第98話 プージャ対マルハチ
口角が裂け、顎が大きく開かれた。刹那、喉の奥から炎が吐き出された。
凄まじい熱量、密度、濃度。通常の炎では考えられない、まるで地獄の業火。
炎は一筋の閃光のように集束し、プージャへと向けて解放された。
プージャは予知していた。
誰かまでは見えなかったが、それでもこの炎の光線が自らを襲うことを。
だから準備して待った。
例え相手がマルハチだと知ったとしても。
真っ白に輝く炎がプージャに襲い掛かると同時に、プージャは黒の炎を燃え上がらせた。
眼前に炎の壁をこしらえる。
黒の炎は激しくぶつかった白い炎を、いとも容易く捩じ伏せて見せた。
行く手を阻まれ、逃げ場を失った白い炎は爆散するしかなかった。だが、ここは屋内。暴発させる訳にはいかない。
プージャは黒の炎を操り、白い炎を包み込むと、その荒ぶる力を夜空へと向けて解き放った。
最上階の屋根は、黒い炎を噴き上げながら、粉微塵に砕け散った。
「ここで何をしている!?」
プージャが悲痛な叫び声を上げた。
目の前に佇むドラゴン族と思しき青年へと向けて。
朱い見慣れぬ衣装に身を包んでいる。
ブロンド癖毛。涼やかな表情を浮かべる整った造形。光を湛えないグレーの双眸。
「答えよ!!」
その姿形、まごうこと無き、
「マルハチ!!」
喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
内通者。マルハチが。内通者。ドラゴン族。マルハチが。嘘だ。内通者。敵。マルハチが。私を。マルハチが。そんなことない。ドラゴン族。私を。裏切り者。マルハチが……
倒錯する想いが全身を駆け巡る。
しかし、マルハチはそれすらも許さなかった。
無言で抜刀すると、音も立てずにプージャに踊り掛かった。目にも止まらぬほどのスピードで。
―――突然の轟音を聞き付け、ミリア達は扉を蹴破った。
「姫様!?」
室内を見渡すも、そこにいるべき主の姿は無い。
「いや!声も聞こえたぞ!」
3人がプージャを探そうと散開しようとしたその時だった。
窓の外で大気が震えた。
3人は互いに視線だけを交わすと、城主の寝室の窓を破り、屋根へと飛び出した。
そして驚愕した。
彼らの目の前で繰り広げられていたのは、信じがたい光景だった。
真っ暗な夜空を、振動だけが包み込んでいた。
姿が見えない。
しかし、大気は震えている。
屋敷を取り巻くように様々な場所で、何かと何かがぶつかり合うような、凄まじい衝突音が繰り返されていた。
屋根の上を滑りながら何度も何度も、まるで大太鼓を激しく連打するように、震えが空を舞う龍の如く移動していく。
屋根を離れ、夜空を舞って、壁を這うように登り、また夜空を舞う。
魔界有数の手練れであるミリア達3人ですら、それが戦闘であると理解するのにしばしの時間を要したほどだった。
「一体これは!?」
フォスターが声を上げたその時だった。
風切り音が夜空を切り裂き、彼らのすぐ脇の屋根へと向かって何かが突っ込んできた。衝撃と同時に屋根を成している石材が大きく陥没した。
「姫様!」
ミリアが悲鳴を上げた。
半径2メートルほどのクレーターの中に横たわっていたのは、紛れもないプージャだった。
しかし、恐らくは黒の衝動で繭を作り出しているのだろう、その体は全くの無傷。クレーターの中に浮かび上がり、その目は真っ直ぐに夜空を見据えていた。
「ミリア!」
ミリアの名を呼ぶものの、プージャはこちらには目もくれない。
「この戦いを見るのを禁ずる!すぐにクロエの元へと向かえ!」
言い終わるや否やだった。
プージャを追うように何かが屋根へと突撃してきた。
それがプージャに激突した瞬間、一瞬だけ動きが止まった。
プージャに向けて片刃の剣を叩き付けるその横顔は、マルハチだった。
「室長!?」
「姫様ぁー!!」
ミリアらの上げた声も虚しく、マルハチの放った一撃を受け、プージャの姿は屋根を突き破ると階下へと消えていく。やはり黒の衝動で防いでいるのだろう。両腕を突き出したままのプージャには、刃が届くことはなかった。
屋根を支える木材を、そして壁を構成する石材を打ち壊しながら、プージャの体は閃光のように飛ばされていく。
プージャは耐えていた。
体中を黒の衝動で生み出した繭で覆い、マルハチの攻撃を受け止めるだけだった。
何度も何度もマルハチはプージャ目掛けて刃を振り下ろす。何度も、何度も。
その度に衝撃波が走り、砦を破壊していく。
それでもプージャは耐える道を選んだ。
プージャは待っていた。
激情に身を委ねることは無く、静かに見極めるべく。
もしかしたら、待てば変わるかもしれない。
きっと何か事情があるはず。悪いジョークだと、そう言ってくれるのを待っていた。
そして、咆哮した。
「マルハチぃー!!!」