第106話 侵食する絶望②
―――死神が振るうのは大鎌にあらず。両手の先に装着されたのはジャマダハルと呼ばれる、拳の先に太い刃を付けたグリップ式のナイフ。
両腕を伸ばし、体の回転を利用しながら斬り付け、時には懐に入り込み突き刺す。
まるでその様は華麗なる闘舞の如し。
只でさえ異様な風体。
オールバックに纏めてはあるが、全く手入れのされてない様子の乱れた竜胆色の長髪。
顔面は白塗り化粧で潰され、道化ながらも泣き顔が描かれており、その本来の表情は読めない。
衣装はいかにも道化然としたまだら模様の毒々しいデザインだが、何故か白と黒で構成されているあたりに不気味さを感じさせる。
全てにおいて相反する要素が練り込まれ、それがこの男の異質さを際立たせていた。
(マジファック!)
ララは心中で毒づいた。
彼女らの特技は獣化による肉弾戦。
牙や爪で攻撃を加える野生そのものの超近距離が間合いになるが、獣人ならではの高い膂力や敏捷性によって、その間合いにおける戦闘力はマリアベルでも有数。
その彼女らが最も能力を発揮する間合いにおいて、この道化は、彼女らを圧倒していた。
(当たらない!)
同時にアイネもまた、心中で悲鳴を上げた。
一撃に重みはない。完全なる手数頼みの攻撃なのだが、いかんせんそのスピードたるや。
回転は、もはや独楽の如し。
アイネの敏捷性を持ってして、後を追うのが精一杯。
攻撃を加えようとも、若干生まれる微かな溜めの隙に間合いは外れていく。
そして空振りの隙を突いたジャマダハルによるカウンター。
ヒットアンドアウェイの繰り返しで、彼女らの体力はみるみるうちに削られていった。
「ほら、どうしました?そんな大味な動きでは、私さんを捉えることなど出来ませんよ?」
絶え間なく動き回りながらも、息ひとつ切らせる様子もなく、道化は笑っていた。
(私……さん?)
(一人称をさん付け?)
アイネとララは同時に道化の言動に気を取られていた。
それすらも道化の策とは知らずに。
瞬間的な思考の遅れは肉体の遅れに直結する。
道化はコヨーテの懐に飛び込むと、心臓目掛けて異形のナイフを突き上げた。
「ギャウッ!」
小さな悲鳴が裂けた口角から漏れる。
と、共に、背中の丸まったコヨーテは勢いよく背後へと飛び退いた。
刃が毛先に触れた瞬間に体を丸め、皮膚に到達する前に避けることが出来た。獣化のメリットがこんなところで発揮される。寸でのところで致命傷は避けられた。
―――一方、ベルギオ山。風穴。
ライリーがロングソードを薙ぎつつ、部隊を鼓舞するための声を上げた。
「死守!一歩たりとも近付けるな!」
それに呼応し、彼の小隊が鬨の声を返す。
樹海から最も離れた風穴で、彼らは迫り来る敵を相手に獅子奮迅、全力で戦っていた。
樹海ではメイドや執事、そしてクロエらが奮戦している。彼らの守るべき前線は突破されてはいない。
では、プージャを守るべき彼らは一体なにと戦っているのか?
ひとりのドラゴン族の男が、翼を翻してライリーに襲い掛かった。それに続くように、更に数名のドラゴン族が飛来する。
すれ違い様の一撃を、ライリー達は地上で迎え撃つ。
高い天井を持つ風穴には、両手の指を軽く超える数のドラゴン族が旋回していた。
(予想の範囲とは言え、流石はドラゴン族。強い!)
普段の質実剛健な印象とはかけ離れたオーガ族の本性。ライリーの筋肉は膨れ上がり、纏っていたライトアーマーははち切れんばかり。
頭部の太い山羊角と相まって、その様相は悪名高い狂戦士そのものと言えた。
彼に倣い、トロル、オーク、ゴブリン……小隊の兵士達も己の本性をさらけ出し、最強の魔血種族を君主の眠る小屋に近付けまいと、必死の抵抗を続けていた。
風穴は、風穴だ。
巨大なベルギオ山を貫いている。
入り口はひとつではない。
前線である樹海はナギによる幻術で濃霧に覆われ、飛行は困難。
だがしかし、ひと度山を越えればそこに視界を遮る霧は無い。
ドラゴン族は、その裏手から舞い込んできた。
ライリー達が迎撃せんと待ち構えていたのは、その裏手からの敵襲だったのだ。
彼ら小隊の知る由はないが、天霊軍所属のドラゴン族は、三騎竜を除いたほぼ全てがこの風穴へと集結していた。
このオーガ族の率いる小隊はよく戦った。
それでも空中からの攻撃は、彼らを確実に駆逐せんとしていた。
「くっ!」
広い風穴を舞台に立ち回っていた兵達から、徐々に苦悶の声が上がり始める。
見ると、それまで密集して戦闘に当たっていた兵達はいつの間にか、それぞれが孤立した状態に引き離されていた。
ごく簡単な数的不利の状況に陥っていた。
「散らばるな!」
ライリーの号令に合わせ、小隊の面々はその間隔を詰めようと動く。
だが、それをさせるドラゴン族ではない。
移動を開始する兵の行く手を遮るように取り囲み、ひとり、またひとりとその餌食となっていく。
(まずい!)
ライリーは胸中で悪態をついた。
このままではすぐに押し込まれる。魔王プージャの眠る小屋は既に目と鼻の先。
彼らが倒れれば、プージャの命は……
焦りから、ライリーの剣筋に淀みが生まれた。
それを見逃すほど、魔血種族の戦士は脆弱ではなかった。
ひとりのドラゴン族が戦場を飛び出した。
遂に突破された。
オーガ隊長の背筋が凍りついた。
彼は目下、5名のドラゴン族と交戦中。
追うことは困難。
周囲の兵達もほぼ同様。
ドラゴン族が、小屋に向かい特攻を仕掛けた。
何か、はぜる音がした。
パチンと。
ライリーは胸を撫で下ろす想いだった。
「遅くなった。」
ドラゴン族の頭部は、突き上げられた長くしなやかな脚により、まるで枝の先の木の実がもぎ取られるかのように、呆気なく切り離された。
「マルハチ殿!」
思わずライリーがその名を叫んだ。