第107話 希望の閃光
「すまない。予想より早く前線が侵食されてしまってね。」
マルハチが髪をかき上げた。
「それは本当ですか!?ここへ来て宜しいので!?」
ドラゴン族の繰り出す剣撃を受け止めつつ、ライリーは声を張り上げた。
「いや、逆だよ。ここからじゃないとやれない事があってね。」
涼しげな表情を崩すことなく、マルハチは向かってくるドラゴン族の翼をひと蹴りで切り落とす。
「その前に……」
金髪の執事が地を蹴った。
硬い石の音が風穴に反響した。
気が付いた時には、ライリーに群がっていたドラゴン族達は、その足元に倒れ伏していた。
全員がたったの一撃の元、マルハチに屈していく。
マリアベル軍でも最高峰の小隊があれだけ苦戦した魔血種族達を、この執事はたったひとりで叩き潰したのだ。
ほんの少しの間に。
「プージャ様に手を出そうとはいい度胸だ。全員、生きて帰れると思うなよ。」
言い終えた頃には時既に遅し。
折り重なるように崩れた相手には、もはやその声は届いてはいなかった。
「さぁ、やろう。」
一息つく間もなく、マルハチは言うや否や歩を進めた。
辿り着いたのは、下界を見下ろす風穴の縁だった。
眼下では、激しい小競り合いが繰り返されている。
予定通り、樹海の左右からの進軍は少ない。
マルハチの部下や、ミュシャの同僚がしっかりと蓋をしている証拠だ。
代わりに中央から大勢の敵軍が流れ込んでくるのが見える。
まだクロエが守る、樹海と山岳の境目に敵勢が到達している様子はない。
が、それも時間の問題。
マルハチは戦況を俯瞰すると、大きく息を吸った。
その体から魔力が溢れ出た。
味方であるライリー達ですら戦慄するほどの禍々しさを放ちながら。
「マ、マルハチ殿?……一体、何を?」
ライリーが声を漏らした。
しかし、質問には及ばないのは自覚していた。
この魔王の腹心が何をするのか、聞かずとも分かる。
およそ、巨大な彼の化身がその体から現れ出でるような錯覚すら覚えた。
瞬間、その体が大きく膨れ上がった。
もはや錯覚ではない。
巨大な銀狼が体を低く構え、四肢を広げて大地を踏み締めていた。
大きな翼を備えた、異形の銀狼だった。
―――
「そろそろ獣化を解除しませんか?マドモワゼル。」
血みどろで倒れ伏すアイネとララを見下ろしながら、翼将が笑った。
「私、動物愛護主義者なのです。ですから、その姿の貴女方を傷付けるのは心が痛むのです。」
言われずともだった。
意識の途絶えかけていた彼女達に、既に獣化を維持するだけの気力は残されていない。筋肉が収縮し、みるみるうちに元の姿に戻っていく。
残されたのは黒髪と金髪。ふたりのメイドの姿だけだった。
「そうそう。」
ライケイはその傍らにしゃがみ込み、ララの長い金髪をおもむろに掴むとゆっくりと引き上げた。
その耳元に顔を近付け、さも嬉しげに言った。
「こういった醜く愛らしい女性の方が、心を痛めること無く気兼ねなく、苦痛に歪む表情を楽しめるというものです。」
下卑た笑みを浮かべながら、その喉元に不格好な刃を押し付けようとした。
樹海が揺れた。
しかもただの揺れでは無い。
座ってすらいられないほどに、大地が飛び跳ねたのかと勘繰るほどに、凄まじい揺れが樹海を襲った。
ライケイは驚き、思わずララの髪を手放した。
宙を仰ぐと、空を刺す巨大な針山の如し樹海の木々が、まるで海中を漂う海草のように揺れていた。
大地は尚も彼らを押し上げようと激しく上下している。
(地震!?ベルギオの噴火ですか!?)
ライケイは山脈の盟主へと視線を巡らせた。
いや、そんなはずは無い。ベルギオ山は現在、活火山ではない。
彼の知識は正しい。霊峰ベルギオ山は涼しげな顔でそこにそびえるだけだった。
(なんだ?どうしたというのです?)
思いを巡らせ始めた矢先だった。
遅れてきたのは、耳をつん裂くほどの轟音だった。
反射的に肩をすくめ音の方へと振り返り、ドラゴン族有数の力を持つこの将軍は戦慄した。
ベルギオ山の裾野から樹海を貫くように、巨大な白い閃光の壁がそびえ立っていたのだ。
木々を、そして膨大な数の天霊軍を飲み込みながら、閃光は樹海を駆け抜け、平原をねじ伏せ、ベラージオの街……いや、天霊郭目指して突き進んでいく。
荒ぶる閃光がベラージオへと到達せんとした瞬間だった。
天霊郭が眩く光り輝いた。
否、光り輝いたのは、天霊郭から放たれたものだった。
樹海を切り裂いた閃光と非常に似通った、極大の閃光。
天霊ブローキューラの放つドラゴン族最強の閃光だった。
ふたつの圧倒的な力はベラージオの街の頭上でぶつかり合った。
大気が揺れ、歪んだ空気の流れによりいくつもの竜巻が巻き起こる。
せめぎあう閃光は次第に密度を高め合い、凝縮されていく。
荒れ狂う力と力のぶつかり合いは、遂に逃げ場を失った。
巨大な光の爆発。
それと共に互いに食い合い、ひとつとなった大きな暴力は、雲を裂き、空を貫くように昇天していった。
残されたのは、静寂のみ。
街には傷ひとつ残ってはいなかった。
鱗将ライケイは、指の隙間から滑り落ちた金髪の主や、その隣に倒れる黒髪のメイドには目もくれず、翼をはためかせて樹海の上へと躍り出た。
すぐに目を向けたのは、ベルギオ山の風穴。
君主、天霊ブローキューラの閃光を相殺するほどの威力を持つ、ドラゴン族の閃光を放った、ドラゴン族がそこにいる。
そんな力を持つ同族など、彼は知らない。
ライケイは全力で風穴へと向かって羽ばたいた。




