第108話 遊撃隊
―――天霊郭へと続く正門に面する民家の屋根。
ミュシャとミリアは腹這いに寝そべり、息を潜めて門の内部の様子を伺っていた。
彼女らに与えられた役割は遊撃隊。
その意味にミリアが気が付いたのは、物言わぬミュシャが樹海を抜け、平原を駆け始めてからのことだった。
遊撃隊。
その目的はツキカゲの奪還だった。
「兵隊さんはほとんど出払っているみたいですね。」
ミュシャが、まるで楽しい内緒話でもするように、にこやかな調子で話し掛けてきた。
「ねぇ、本当にツキカゲさんはここにいるのでしょうか?」
不安を隠せないミリアが呟いた。
「大丈夫です♪さっきのドラゴンさんが言ってたじゃないですか。」
あっけらかんと返すミュシャ。
ベラージオの街へ侵入し間もなくだった。恐らくは戦況の伝達を任務としているらしき単独行動のドラゴン族を捕縛した。
ミュシャはその者を人気の無い民家へと連行すると、外を見張るようにだけ言い残し、扉を閉めた。
ものの数分後、スキップをしながら戻ってきたミュシャは、ツキカゲの居場所は天霊郭の独房だという情報を手にしていた。
扉の隙間から覗き見ると、捕縛されたドラゴン族の姿はまるで脱け殻のようだった。頭髪は抜け落ち、虚ろな目でどこかを見つめたまま、何やらブツブツと呟いていた。
「ですが……鵜呑みにするのは危険です。」
食い下がるミリアに、ミュシャは返した。
「ミリアさん。間違ってたらそれはそれで、別の場所を探せばいいじゃないですか♪」
「そ、そうだけど……」
ミリアは素直に面食らっていた。やはりこの少女に恐れは無いのか?
仮にも敵の総本山に忍び込もうとする今、間違っていようが関係ないと、そう言っている。むしろ、仮にツキカゲを見付けたとして無事に連れ出せる、いやもっと言えば、一度入れば出てこられる保証などどこにもないのだ。
にも関わらず、生きて帰る前提で話すこの少女に、ミリアは己の心情を吐露したい衝動を抑えられなくなった。
「ミュシャ。」
「なんですか?」
突然改まったミリアに向け、ミュシャと言えど異変を感じ取ったようだ。真面目に耳を傾けていた。
「私達が初めて出会った日のこと、覚えてますか?」
「はい♪みんなで馬車に乗った日のことですね?」
「あの日出会った私達の同期は……もう私とあなただけなのですよ。」
「はい、そうですね。ペルシャさんとニルス君は死んでしまいました。」
ミュシャの声色が沈んだ。
「私は、もう誰も失いたくないです。」
赤毛の少女の目には、溢れんばかりの涙が湛えられていた。
「だから、ミュシャ。無茶だけはしないで。危ないと思ったら逃げましょう。どうか、どうか死なないで。」
「分かりました♪ミュシャは死にません。ミリアさんも死んではダメですよ?」
ミュシャがミリアの手に、そっと手を添えた。
「マリアベルに帰ったら、ペラさんと結婚式ですもんね♪」
「ええ。」
ミリアの頬が赤く染まった。
「讃美歌は、ミュシャ、あなたが唄って下さいね。」
「はい!ミュシャ、頑張っちゃいますから♪」
「絶対ですよ!」
ふたりは互いに頷き合うと、意を決して屋根から滑り降りた。それから誰にも見られぬスピードで、堂々と正門を潜り抜けていった。
天霊郭とは、非常に単純な造りの城郭だった。マリアベル屋敷がある町ほどの広大な敷地は高い塀で囲まれてはいるものの、その内側にある建築物は本殿ただひとつのみ。それ以外に身を隠せるような障害物たりえる物は何ひとつ存在していない。
ミュシャ達は全速力で石畳の上を駆けた。
正門から本殿までは目測で1キロ近くは離れているだろう。
彼女らがどこから侵入しようとも、どれだけ速く走ろうとも、
「見付かっちゃいましたね♪」
それは時間の問題だった。
本殿まで残り200メートルほどだろうか。ミュシャらの足元に、矢が突き刺さった。
