第9話 多田絢
「ねえ、光宏。聞いてくれる?」
「ん?」
「今日バイト先でレジ打ちしてたら、変な親父に絡まれてさ‥‥タバコが先月から値上げになったの、アタシに文句言ってくるんだよ。そんなこと言われても知らないっての! どう思う?」
「えーっ、どうって言われても、ご愁傷さまとしか‥‥色んな人がいるからねぇ、接客業してたらそういうこともあるんじゃない?」
「もう‥‥そう言う答えを聞きたい訳じゃないですけどー。本当、話がいがないなー」
そう言いながら、頰を膨らます絢香に苦笑いを浮かべながらも、ごめんごめんと謝ることになる。
「そうやって謝れば許してもらえると思って‥‥」
「なぁ、そう言えばこないだ入ったカフェで、隣の席にいた女の子達が頼んでたランチプレート、メチャメチャ美味そうだったんだよね。さすがに男一人で頼む勇気は無かったんだけど、一緒に行ってくれないかな?」
「えー、今度は食べ物で釣ろうとして‥‥しょうがないなぁ。そんなに一緒に行って欲しいなら、付き合ってあげよう。光栄に思い給えよ、君‥‥えへへ」
そんな恩着せがましい言いかたをしながら、満面の笑みを投げかけてくれる。
その笑顔を見ることができただけで、他には何も要らないと思ってしまう。
恐らく自分は、その笑顔を見るためなら、どんなことでもできる、全てを投げ出しても良い。心からそう思っていた。
「絢香‥‥」
思わず彼女を抱きしめたところで、視界が暗くなり、何も見えなくなる。
◇ ◇ ◇
「‥‥夢‥‥か」
目を覚まし、天井が見えたことで、夢を見ていたことに気づく。
絢香のことを夢見たのは何年ぶりだろうか。
異世界に召喚された直後は、彼女のことが恋しくて、良く思い出すことがあったのだが、次第に心がすさんでいくに従い、いつの間にか思い出すことも無くなっていた。やはり、彼女に良く似た‥‥というか、ほとんど瓜二つの存在に出会ったことが大きいだろう。
光宏が目を覚まして起き上がった頃には、太陽が傾き出し、あと一時(およそ二時間)もすれば日が沈み出すであろうという時間帯であった。およそ午後三時から四時頃というところであろうか。
朝六時から午後三時過ぎまで寝ていたとすると、およそ九時間ほど休めたことになるだろうか。睡眠を必須としなくなってからも習慣として四〜五時間は寝ていたが、これほど長く眠っていたことは記憶に無い。
魔力を消費し、よほど疲れていたのであろう。とは言え、睡眠のおかげで、効率よく魔力を回復させることができ、およそ全快の三分の一ほどまで回復しているのが感じられた。
体が重く感じていた感覚もなくなり、よほどの強敵でなければ、ほとんどの敵は問題なく倒せるだろうと確信する。人間の兵士など、数万人いようとも彼に傷一つつけることは出来ないであろうと。
「失礼します。お目覚めになられましたか?」
布団から起き上がったところ、そっと襖を開けて、四郎が部屋の中に入ってくる。
「ああ、おかげでゆっくりと休むことができた。ところで、敵はまだ現れていないんだよな?」
「はい。斥候を放っている訳ではないので、敵の動きは未だ分かりませんが、今のところはまだ大丈夫なようです。それよりも絢お嬢様がお目覚めになられました。小嶋様がお目覚めになられましたら、お話がしたいということです」
「目が覚めたんだな‥‥良かった」
大丈夫だと分かっていたことであるが、稀にそのまま目を覚まさないこともあるだけに、光宏が安堵のため息を漏らす。
「お着替えのお手伝いをさせていただきたく思います」
四郎が手に持ってきた、濃い青色に染められた着物を広げる。
されるがままに、直垂と呼ばれる着物と袴を着せられると、時代劇にでも出てくる武将の様な格好になった。
鏡がないので何とも言えないが、四郎が似合っていると太鼓判を押してくれているので、それほどひどいことにはなっていないだろう。
光宏は、敵将を討ち取った際の戦利品である刀を腰に差すと、部屋を出て座敷に向かった。
