第109話 ツキカゲ
天霊の住まう城郭は、外部同様に内部すら、非常に単純な構造をしていた。
ミリアらが進入した入り口のある広間を抜けると、左右に伸びる回廊。その回廊の外側には無数の扉。内側に扉は無い。
恐らく、外側の扉が各種施設や私室へと繋がるものなのだろう。
続々と魔族達が流れ出てくる。
内側に繋がる扉はひとつだけ。
広間から繋がる扉の目の前に、巨大な扉が鎮座していた。
明らかに異様な雰囲気を漂わせる扉。
左右からは魔族達が襲い来る。
進める道はひとつしか無かった。
ミリアは幾人かの魔族を手早く片付けると、その扉に手を掛けた。
背後からはミュシャが巻き起こしているであろう、阿鼻叫喚の声。
敵の目は完全にそちらに向かっている。もはや誰もミリアを追ってくることは無いだろう。
扉のノブをゆっくりと回すと、重い戸を押し開けた。
広い、とにかく広い空間だった。
正面には二列の太い柱がミリアを導くように整然と並んでいる。柱の足元には仄暗い明かりを灯す行灯が、同じように規則正しく並んでいた。
行灯ごときの明かりでは、その空間を照らしきることは出来ないのだろう。柱の外側や、高く伸びるその上部は暗闇で包まれており、壁や天井を目視することは叶わなかった。
だが、それよりもミリアの目を惹いたのは、
「ツキ……カゲ……さん?」
その存在だった。
ミリアから少し離れた、柱と柱の間に立っていたのは、まごうことなき、ツキカゲ本人に見えた。
「ツキカゲさん!無事だったんですね!?」
ミリアが駆け寄ろうとした時だった。
背後からの殺気を感じ、彼女は大きく飛び退いた。
ツキカゲの使い魔。殺戮獣サルディナが、ミリアの居た場所の大気を鋭く抉りとった。
ミリアの知るその使い魔よりも、更に一回り肥大化した、凶悪な姿で。
「ツキカゲさん!?何を!?私です!ミリアです!」
想定外の出来事に、ミリアは思わず声を上げた。
しかし、ツキカゲは答えなかった。
それどころか、次から次へとサルディナを差し向けてくる。
「私が分からないんですか!?」
辛うじてそれらを避けながら、ミリアは必死で問い掛けた。
それでも攻撃の手は止まない。
「一体………!?」
しばしの逡巡の後、ミリアは気が付いた。
マルハチがプージャに行った天霊の話の中に出てきた、天霊の特別な能力。
(他者の魂を支配する力……)
サルディナの素早い攻撃を避けつつ、ミリアは独り呟いた。
サルディナの数が増えた。
「ツキカゲさん!目を覚まして下さい!」
ミリアは必死にこの新しい同僚に訴え掛けた。
「せっかく、せっかくお友達になれたじゃないですか……」
1体でも十分な脅威となり得る巨大な殺戮獣が、薄暗い空間に続々と漂い始めているではないか。
「皆、始めは怖かったですよ?でも、それを取り払ったのはあなたです!あなた自身です!皆知ってます。どんな理由であっても、あなたが自分自身をコントロールして、皆に合わせようと必死になっていたのを。」
ミリアの叫びが暗闇に木霊した。
「そのあなたが、支配なんてされないで!あなたなら跳ね除けられますから!目を覚まして下さい!!」
しかし、それでも、サルディナは増えることを止めなかった。その数、ざっと20は下らない。
「すみません、ツキカゲさん……。あなたには申し訳ないのですが……」
意を決した赤毛のメイドは、スカートの内側からふた振りのマインゴーシュを取り出した。
「私は、ここで倒れる訳にはいきません!」
襲い来るサルディナを避けながら距離を詰め、懐に潜り込むと、ミリアは体を回転させながら左右の短剣を、同僚に目掛けて叩き込んだ。
戦いは熾烈を極めた。
ミュシャとの戦いから数段も力を付けたツキカゲは、無数の使い魔を同時に操り、尚且つ愛刀のバゼラートを駆使して縦横無尽に攻撃を加えてくる。
対するミリアも負けてはいなかった。マリアベルの術式を施された、下位種族であるニンフの少女は、並の魔王なら遥かに凌駕するソーサラーの王と対等に渡り合っていた。
その力はほぼ拮抗しており、互いに互いの体に触れることすら難しい。
全ての攻撃は相手を捉えきれずに戦いは続き、体力だけが削られていく。
全ては体力次第。
恐らくこの膠着状態は、次第に崩れていくと思われた。
先に綻びが生まれたのは、膨大な魔力を燃焼させるサルディナを20も使役する、ツキカゲの方であった。
明らかに使い魔の動きにキレが無くなった。
(今だ!)
手近に迫った1体のサルディナの離脱が遅れた。
ミリアはそれを逃さず、太く大きな殺戮獣の体を切り裂いた。
それが口火となった。
残った個体も、明らかに動きが鈍っていく。
(やれる!)
ミリアは全力で体を回転させた。両手のマインゴーシュが、続々と使い魔を葬っていく。
1体、また1体。
そしてとうとう、ツキカゲは使い魔を維持することが出来なくなった。
ツキカゲを守るものは消えて無くなった。
ミリアが、ツキカゲに斬り掛かった。
(っな!?)
しかしどうしたことだ。
ミリアの膝は折れ、体が前に進まなくなったのだ。
(うそっ!?やだっ!)
彼女は悟った。
先に限界が訪れたのは、自分だったことを。
ツキカゲの無表情な顔が、離れていく。
ミリアの体はツキカゲの肩にもたれ掛かるように倒れた。
「……さま……して……が……ってます……」
そしてそれを迎え入れるように、ツキカゲのバゼラートが、ミリアの腹部を深々と貫いた。




