第101話 プージャバーニング!
―――天を覆う紅き光の雨。それを防ぐ黒き炎の繭。
クロエ達の頭上では、にわかには信じがたい、神に等しい魔王の力がぶつかり合っていた。
「そういん!たいひ!」
そうだ。このために全員を集めていた。プージャの言葉からその真意を汲み取ったクロエは、いち早く行動に移していた。
1万人にも及ぶ砦の兵達を早急に避難させるため、全員を庭へと誘導していた。
だがしかし、
(早すぎる!これでは間に合わんぞ!)
プージャの怒号と共に、クロエの指揮の下、一斉に避難が開始される。
だが、言うほど容易ではないのも事実。
ただでさえ、ミリアら若者は狼狽を隠せず、動きが鈍っている。そしてこの人数。クロエの指揮があるとは言え混乱は生じている。
大きな正門ですら、群がった魔族達をすんなりと通すことは出来ず、その口を塞がれている状態だった。
(すまぬ!姫殿下!私がもっと早く行動していれば!)
クロエの心を後悔が支配した、その時だ。
正門が歪んだ。
(あれは!ゲート!?)
歪みはみるみるうちに大きくなり、正門を飲み込み、ぽっかりと空間に口を広げた。
その先に現れたのは、見たこともないような樹海だった。
「おい貴様ら!こちらだ!早く来い!」
どこからともなく聞こえるのは、馴染みのある、だがどことなく嫌悪感を覚える怒声。
そして、ゲートの先に見える樹海では、今まさに無数の木々がなぎ倒されているようだった
「今、皆さんが避難出来るように広場を作ってますからね♪すぐ出来ますからね♪」
こちらも聞き覚えのある、弾むような愛らしい声。
空中で両腕を広げるツキカゲ。周囲を駆け巡りながら巨木を斬り倒すミュシャ。ふたりがゲートの先からこちらを見据えていた。
「ぜんいん!ゲートへ、にげこめ!」
クロエはありったけの胆力を籠め、号令を発した。
その間にも、プージャの展開した炎の繭には落涙が続々と打ち付けられていた。
一撃一撃が、大地に深い奈落を生み出すほどに強力な、まさに神が溢した涙そのものだった。
(あわわわわわ!無理!もう無理!もたない!ってか、体力不足!)
繭に一撃が加わるごとに、プージャの体をとてつもない衝撃が襲ってきていた。
それでも兵を逃がす時間を稼ぐため、このへたれ姫は必死になって魔力の放出を続けていた。
(早く逃げろみんな!もう無理!維持、無理!)
眼下では、兵達の影が徐々に小さくなっている。そしてその先に空間の歪み、時空転移ゲートの姿を捉えた。
(やった!なんてグッドタイミング!あの色ボケ、たまには役立つじゃないのさ!)
両腕を使えないながらも、プージャは心の中で大きく胸を撫で下ろしていた。
それから、緋哀の樹へと向かって顔を上げた。
(何がどうなってるのかはさっぱり分からないけどさぁ……私の目の前で……マルハチを殺しやがって、あのチビッコ小僧めが。)
プージャの頬に光が走った。そして、鮮烈な血飛沫がほとばしった。
(いったぁー!!マジかよ!?突き破られた!)
同時に足元から轟音が響き渡るのが聞こえた。
(しまった!)
落涙の一筋を受けて、屈強なサルコファガス砦の本館が溶け落ちる音だった。
(泣き言無用ぅー!最大出力ぅー!)
再度、全力を籠めるプージャ。その頬からはおびただしい血液が吹き出し続けている。
(そんな変な位置からそんな血ぃ出ないはずでしょ!なんなん!?まさか、体が壊されてる!?)
プージャの読み通りだった。
紅い光の雨は毒の雨でもある。物理的な破壊とは、内部破壊。触れた者を蝕み、細胞を破壊する効果を持つ。
(やっば!力、抜けてきた!)
激しい出血と共に、体から力が失われてゆく。
遂に、プージャの繭を落涙が突き抜け始めた。
轟き始める破壊音。次々と、連鎖するようにサルコファガスの砦を、石棺の帝王の居城を叩き潰してゆく。
(あぁ!ごめん!みんな!)
