序幕① 破壊神バルモン
マリアベル屋敷、展望台。
塔の上で望遠鏡を覗き込むは、マリアベル家執事室室長、マルハチ。
見渡しの良い平原に構える屋敷の前に陣取るは、魔族の軍勢。
その数およそ5千、と言ったところか。
「このような短期間で、あそこまで固めるとは。」
マルハチは頭を振った。
召喚の儀からほんの数日で、魔王は自身の軍勢を作り上げたのだ。
「流石は破壊神バルモン……。」
望遠鏡の先、軍勢の中心には、
筋骨隆々の肉体を重装のプレートアーマーで包み込んだ髭面の大男が、どっしりと仁王立ちしているのが見える。
マルハチは望遠鏡を畳むと、急ぎ階段を降りた。
魔界中に散らばっていった歴戦の魔王達は、思い思いの土地で各々の居城を作り出し、それぞれの軍勢を率いて自らの領地と定めていた。
マリアベル家により統一されていた魔界は今や100以上の勢力によって分断され、互いに侵攻の機会を狙って睨み合う戦国の世と化した。
その内のひとつ。
破壊神バルモン。
神話の時代から現存する数少ない魔血種族、巨人種の盟主ギガース族の首領にして、数百年前、魔界を統一して人間界に攻め込むも、あと一歩届かず散っていった実力屈指の魔王。
軍師としても名高い彼の者は、最も侵攻しやすいであろうマリアベル家領地の目と鼻の先に居城を築いたのだ。
「プージャ様!」
継ぎはぎだらけの巨大な扉を叩き、マルハチは声を張り上げた。
中から返事は聞こえてこない。
代わりに継ぎはぎの隙間から、丸められた菓子袋が飛び出してきた。
「中見えてんのにわざわざノックすんな。このデストロイヤー。」
言葉のままである。
継ぎはぎの隙間から、声の主が丸見えだ。
相も変わらずベッドの上で大判の絵本を読みながら言い放つは、このマリアベル家の当主。
プージャ・フォン・マリアベルXIII。
この戦国時代を生み出した張本人だった。
「プージャ様!のん気して絵本なぞ見ている場合ではありません!既に屋敷の外では、破壊神バルモンの軍勢が侵攻の準備を整えているのですよ!」
継ぎはぎの扉を壊さないように丁寧に押し開けながら、マルハチが状況報告を行った。
「見てる。って言うな。読んでるって言いなさいな。」
しかしそんなマルハチの様子とは裏腹に、プージャはシュークリームにかじりつきながら、絵本から目を離そうとすらしなかった。
「プージャ様!」
マルハチが絵本を取り上げた。
「あっ!ちょっ!っあー……。」
ひしゃげたシュークリームの中からカスタードクリームが飛び出て、プージャの腹の上にだらしなくこぼれ落ちた。
「プージャ様、事態は一刻を争うのですよ?」
「あーあ。勿体ない。」
クリームを指ですくい取ると、プージャは美味しそうに口に運ぶ。
「お行儀が悪いです。」
プージャの指をハンカチで拭いながら、マルハチも少し冷静になった自分に気が付いたようだった。
「プージャ様、もっと真面目に捉えて下さい。魔王の軍勢が今にもあなたの屋敷に攻め込もうとしているのです。」
マルハチからハンカチを取り上げると、ゆっくりと口を拭った。
「真面目にったって、別にどーすることも出来ないし、そんな時間があるならゆっくりと本を読んでたいんですけどねぇ。」
「何を仰ってるんですか。あなたは魔王なのですよ?何度も何度も申し上げてるではありませんか。」
ハンカチを投げ返すと、今度は取り上げられた絵本をひったくった。
「言いたいことは分かるけど、無理!」
「プージャ様!」
「お父ちゃんならいざ知らず、私には無理だもん。てか歴史の授業で自慢気に散々言ってたのはマルハチでしょ。昔の魔王はすごい!強い!って。私なんかが勝てるわけないんだよ。」
大切な絵本を放り出すと、プージャは枕を掴んで自分の顔に押し付けた。
「……プージャ様。確かに、それはマルハチめが悪うございました。申し訳ありません。ですが、事態が事態なのです。これは領民全員の生き死にに関わることなのです。」
「そんなん言われなくても分かってるから。だから怖いんでしょうよ。」
枕の下の魔王の声は、か細く、弱々しかった。
「……。」
無言でプージャの髪を撫でた後、マルハチは出来るだけ優しい声色で言った。
「お気を強く持って下さいませ。」
「無理。」
「あなた様ならやれます。」
「無理。」
「あなたには、強く逞しいマリアベルの血が流れてるのですよ?」
「無理!無理!無理!何言われても無理!」
「プージャ様!どうかご決断を!」
プージャはマルハチの顔面目掛けて、思い切り枕を投げ付けた。
「うっさい!そんなに言うんだったら、じゃあ決断しちゃるわ!」
「プージャ様!?」
枕を取り払うと、マルハチは目を輝かせた。
遂に主君がやる気を出してくれた。
何度拒否をされようと、しつこいと罵られようと、懇願し続けた甲斐があった。
マルハチは自分の苦労が報われたと、本気で感動していた。
「敵軍と和睦する!」
「……は?」
「会談の準備をしなさい!」
しかし、待っていたのは期待とは正反対の言葉だった。
鎖帷子で身を固めたマルハチは多少の兵を従えると、正門から歩み出した。
(和睦など……通用するわけがない。相手は歴戦の魔王だぞ。)
心中で愚痴りながら、マルハチは歩を進めてゆく。
「今から会食用のお菓子つくっから!マルハチは会談の申し入れをしてきなっさい!」
魔王プージャの言葉が何度も何度も脳裏をよぎる。
(会食用のお菓子って。そんなんで釣れるものか。)
何度考えてもバカらしい。
(先代も先代だ。何故もっと早くからプージャ様に帝王学を施さなかったのか。)
「プージャ様の、ばかぁー!」
マルハチは空に向かって雄叫びを上げた。
周囲の兵士達が一斉にマルハチの口を押さえつけた。
「マルハチ様、聞こえますよ。姫殿下は地獄耳です。」
「す、すまない。つい心の声が。」
「マルハチ様も大変ですね。」
「むしろ、皆に申し訳ない。このような死地へ向かう道に伴ってしまい。」
「何を仰いますか!」
「我ら、マルハチ様の為でしたらこの命、惜しくはありません!」
「皆……、本当に、ありがとう。」
目の前には破壊神バルモンの軍勢が立ちはだかっている。
マルハチの心は、風に吹かれる蝋燭の火のように揺れていた。