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伽音に言われるまま、わずかに軋む階段を登っていく。
不思議な感覚に襲われていた。
毎日、自分がこの階段を上り下りしているような感覚だった。もちろん、それはありえないことだし、階段などどこのものも同じようなものだ。
これはいつものことだった。
誰かの記憶、誰かの感覚、それが自分に入ってきて自分が自分でなくなるような感覚が襲ってくる。子供の頃から、他人の経験や知識を自分のものと混在し、錯覚することがあった。なぜ、そんなことが起こるのか、自分にはわからなかった。
階段を上がると3つのドアが見えた。
一つのドアは既に開いていて、足を踏み入れることが出来ないほどに物が散乱している。これでは誰かが隠れていることも出来ないだろう。
部屋を覗き込んでいるとーー
「止めて!」
悲鳴に似た声がドアの閉まっている隣の部屋から聞こえてきた。
響はハッとしてすぐにもうひとつのドアに飛びついた。
そしてーー
(これは?)
ドアを開けた目の前に見える光景に、響は呆然とした。
一人の大柄な男が小さな子供を殴りつけている。さっきの悲鳴がその子供のものであることは間違いがなかった。
それにも関わらず、響はそれを止めることが出来なかった。
それは人の姿をしてはいなかった。
(影)
それは影だった。
黒い小さな粒のような影の集まり。それが人の姿を形作っている。
響が男のほうに一歩近づく。
すると男を形作っていた塵が空気に舞うように、男の姿が崩れて消えていく。
震えて部屋の隅に蹲る子供の影がそこにあった。
ゆっくりと響きは近づいていった。
「誰?」
響は声をかけた。
誰かがそこにいる。
ハッキリと目に見えるわけではない。黒い影が寄せ集められて出来た人型。だが、そこにいるのは意識を持った子供だ。響にはそう感じられた。
響はゆっくりとその塊に手を伸ばした。
わずかに触れた瞬間、ピリリと指に刺激が走る。
その瞬間――
「お兄ちゃん」
ついさっきまで、黒い影の集まりでしかなかったものが突然、形を変えた。
光を纏い、今はその少女の姿がハッキリと見える。
殴られた痕なのか頬が赤く脹れている。
悲しそうな表情。助けを求めた眼差し。その目から涙がこぼれ落ちていく。
そして、突如、その少女の髪が炎で燃える。
「ありがとう」
少女はそう言った。
なぜ、少女が礼を言ったのか、響にはわからなかった。
「草薙さん? 人に見られても面倒です。そろそろ行きましょうか」
伽音が部屋を覗き込む。ふと視線をそらしたその一瞬でその少女は消えていた。