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第111話 マリアベル家の執事

―――時を同じくして、樹海。


「一体さっきのはなんだ?」


 極大の閃光によって大きく切り裂かれた樹海には、一本の広い道が拓かれていた。

 広大な樹海の、実に3分の1の面積がその一撃によって大きく抉りとられ、大地が、薙ぎ倒された樹海の木々達が、残り火を湛えながら静かに燻っていた。

 焦土と化した、樹海だったはずの道に佇む、体格の良いいかにも武将然とした男、角将アバラハンの元に、鱗将、そして翼将が舞い降りた。

 その後に続くように、続々と残存兵が集結しつつあった。


「あれだ。」


 大柄な体にラメラアーマーを纏っているが、意匠はマリアベルのものとは異なるドラゴン族独特のもの。

 面長な四角い輪郭に坊主頭だが、鼻から下には黒ひげがたっぷりとたくわえられ、眉の剃り落とされた鋭い目元と合いまってそれなりの威厳を醸し出している。 


 アバラハンが顎ひげで差し示した。


 遥か遠方。

 山麓付近だろうか。

 小さな影がこちらに向けて歩を進めていた。


「あれ?あれ、とは、あの魔族のことか?」


 道化を演じる翼将ライケイが問い掛けた。


「ドラゴン族、なの?」


 続いて鱗将マキミズが口を開いた。

 それは一様に、『信じられない』という意図を内包するものだった。


「事実だ。」


 アバラハンの声は乾ききっていた。


「馬鹿な?天霊様ほどの閃光を放てる者などいてたまるか。」


「そうよ!何かの間違いじゃないの?」


「事実だと言っておろうが!」


 苛立ちを隠さず、角将は声を荒げた。

 自分でも信じられないのだ。

 たった一閃の光の放射が、自らが率いた軍勢の大半を焼き尽くしたなど、どうあっても信じられなかった。

 だが、受け入れるしかない。

 天霊軍の両翼を叱責した裏側には、彼自身の戸惑いが見え隠れしていた。


 その間にも、樹海中に散らばっていた彼らの軍隊は、彼らの元へと集っていた。


「何者なんだ?」


 またもライケイが問い掛ける。

 が、その問いがアバラハンの琴線に触れたのは言うまでもない。


「少し黙れ。」


 一瞥もくれず、そう呟くだけだった。


 天霊の軍勢がとうとう集結した。

 その数、およそ10万。

 当初集められた最強の軍団は、たった1万の敵を相手に、半分にまで削られていた。


 それでも、10万。


 謎の敵は、怯みもせずに近付いてきていた。



「止まれ!」


 アバラハンが高々と声を上げた。

 その声に応えるように、それは歩みを止めた。


「見ての通り、こちらには10万の兵が控えている!悪いことは言わない!引き返せ!」


 が、アバラハンの警告を無視し、その者は更に一歩踏み出した。


「お、おい……あれは……」


 マキミズが声を絞り出した。


「まさか……」


 ライケイも倣うように唸り声を上げていた。


「それ以上近付けば、我らは貴様を敵とみなす!それでも良いのか!?」


 自分でも可笑しなことを言ったのは分かっている。相手は、敵に違いない。

 その相手に対し、アバラハンは敵対したくないという意志を示したのだ。


 それでも、その者は更に一歩踏み出した。


 もはやこれ以上の交渉は意味を成さなかった。


「貴様の意思はしかと受け取った!」


 何故、こうまでして己の優位を示したいのか。

 そこにある意味。

 アバラハンは気が付いていた。


 恐れ。


「我が名は三騎竜の一角にして、天霊軍総大将!角将のアバラハン!」


 喉が張り裂けんばかりの声を振り絞り、名乗りを上げた。


 そして自らも一歩踏み出した。


 配下の群衆に見守られ、アバラハンは大股でその距離を詰めていく。


 風が通り抜けた。

 焼け残った木々達がざわめいた。

 残り火の放つ微かな熱が、頬を撫でた。


 角将は遂に、たったひとりの敵の前に辿り着いた。


 アバラハンよりも頭ふたつ分は背の低い、なんの変哲もないただの男だった。

 ただし、変哲もないのは、その背格好のみ。

 その容貌には、驚きを禁じ得なかった。


「ここで何をしている?白狼(びゃくろう)のガルダよ。」


 ブロンドの癖毛。涼しげな双眸を湛えた端正な顔立ち。身なりこそドラゴン族のものではないが、それは紛れもなく、君主の兄。

 魔王、白狼のガルダその人だった。


 白狼のガルダは首を振ったきり、アバラハンの問いに答えることはなかった。



 アバラハンは仕掛けた。

 残像すら残さぬ速さで、彼の十八番でもあり奥義でもある居合い抜きを放った。

 だが、太刀は虚空を切った。

 大気を切り裂き、真空を生み出すほどの剣をかわされ、角将は懐への侵入を許した。



「貴様は何だ?」


 アバラハンが問うた。

 

「白狼のガルダが生まれ変わりし者、ということらしい。」


「名は?」


「マルハチ。マリアベル家が執事室室長、マルハチだ。」


 その名乗りを聞き遂げるとほぼ同時だった。

 天霊ブローキューラの軍勢を束ねる総大将は、その重く突き上げるような拳の一撃を鳩尾に受け、呆気なく意識を奪われた。


 アバラハンの膝が大地を突いた。


 それを合図にしたかのように、10万の軍勢がマルハチに向けて、一斉に突撃を開始した。

 地が鳴り、空が割れるほどの喊声(かんせい)を上げながら。



 マルハチは腹の底に力を籠めた。

 筋肉が膨れ上がり、銀色に輝く太い毛が全身を覆う。肩の骨が震えながら鋭く飛び出し、太く長く伸びていく。

 マルハチの体は瞬時に巨大な銀狼へと変貌を遂げた。

 それは白狼のガルダの力を得た、マルハチにのみ許された姿。

 背にドラゴンの翼を持った、唯一無二の銀狼へと。


 マルハチに迎撃の意思などはさらさら無い。

 あるのは只ひとつ。

 進撃のみ。

 津波のように押し寄せる10万の大軍に向かい、マルハチは突っ込んでいった。 

 流星の如き圧倒的な力を振りかざして。

 

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