大きかった。
マルハチが気を吐いた。
その鋭い蹴りが、道化のような外見をしたドラゴン族の腹を撃ち抜いた。
「ライケイ!」
吹っ飛ばされた道化を受け止めると、露出の高い女のドラゴン族が怒声を上げる。
仲間の体を瞬時に、だが丁寧に地面に横たわらせると、女はマルハチに向けて駆けた。
「ちょーしにのんな!こんのぉ!」
彼女自身、既に満身創痍であるはず。にも関わらず、果敢にも挑み掛かってくる。
「無駄な……とは言えないな。」
マルハチは髪をかき上げた。
もう一度言う。女は既に満身創痍。
それでも挑む。
この気概を無下にするわけにはいかない。
マルハチは畏敬の念を抱く。
その上で、全力で相手になる。
マルハチは髪をかき上げた。
橙色の髪をツインテールに結った女が、刃こぼれを起こしたクレイモアを両腕で振り下ろす。
だが、その動きにキレはなかった。
マルハチは大剣を軽く避けると、その鳩尾を狙って拳を突き上げた。
女の口蓋が開き、血液混じりの胃液が吐き出される。
「ふざけんな……手加減くらい……しろ……よ」
恐らく意識は飛びかけているだろう。大剣を手からこぼし、悪態も途切れ途切れだ。
体が揺らぎ、マルハチにもたれるように倒れ掛かった。
それを受け止めてやる。
その瞬間だった。
女の体に力が戻った。
もたれ掛かったマルハチの体をガッチリと押さえ付けた。
「今だやれ!アバラハン!」
女の背後に気配を感じた。
名を呼ばれたのは、角将アバラハン。
彼もまた満身創痍。マルハチの猛攻に何度も膝を突き、何度も打ち倒されながら、もはや立つだけでも奇跡に近いほど。
だが、女の気概を受け、再び太刀を取った。
「マキミズ!離れろ!」
声を張った。
「無理!ウチごと、やれぇー!!」
女の絶叫がマルハチの耳元で響いた。
「マキミズ!お前を誇るぞ!」
アバラハンがその名を叫びながら、太刀を突き出した。
覚悟は、受け取った。
マルハチが動いた。
抱えていたマキミズの体を無理やり持ち上げると、肩に担ぎ上げる。
突き出される太刀に添わせるように体を回転させると、アバラハンの懐に潜り込んだ。
「僕も誇ろう。君らと戦えたことを。」
柄を握る手首を手刀で叩くと、アバラハンは呆気なく太刀を取り落とした。
角将が死を覚悟したのは言うまでもなかった。
そのアバラハンのがら空きになった両腕に、マキミズの体をそっと手渡した。
余りに意外なマルハチの行動に、アバラハンは、マキミズもだ、驚愕を隠せなかった。
「とは言え、一応のけじめはつけさせて貰うがね。」
マルハチが拳を握り、大地を踏み締めた。
「無論だ。」
アバラハンは一言だけ呟くと、歯を食い縛った。
両の拳によるマルハチの連打が、角将アバラハンと鱗将マキミズの全身を強かに打ち付けた。
その拳に、一切の手加減は無かった。
ふたりの肺からそっと息が吐き出された。その目から光は消え失せた。
「ふぅ。」
意識を失い倒れ伏した強敵を見下ろしながら、マルハチは息をついた。
10万にも及ぶ軍勢が、たったひとりの執事の前に屈した瞬間だった。
「「おおおおおぉぉぉぉぉ!!」」
どこからともなく勝鬨が轟いた。
振り返ると、マルハチを見守るように、よく見知った顔が並んでいた。
片腕を失い、支えられるように立つゴルウッド。
そのゴルウッドを支えるフォスター。
互いに寄り添うように支え合う、アイネ。
そしてララ。
消耗しきったように痩せ細ったナギが誰かを背負っている。
それは、様々な部位を失い、自立すら出来なくなったクロエ。
彼らを囲むように居並ぶマリアベルの兵達。
皆、それぞれが傷付き、ボロボロだ。
確かに顔の見えなくなった者があることも事実。
だが、多くの者が生命を守りきったまま、マルハチの勝利に歓喜の声を上げていた。
むしろ最もダメージが少ないように見えたのはマルハチの方だった。
「僕達の勝ちだ!」
マルハチは声を上げた。
その声を待っていたかのように、再度、勝鬨が上がった。
まるでそれは、大きな花火のようだった。
大きな花火は、天霊郭からも打ち上げられた。
歓喜に沸く樹海を轟音が支配した。
マルハチは咄嗟に音のする方へと振り返った。
「なんだありゃ!?」
「怪獣!?」
「で、でけぇ!」
「嘘だろ!?」
背後からそんな声が聞こえてくる。
「あれが……天霊ブローキューラだ。」
訴え掛ける白狼の記憶。マルハチはそのままを口に出した。
その視線の先には、高くそびえる天霊郭の屋根を突き破る、巨大な影が捉えられていた。
空色の鱗で覆い尽くされた肉体には隆々とした肉が盛り上がる。
太い首に小さな頭部。その付け根には小さな前腕。
太く逞しい胴体の半分は自身の城郭に隠れて見えないが、その背後には同じく太く長い尾が天を薙ぐように振り上げられていた。
天霊の口腔が開け広げられた。喉の奥、真っ白い光が集束するのが、遠く離れた樹海からですら見てとれた。
閃光が放たれんとしている。
マルハチの肉体が一瞬にして膨張し、翼を持った銀狼の姿へと変貌を遂げる。
同時に、彼もまた迎撃すべく閃光を放たんと意識を籠めた。
だが、しかし。
(間に合わない!)
銀狼の体毛が一瞬にして逆立った。
天霊の腹が破裂した。
追って、再び轟音が響いた。
マルハチは、いやマルハチだけではない。
その場に居合わせた全員は、呆然と、その様子を眺めるのみだった。
腹に大きな穴が開いたかと思うと、背後に激しい血飛沫が舞い上がる。
余程の衝撃が駆け抜けたのか、穴を中心にして放射状に鱗が弾け飛ぶのも見える。
そして、ゆっくりと、その巨体は天霊郭の中へと崩れ落ちて行った。
「なにが……おきた?」
マルハチの耳に、クロエの声が届いてきた。
「…………ミュシャ。」
マルハチがその名を呟いた。