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第102話 宿命の名

 それは一瞬の出来事だった。


 プージャを咥えたマルハチを時空転移ゲートに通し終えた直後のツキカゲを、どこからともなく飛来したひとりのドラゴン族が襲った。

 混乱を極めた状況下。ツキカゲ自身は全神経をゲートに集中させており、ミュシャですら反応が遅れた。

 結果、ツキカゲは呆気なく略取された。



―――落涙はプージャの左頬を掠めたのみだった。傷はクペの実により即座に完治したものの、プージャは床に臥せることとなった。

 落涙の持つ細胞を破壊する毒と、プージャは向き合わなければならなかった。


「ありがと…………来てくれて。」


 まさに息も絶え絶えだ。プージャは全身で呼吸をしながらマルハチに微笑んで見せた。


「申し訳ありません。プージャ様。」


 どれほど辛いことだろう。

 マルハチの胸は締め付けられた。それでも、マルハチはその気持ちを尾首にも出さず、気丈にプージャの手を握った。


「全ては……私めの責任です。」


 プージャも力無くではあるが、マルハチの手を握り返した。


「教えて……。私に、全部。きちんと、話して。」


 やはり微笑んでいた。

 本当は今話すべきじゃないのかもしれない。

 しかし、マルハチはプージャに応えた。

 息を吸い込むと、ゆっくりと口を開いた。


「私は……いつ、どこで、生まれたのか知りませんでした。気が付いた時には、そこに居ました。両親の……母の顔すら知りません。自分の名前も知らないし、自分が何なのかも。何で生きているのかも。一番遠い記憶にあるのは、初めてオークションに掛けられた時のこと。そこで自分が308(サンマルハチ)番なんだって、知りました。」


 プージャはマルハチの手を弱々しく握ったまま、慈しむような視線だけを向け、静かに耳を傾けているようだった。


「だから、俺の中身は空っぽで、初めて俺に意味をくれたのが……貴女だった。」


 そう呟いて、プージャの手を握り締めた。


「俺の中に、もうひとりの俺がいて……ずっと知らなくて……でも、俺の全てを知っていて……俺の中で、俺と、もうひとりの俺がひとつになって……全てを知ることが出来ました。」


 プージャは、優しく見つめたままだった。


「あれは、一万年前以上も前のことです。ドラゴン族にふたりの天才が誕生しました。ひとりは、白狼(びゃくろう)ガルダ。そしてもうひとりは、天霊(てんりょう)ブローキューラ。ふたりは兄妹でした。兄である白狼は成長し、ドラゴン族の王となりました。多くのドラゴン族同様に厭戦的(えんせんてき)な白狼は、争いの無い治世を望みました。しかし、兄とは対照的に争いを好む天霊は、世界の侵略を望みました。結果、ふたりは袂を分かち、争うようになりました。

天霊は戦いの化身のような娘でした。他者の魂を蝕む【特別】な力を持ち、全ての生命を己の支配下に置くことが出来たのです。白狼は戦いに破れ、覇権を天霊へと譲ることとなりました。

……ですが、白狼にもひとつの【特別】が与えられていた。

彼には、己の魂を他者に分け与える力があったのです。

白狼は死の間際、その力を使い、魂の欠片を封印しました。どこかの誰かの中に。

彼の魂は眠り続け、宿主が天寿をまっとうするとまた別の宿主を見付け、密かに在り続けてきました。

そして、プージャ様の行った召喚の義で、かつて滅びた白狼は復活しました。その瞬間、この世には、ふたりの白狼が存在することとなったのです。

これは、白狼にとっては好機でした。

かつてと同様、いつかは己が天霊に滅ぼされることを予見していた白狼は、自身が封印した魂の欠片に自身の全てを移し替える決意をしました。

彼が滅ぶと、彼の魂は望み通り、欠片の宿主と融合したのです。」


「欠片の……宿主……」


「欠片の宿主には、名が与えられました。全ての宿主は生まれると、宿命のようにその名を付けられた……。

俺の本当の名前は……ガルダ……です。」


「そっか。」


「プージャ様の前に現れたのは、白狼ガルダ本人です。既に天霊に破れ、支配されていました。だから、欠片の宿主である俺の意識からこちら側の情報を抜き取り、あのように攻めることが出来たのです。そして今だってこんな……全ては、俺のせい、です。」


