第97話 4日目~集束~
―――日が暮れる。
あともう少し。
見えてきた。
北部。
マリアベルの砦。
サルコファガス。
声は途絶えた。
死んだか。
分からぬ。
とにかくもはや声は聞こえぬ。
だが既に聞いている。
どこにいるのか。
分かっている。
『もし万一の際、サルコファガスには隠し部屋が用意してあります。城主の寝室の屋根裏。そこに隠れて下さい。』
そう。
今宵は。
そこにいる。
儂は既に聞いている。
あともう少し。
あともう少し。
あと……少し……で……
……完全に……移る……
―――四日目の夜が訪れようとしていた。
あれから、マルハチ達は駆け続けていた。
樹海の上でドラゴン族を見たマルハチから聞いた話。マルハチを驚かせた理由。
その理由を聞いたところで……
どうしていいのか分からない。
ツキカゲも、ミュシャも、そしてマルハチ自身も、どうしていいのか分からなかった。
だから駆けた。駆けて、駆けて、全てを忘れることを望むかの如く、駆けて。
夜を迎える頃には3人は樹海を抜け、ベラージオの街を眼下に望み始めていた。
ツキカゲはずっと心の中で反芻していた。
それはミュシャも同様だった。
そしてマルハチも。
「視線が……消えた。」
あの時、マルハチが口にしたことのひとつ。
驚きとは別のひとつ。
ドラゴン族の姿を見た直後から、マルハチに纏わり付いていた視線は、まるで始めから無かったかのように消え失せた。
しかし、これを好機と見るかどうか。
それは分からない。
ただ、やれることはやる。
3人が選んだのは、進むことだった。
―――ようやくサルコファガス砦へと辿り着いた。
実の妹である天霊ブローキューラに魂を支配され、傀儡と化した魔王。
白狼のガルダ。
多くのドラゴン族と同じように戦いを嫌い、しかし多くのドラゴン族よりも強大な力を持った、偉大なる魔王だ。
その魔王が、サルコファガス砦の頭上を旋回していた。
狙いは定まった。本館の最上階、屋根に天窓が見えた。
ガルダは姿勢を傾けると、翼を畳んだ。
隼が地上を駆る兎に襲い掛かるかの如く急速に速度を上げると、天窓を目掛けて突っ込んでいった。
天窓の奥、何者かの影が映る。刹那だった。
凄まじいスピードで天窓が突き破られた。
―――それでも迷いはあった。
何度も何度も心の中で繰り返して、意味を探った。
何度も何度も探ろうとして、それでも分からない。
マルハチが急に足を止めた。
「どうした!?」
「マルハチさん!?」
ミュシャもツキカゲも、マルハチの異変に気付いて立ち止まった。
腰を曲げ、顔を押さえて屈み込むマルハチ。ふたりはそんな彼の元へと駆け寄った。
「……あ?……え?」
不穏な声を上げ、必死に顔を擦っている。しかしどうやら、押さえているのは顔ではないようだ。
「どうしたんだ?」
「目ですか?目がおかいしんですか?」
ふたりの声にようやくマルハチが反応を示した。
「おかしい……なんだ、これは?」
「どうした?言え!言わねば分からんぞ!」
「目は開いてますよ?ちゃんと目玉ありますよ?見えますか?ミュシャのこと、見えますか?」
「ああ、見える。……だけど、見えるのは……これは……なんなんだ!?」
―――ガルダが一歩近付いた。
女は両の掌に力を籠め、ようやく声を振り絞った。
「…………ここで何をしているのさ?」
ガルダは何も答えなかった。
代わりに、大きく翼を広げた。狭い屋根裏部屋をほとんど覆い尽くす、巨大な翼。ドラゴン族しか持ち得ない、蝙蝠の如し皮膜の張った翼を広げ、女を威嚇するように包み込んだ。
「それ以上、近付くなよ……」
女の両手から黒の炎が燃え上がった。
星明かりを反射するブロンドの癖毛。グレーに輝く双眸がこちらを睨んでいた。
―――あの時、マルハチが樹上で見たもの。
それはドラゴン族に違いなかった。見てくれは何てことの無いヒューマノイドでしかない。特筆すべきはドラゴン族しか持ち得ない蝙蝠の如し皮膜の張った翼くらい。
それだけであれば、大きな角を持つオーガ族や全身が白骨や腐肉で構成されたアンデッド族と比べてみても、大して驚くべき点では無い。
確かに存在自体が稀少であることも、驚くに値するのかもしれない。
しかし彼らを驚かせたのは、そんなことではなかった。
あの時マルハチは、乾いた声を絞り出して言ったのだ。
「……あれは……」
―――今、プージャが呟いた。
「……マルハチ。」
―――あの時、マルハチが呟いた。
「……あれは……僕だ。」
その瞬間、プージャの目の前に現れたドラゴン族と、マルハチが目撃した飛翔するドラゴン族の姿が完全に重なりあった。
巨大な爆音と共に、最上階の屋根が吹き飛んだ。
真っ黒い炎を噴き上げながら。