第100話 落涙
―――クロエを囲むように、ミリアやゴルウッドらを始めとした面々が、夜空を見上げていた。
「冗談じゃねぇや。まさか、室長が内通者だなんて。」
ゴルウッドの声が震えていた。
「ねぇ、あれはどう見てもドラゴン族だよ!?マルハチさん、ドラゴン族だったの!?」
アイネがゴルウッドの腕を掴んだ。
「俺にも分からねーよ!」
その腕を無理やり振りほどきながら声を荒げた。
「だが、どうすんだ?このまま姫殿下だけを戦わせておいていいのか?」
その様子を静観していたナギが問い掛けた。
「そうです!姫様にあのような危険なことをさせる訳にはいきません!」
「だ、だけど、姫様のご意向だよ?僕らに退却を命じたのは。」
今にも飛び出しそうになるミリアの肩を抑え、フォスターが不安げに声を掛けた。
誰もがそうであるように、彼らにも、答えは分からないのだ。
「いや、ミリアの言う通りだ。」
ゴルウッドが振り返った。
「敵が誰だとか、俺らの知ったこっちゃねーんだ。」
「はっ。やっぱてめぇは阿呆で良いわ。」
その言葉を受けて、ナギが指を鳴らした。
「姫様のご意向には背くかもしれませんが、それでもわたくし達は、姫様をお慕い申しておりますから。」
ララの体がしなやかなヒョウへと変貌を遂げていく。それに合わせてアイネもまた、体に力を籠めた。
「やろう!ボク達、姫様をお守りするんだ!」
「……仕方ないな。」
フォスターもまた、仲間達に引き摺られるように得物に手を掛けた。
6人全員の気持ちがひとつになった。
夜空では未だ、大気の震えが収まらない。
それどころか黒い炎弾と白い閃光が飛び交い、星の光り降り注ぐ空を焦がしている。
プージャが戦っている。
「いくぞ!」
ゴルウッドが鬨の声を上げた時だった。
「まて!」
それを遮る者があった。
「いってはならん!」
クロエだった。
「「な!?何でだよ!?」」
「「止めないで下さい!」」
まさに腰を折るようなその制止に、若者達は口々に不満を声を上げた。がしかし、そのクロエの暗闇を湛える眼孔が、彼女が真剣であると物語っていた。
「ひめでんかより、みなをつどわせろとおおせつかっている。だれひとり、うごくことまかりならん。」
「どうして!?」
このふたりの間にある因縁も手伝ったのだろう。ナギが苛立ちを隠さずにクロエに食って掛かった。
「ひめでんかは、そらをみろ、とおっしゃった。」
「は!?訳が分からんねぇ!」
「わたしたちは、そのいみをかんがえ、さきをよんでうごかなければならない。」
「意味!?意味なんて……」
その一言でナギの頭から血が下がった。
プージャの言葉に意味が無いはずが、無い。
「そらをみろ。」
クロエが静かに夜空を指差した。
―――ツキカゲがマルハチの顔を覗き込んだ。
「貴様はここにいるぞ?何を言っている?」
マルハチが頭を振った。
「分からない。分からないんだ。だが、僕には今、見えている。目の前にプージャ様が、見えている。僕と戦っている。そのプージャ様の姿だけは見えているんだ。」
「貴様の精神がプージャの元へと飛んでいる、と言うことか?」
「そうなのか……それすら分からない。」
マルハチが勢いよく立ち上がった。
「ツキカゲ、ゲートを開いてくれ。」
突然の依頼に、ツキカゲは目を見開いた。
「行くのか?」
「いや、逆だ!」
「逆?」
「まずいぞ!気付かれた!」
「おい貴様!きちんと説明しろ!訳が分からんぞ!」
「来た………」
マルハチは、ツキカゲの肩を掴んだ。
「緋哀の樹だ!」
―――プージャはゆっくりと天を仰いだ。
(やっべぇー。思ったより大分早いのね。)
その視線の先。
星明かりを反射する冷たい紅玉に包まれた、巨大な神の樹が、サルコファガスの頭上に現れ出でていた。
(そりゃあんなド派手に花火ぶっぱなしたら、気付かれるわさ。にしても、早すぎやしませんかねぇ?)
遥か眼下の庭には、配下の兵達がまるで濁流の如く屋内から流れ込んで来ているのが見えた。
そして視線を移す。
星々を背に、こちらを威嚇するように翼を広げるマルハチの姿。
(あぁ、なんて日だ。本当はマルハチひとりでも手一杯なのに、ダクリまで。)
プージャが胸中で頭を抱え込んだ刹那だった。
緋哀の樹から、一筋の光が放たれた。
紅い、深く深く紅い、ほんの髪の毛ほどの、細く、それでいて、禍々しいまでの魔力を帯びた、一筋の紅い光が。
反応すら出来なかった。
紅い光はプージャの目の前で、マルハチの頭を撃ち抜いた。
そして気が付いた時には、マルハチの体は激しく光り輝きながら四散していた。
(っ!!)
プージャは息を飲んだ。
音もなく弾け飛ぶ我が腹心。
憎悪……いや、恐怖が全身を走り抜けた。
「全員!退避ぃー!!!!」
弾けるようにプージャは叫び声を上げた。
「うわああぁぁぁぁぁ!!!」
悲鳴と共に、プージャは全身の魔力を一気に解放した。
心臓が大きく収縮を繰り返し、腹の底がひっくり返るように燃え上がる。
広げた両腕から漆黒の光が解き放たれ、瞬時に放射状に広がってゆく。
「させるかぁぁぁぁぁ!!!」
サルコファガスの頂上に浮かび上がるプージャから生み出された、黒の衝動に導かれた黒の炎が、巨大な繭のように広がり、すっぽりと砦を包み込んだ。
繭が広がりきるとほぼ同時だった。
緋哀の樹から無数の紅い光が降り注いだ。
これが世に言う魔王の鉄槌。伝説に名高き、【落涙】だった。