「でも、全部思い出すことが出来た……。白狼の魂の欠片が、マルハチの知らない記憶を留めていた……。」


 プージャの目が微笑んだ。


「きっと、マルハチのこと、ずっと見守ってくれてたんだね。……良かった。」


 良かった。

 プージャはそう言った。

 マルハチの、自分の中のもうひとりの自分のせいで、プージャは命を落としかけ、大切な仲間も危険に晒した。

 そのマルハチに向けて、プージャは……自分の命よりも、マルハチの命に意味があったことを、良かった、と。

 そう言った。


「プージャ様……そんなこと……そんなこと……言わないで下さい……」


 プージャの手の甲に、小さな雫が落ちた。


「マルハチ、前に進も。私はへたれな領主だし、へたれな魔王だし、へたれなただの魔族だよ。だから、マルハチに手を引いて貰わないと、何にも出来ないんだ。だからお願い。自分を、責めないで。」


「ですが……ですが……」


「うん、いいよ。いっぱい泣いていい。私の前では、弱くて格好悪くていい。」


「プージャ様……」


「だけど皆の前では、強くて格好いいマルハチでいて。」


「……はい。」


 プージャはゆっくりと目を閉じた。

 どうやら少し話しすぎたらしい。弱々しいが、寝息が漏れ始めた。


 樹海の枝葉を折り重ねてこしらえた即席のベッドに横たわるプージャの上に、そっとタキシードを掛けてやった。

 立ち上がり、深く息を吸った。

 頭のすぐ上の低い天井から、青臭い匂いが強く漂ってきた。

 それから踵を返すと、天井やベッドと同じ大きな葉が重ねれた壁の一部に手を差し込み、作られた隙間にゆっくりと体を通した。



 朝の光がシルバーに輝く双眸を強く突いた。


「皆、聞いての通りだ。すまない。」


 マルハチは深々と頭を下げ、剥き出しになった岩肌だけを見つめた。

 

「室長。」


 聞き覚えのある声がマルハチを呼んだ。


「まずは顔を上げてくだせぇや。」


 ゴルウッドだろう。

 だが、マルハチは深く頭を垂れたまま、動かなかった。


「そうだ。」


 クロエもまた、同調するように顎を鳴らしていた。

 それでもまだ、マルハチは動かなかった。


「姫様がいいって言うのなら、ミュシャ達はそれでいいのです♪」


 言いながら、ミュシャはマルハチの頭を抱き締め、ブロンドの髪を優しく撫でた。


「皆、すまない!」


 その言葉にミュシャの手がそっと頭から離れた。マルハチは顔を上げると、ゆっくりと全員の顔を見回した。

 目の前で微笑むミュシャ。その後ろに控える、ミリア、アイネ、ララ。

 その隣。凛々しい表情で、尊敬する上司を見つめるゴルウッド、ナギ、フォスター。

 そして、傍らに近寄ってくるクロエと、その背中を守るように控えたライリー。

 プージャの眠る小さな小屋を囲むように、全員が揃ってマルハチを出迎えていた。


「さぁ、なきごとは、もうなしだ。しごとにかかるぞ。」

 

 笑ってるのだろうか。クロエの顎は、いつもよりもリズミカルに鳴っている気がした。


「あぁ。そうだな。」


 マルハチが歩き出した。

 ミュシャ達は一斉に道を開け、その背中に付き従った。

 硬い岩が剥き出しになった地面を進んでいく。つい最近削り出されたような、妙に新しい岩肌だった。

 ひとたび天を仰げば、遥か頭上を高い天井が塞いでいる。それもまた真新しい削り口に見えた。

 白狼ガルダの記憶がマルハチに語り掛ける。

 これが、このデタラメなほどの破壊が、天霊の力。

 南部最大のベルギオ山の中腹にぽっかりと空いた、サルコファガスの砦すらゆうに収まるのではと思えるほどに大きく空いた風穴。

 その風穴の中を歩き、マルハチは遂にその(へり)へと辿り着いた。


 眼下に広がる広大な樹海。その更に先にはベラージオの街が見える。


 街と樹海の間に横たわる平原が、黒く蠢く何かの群れに埋め尽くされていた。


 総勢20万は下らないであろう天霊ブローキューラの軍勢が、ベルギオ山を取り囲んでいた。


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