が、彼女達の速度に弓矢などが追い付けるわけがない。
矢が刺さったのは彼女達が通り過ぎた、遥か後方だった。
「さぁミリアさん、やっちゃいますよ♪」
走りながらミュシャはウエストに巻いていた鋼鉄の鞭を取り外した。
同時に本殿の扉が開き、中から無数の魔族が飛び出してくる。飛び道具による迎撃は無効と察したのだろう。はなから肉弾戦で勝負を挑む判断をしたようだった。
兵の数は未知。そして樹海の戦場と違い、軍勢を構成するのは、最下層種族のコボルト族ではなく上位種族ばかり。
ざっと見ただけでも、オーガ族、黒子族、サキュバスやインキュバス族、ドラゴン族。中には小柄ながらもギガース族すら混じっているようだ。
近衛の精鋭部隊。その名に相応しい顔ぶれだった。
「手はず通りに!」
ミリアの速度が若干だけ緩んだ。
「はい♪」
濁流のように扉から流れ出してくる魔族の群れに向け、ミュシャが鞭を振るった。
瞬時に、前線を走っていた魔族達の首が舞い上がった。その数は両手の指では数えきれないほどたった。
が、ミュシャの動きは止まらない。
飛び上がると、空中を舞う様々な種族の生首を鞭で打ち付けた。頭部とは、肉体の中で最も重い部位のひとつ。
まるで弾き出された砲弾だ。
無数の首は目視できないほどの速さで、後続していた魔族の群れに降り注いだ。
それは、小さな隕石の雨の如く。
扉から現れた魔族のほとんどが、ミュシャのあらゆる意味で強烈な攻撃の前に斃れた。
あまりの光景に、魔族達に戸惑いが生まれたのは必然。ほんの一瞬、足が止まった。
その一瞬を見逃すほど、ミュシャは甘くはない。
入り口で立ち往生をした魔族達の首を鞭で打ち上げる。返す一撃で、残った力無い胴を凪ぎ払う。拓いた進路から踏み切り、再び生首の雨を降らす。
そのたったみっつの動作だけで、ミュシャはまんまと本殿に進入し、尚且つ敵の軍勢に絶大なる恐怖を与え、強く怯ませることに成功した。
着地したミュシャの周囲5メートル。誰ひとりとして踏み込めない、絶対的な領域と化した。
「では、ここはミュシャが引き受けますから、ミリアさんは独房を探してきて下さいね♪」
わざわざ『手はず通りに』と隠語で表現したのに、このド天然には機微が通じない。
堂々と手はずの中身を口に出し、それから楽しそうに鞭を振り上げた。
ミリアは思わず吹き出していた。
「じゃあ、また後で。」
「また後で♪」
ミュシャが正面に向けて鞭を伸ばした。鋼鉄製のそれは長槍かと見まごうほど。
居並ぶ魔族達の胴体を次々と串刺しにすると、手の返しに合わせて、貫かれた者達を宙に舞い上がらせる。そして叩き付けた。
もはや超巨大なハンマーだろう。
その凄惨すぎる情景に、いきり立って襲ってきたはずの魔族達の体は、すくんで動けなくなっていた。
その隙を突きミリアは魔族達の間を容易にすり抜けると、本殿の奥へと向けて駆けて行った。
正面入り口に残された魔族は、追うことすら忘れてしまっていたようだった。
「ありゃりゃ?どうしましたか?」
そんな敵勢に対し、ミュシャはいつもながらに能天気な声を発した。
「遊んでくれないんでしたら……全員ここで、やっつけちゃいますからね♪」
戦ったら死ぬ。
戦わなくても、死ぬ。
魔族達を絶望が襲った。
「……い……いや!この天霊郭には、5万の兵がいるんだぞ!い、いくらこいつが強くても、ま、負けるはずがない!」
軍勢の中から、誰とも分からない声が聞こえた。どうやらその一言が、全員の勇気に火を着けたようだ。
「そ、そうだ……」
「そうだ、そんなに仲間がいれば!」
「そうだ!負けるはずがない!」
弱々しかった賛同の声は徐々に膨らみ、遂には閧の声へと変貌を遂げた。
それを楽しそうに見つめながら、ミュシャは笑っていた。
「はい!お遊びはここからですよ♪」
鋭い鞭の一撃が、数十の首を一度に刎ねた。