プージャはゲートに目をやった。
ゲートの周囲に残るのは、僅かの人影のみ。
それは、クロエ、ライリー、ミリア、ゴルウッド、フォスター、アイネ、ララ、ナギ。
プージャの方を見やり、しきりに手を振っているようだった。
(やった。全員逃げ切れたね?)
プージャは独り、微笑みを浮かべた。
「ひめでんか!はやくこちらへ!」
「避難は完了です!」
「お逃げ下さい!」
遠くて聞こえない。だけど、きっとこう言ってるに違いない。
紅い光の雨が、大地に降り注ぎ奈落を生み出していく。
クロエ達の目の前にも降り始めた。
(みんなも早く逃げて。)
プージャは微笑みを絶やさなかった。
それでも彼らは手を振っている。プージャを待ち望んでいる。彼女が自らの責務を全うし、自分達の元へと戻ってくるのを、ゲートの前で待っている。
(ごめん!無理だ!)
もはやほとんど体に力が入らなくなっていた。
プージャは左手のみで黒い繭を支え、右手をふんわりと振った。
黒の衝動がクロエ達を絡め取ると、そっとゲートへと押し込んだ。
(ごめん!みんな!)
プージャの力が途絶えた。サルコファガスを覆っていた巨大な繭が、穴だらけになっても、それでも1万の命を守り続けていた繭が、力を失った。
「ジャ………さまぁー……」
遠くの方から声が聞こえる。
薄れゆく意識の中、プージャはその声に懐かしさを覚えていた。
「ージャさまぁー……」
なんだろうか。懐かしさだけではない。ひどく、愛しい気もする。
この声、また聞けるなんて思ってもみなかった。
滅びゆくその前に、この声、また聞けて、良かっ…………
「プージャさまぁー!!」
声がはっきりと聞こえた。
プージャは目を見開いた。
ゲートから飛び出してきたそれを、プージャはしっかりと見つめていた。
(良くあるかぁー!!死んでたまるかぁー!!)
覚醒した意識と共に、炎の繭が再び燃え上がった。
「プージャ様!」
ゲートから飛び出したのは、銀狼だった。
「マぁルハチぃー!!たぁすけてぇー!!」
ただの銀狼ではなかった。
翔んでいた。
蝙蝠の如し皮膜を張った、大きな翼をはためかせ、銀狼は翔んでいたのだ。
降りしきる破壊の雨を掻い潜り、マルハチは光よりも速く夜空を駆け昇る。
「今!今、お側に!!」
プージャは少しでもマルハチが避けやすいよう、出来る限りの力を振り絞り、炎の繭を広げる。
「早く!早く助けに来てぇー!」
「すぐに助けますとも!すぐに!」
翼を持った銀狼が、魔王の元へと辿り着いた。
「来てくれるって、信じてた!」
銀狼に咥えられ、プージャは泣きながら喚き散らした。
「今それどころではありませんから。少し黙ってて下さい。」
マルハチはそれを無下にして見せた。
でも、その声は少し震えていた。
―――マルハチは光よりも速く落涙から逃れると、ツキカゲが繋げたゲートへと飛び込んでいった。
伝説に残る、破壊の雨をたったひとりで食い止めた、最愛の君主を連れて。
その日、サルコファガス砦は跡形もなく消え失せた。
―――天霊郭。天霊の間。
「天霊ブローキューラ様。ご報告にございます。」
ひとりのドラゴン族の若い男性が、幼子の容貌をした魔王の前にひれ伏した。
「いいよ?言いな。」
ブローキューラはさも楽しそうに声を上げた。
「たった今、マリアベル前線基地サルコファガス砦が、落涙により陥落したとのこと。そして……」
「なになに?続けなよ。」
「ベルギオ山麓の樹海に、突如としてマリアベルの軍勢が現れました。」
「へぇ!そりゃすごいや!」
その報告に手を叩いて笑っていた。
「で?数は?」
「約1万とのことです。」
「そうかぁー、そっか、そっか、そっかぁ!」
巨大な玉座の上で腰を弾ませ、ブローキューラは腹を抱えて笑っていた。
「なら、オレ達はさぁ……」
それまで散々笑い続けていたにも関わらず、その笑いがピタリと止んだ。
「20万人、向かわせろよ。」
天霊の空色の輝きが、禍々しく揺らめいていた。




