第8話 朝食
「あー、疲れた。体がクソ重い。何か甘いものが食べたいな‥‥」
屋敷への帰り道、ぶつくさと独り言を言いながら、ダラダラと歩いて帰る小嶋光宏の姿があった。
上を見上げると薄っすらと夜が明け出していて、太陽の光と暗闇が混ざり、美しい群青色のグラデーションの空が顔をのぞかせていた。
町の中を非難していた人の姿もすでに無く、全ての店の引き戸扉の閉まった中、夏の早朝の少し涼しい空気を感じながら、一人ゆっくりと周囲を眺めながら歩いているのだった。
「あー、この店、甘味屋って書いているじゃないか。和風世界ならではで、みたらし団子とか草餅、それに黒豆あんみつとかあるなら、是非食べてみたいなぁ」
和風カフェのようなところを想像しながら、そうごちるが、光宏は特別甘いものが好きというわけではない。が、久しぶりに昔食べたことのあるものを見つけたら、再び食べてみたいと思うのも心情であろう。
多田家の屋敷は、その甘味屋の先の道を右に曲がり、二、三分ほど歩いた先にあった。
屋敷の門をくぐり、玄関に到着すると、藤田四郎が駆け寄ってくる。
「ああ‥‥小嶋様‥‥良くお戻りになられました‥‥良かった。お疲れ様でございました。無事に敵を追い返すことができたのですね?」
「ああ、敵将を倒したら残りは逃げた。ただ、まだ先発隊を追い返しただけだ。しばらくしたら本隊も到着するだろう。また行くことになると思うが、一旦帰ってきた‥‥ああ、そういえばこれは返す。助かった」
そう言って、四郎から借りた刀を渡す。
「これは‥‥どのみち小嶋様にお力を貸していただいたお礼としてお渡ししようと思っていた物です。お持ちください」
「いや、これは父親の形見なのだろう? 大事に取っておけ。先ほど倒した敵将の刀を頂戴してきた。これもそれなりの業物らしいから、俺にはこれで十分だ。どうも大事な借り物だと思うと、気を使ってしまい疲れるからな。いいから返すぞ」
「は、はい、これが原因で思い切り戦うことが出来ないというのであれば本末転倒ですので、受け取りますが‥‥しかし、先発隊といえども、百や二百はいたのでしょう? それを本当に追い返すとは‥‥」
「あの程度であれば、特に問題ない。とは言え、次は数が数だけに一人一人斬り倒していくのは面倒だから、魔法を使ってサクッと終わらせようと思う。魔力を回復させるために、朝飯を食べて、少し休みたい」
「朝食の準備は出来ております。都市部の方に行くとパンや麦粥なども食べられているようですが、我々は主に米を食べまする。お口に合うかどうか‥‥」
「何? この世界にはやはり米があるのか? もちろん食べるぞ。当然じゃないか。早く準備してくれ」
「はっ、はい。すぐに準備をいたします。座敷にてお待ちください」
光宏の、興奮を抑えようと努めてはいるが、抑えきれない様子を見て、四郎は厨房へと急ぐ。
一方の光宏は、予想はしていたものの、二百年ぶりに和食が食べられると聞いて、興奮を抑えられなかったのだ。
ワクワクしながら、何処と無く落ち着かない様子で座敷で待っていると、四郎がやってきて、その後ろには地味な着物を着た、年配の女性が入ってくる。
若くて可愛らしいメイド的美少女を期待しなかったと言ったら嘘になるが、年齢は四十後半に見えるその女性は、化粧もせずすっぴんのままであったが、きれいな女性であった。それなりの身分の屋敷に仕えているだけあって、歩く動作を含め、その所作も美しい。
「朝食でございます。今朝は羽釜で炊いた姫飯と、大根の味噌汁、小松菜と川魚をご用意いさせていただきました」
運ばれてきたお膳には、玄米のご飯が大盛りでよそられ、味噌汁と小松菜のおひたし、山女魚の焼き魚が用意されていた。
「朝早くから起こしてしまい、すまなかった。朝食の用意をしてくれてありがとう。実に美味そうだ。いただきます」
「そのような‥‥恐れおおいことでございます」
恐縮する下女に笑顔を見せると、光宏は箸を持ち、朝御飯を頂く。玄米ご飯はやや歯ごたえがあったが、ほんのり塩味が効いており、美味かった。
以前の世界では白パンもごく稀に食べることもあったが、固く焼かれた黒パンや麦をミルクで煮た粥というのが主食であったのだ。食料事情の良くなかった世界で贅沢は言えず、味気ない食事は決して楽しいものではなかった。
塩の振った川魚の淡白な味に舌鼓を打ち、オーソドックスな大根の味噌汁を飲んで、懐かしさに感動する。
やはり日本人としてのDNAにご飯と味噌汁は深く刻まれているらしく、赤味噌に近い、やや塩気の多い味噌汁ではあったが、一気に平らげたのであった。
「いや、実に美味かった。やはり、和食はいい。これが毎日食えるのであれば、その為だけに万の兵と戦うことも辞さないぞ」
四郎に淹れてもらったお茶を飲みながら、光宏は半ば本気でそう思っていた。
縁側から庭を眺めると、だいぶ空が明るくなっている。これから寝るというのは、何とも昼夜逆転してしまっているのだが、睡眠によって効率的に魔力の回復が出来ることは紛れも無い事実である。
敵本隊には、何やら得体の知れない敵もいるようなので、少しでも魔力を回復させておくべきであろう。
「すまないが、布団の準備をお願い出来るだろうか?」
「奥の座敷に用意出来ております。いつでもおやすみくださいませ」
「すまないな。何かあればすぐに起こしてくれ。とは言え、お前も寝ていないのじゃないか? 若いとはいえ、寝れるときに寝ておけよ」
「お気づかいありがとうございます。しかし適当に仮眠はとっておりますので、大丈夫です」
「頭では大丈夫だと思っていても、体はそう思っていないことが多いものだ。年長者の言うことは聞いておいた方がいいぞ」
「はい、分かりました。では、私もこの後、少し休ませて頂くようにしますので。私のことは気にせず、小嶋様は、戦いに備えて、ゆっくりおやすみください」
「そうさせてもらうよ」
そうして案内された部屋には、旅館の部屋のように畳の上に布団が敷かれており、寝間着が置かれていた。
光宏はその浴衣のような寝間着に着替え、布団に潜り込む。
この不老不死の体になってから、睡眠をとる必要は無くなったのだが、寝ることが出来ないというわけではなかった。
眠気が襲ってくることは無くなったし、頭が痛くなったり、判断力が落ちるということもない。
しかし、今までの習慣から、夜は布団に潜り、朝まで寝るようにしていた。夜中に起きておくというのも存外に暇であったし、寝ることにより魔力を効率よく回復出来るというメリットがあったからだ。
浅い眠りなので、危害を加えようと近寄ってくる者の存在に気づくことは出来るし、何か起きてもすぐに行動可能なので、特にデメリットはない。
そういうわけで、光宏は布団に潜り込むなり、次の戦いに備えて、すぐに眠りに入ったのであった。