「失礼します。小嶋様がお目覚めになられました」
四郎が座敷の襖を開けると、一人の美しい女性の姿が座っているのが目に入った。
普段は和装なのであろう。儀式の時に着ていたいかにも魔法使い風の地味なローブから、薄桃色の艶やかな着物姿に着替えていた。
長い艶やかな黒髪を髪留めで一つにまとめた横顔に、昔の彼女の面影を思い出し、一瞬心が奪われる。
絢は部屋に入ってきた光宏に振り返って、その姿を確認すると、
「あなたは‥‥私が召喚した従者ですね?」
その問いかけに、光宏が無言のまま頷く。
「初めまして。私は、多田絢と申します。四郎さんから聞きましたが、儀式後に倒れていた私を寝室まで運んでくれたそうですね‥‥その節はありがとうございました」
絢は軽く頭を下げ、微笑みを浮かべた。その笑顔に、瞬く間に心を鷲掴みにされる。
「ところで、お名前を聞かせていただいてもよろしいですか?」
「四郎から聞いているんじゃないのか?」
「はい、聞いていますよ。でも、本人の口からお聞きしたいのです」
絢は口元にいたずらっ子のような笑みを浮かべ、髪を耳にかける。
「そう、か‥‥小嶋光宏だ。よろしくな」
「光宏さん‥‥とお呼びしてもよろしいですか?」
「ああ、どうとでも好きなように呼んでくれ」
「では、光宏さん。どうぞ、よろしくお願いいたします。まずはお座りください」
案内されるままに、彼女と向かい合う。四郎はどうやらその場に同席するつもりは無いようで、一礼すると部屋を出て行った。
「ゆっくり休めましたか?」
「まあ、な」
「それは良かったです。召喚されてすぐに、戦に加勢いただいたとのことで、重ねて御礼申し上げます」
そう言って、絢は三つ指をつき、深々と頭を下げた。
短い時間ではあるのだが、初対面の印象としては、やはり別人であった。昔の彼女と瓜二つの容姿ながらも雰囲気も言葉遣いも大きく異なっている。しかし、その節々にでる表情や仕草が、良く似てところがあり、時折ドキッとさせられるのだ。
それにしても‥‥と考える。
容姿は別として、彼女は異世界から彼を召喚した召喚主となる。
実際には光宏がその魔法に対しては抵抗してしまい、強制的に召喚することに関しては失敗しているのだが、ゲートを開くところまでは成功している。
光宏はこの開いたゲートから、自分の魔力を使ってこの世界に移動して来たのだが、そのことについては理解していないはずだ。恐らく刻印魔法共々、召喚の儀式に成功したのだと思っているだろう。
しかし、この態度はどうだろう。彼の知っている召喚主というのは傲慢で、高慢で、常に他者を見下す態度を崩さない存在であった。そういうイメージが強烈に脳に焼き付いている。
彼らにとって従者とは、奴隷のような存在であり、自分の欲望を満足させるための駒でしかなかったはずなのだ。
(人によってはこういう反応もあるのだな。いや、もしかしたら、この娘は、俺が刻印魔法を抵抗したことに気づいているのだろうか?‥‥)
その様な疑問が首をもたげる中、絢が頭を上げる。
「ところで‥‥」
絢が、少し困ったような、何かを言おうとして言いづらそうな表情を浮かべる。
「なんだ? 言いたいことがあるなら、遠慮するな‥‥」
「‥‥」
少しの間、迷うように視線が宙を舞い、やがて決心したのか、重い口を開いた。
「今、私たちはとても大変な状況にあります。光宏さんはすでにご存知ですよね?」
「ああ‥‥」
「あなたがどのような背景と実力の持ち主なのかは分かりません。四郎さんから敵の先陣を打ち破ったと聞いてはいますので、かなりの実力の持ち主であるとは思っていますが、次も簡単に、とはいかないでしょう。最悪‥‥というか、十中八九、命を落としてしまうことになるのではないかと思っています」
「‥‥」
「心から申し訳ないとは思っていますが、それでも私には他に選択肢がないのです‥‥召喚主として、光宏さん‥‥あなたに命じます。この地に攻めてくる敵を殲滅し、大高砦を取り返してください。もし嫌だと断られても、私は刻印魔法を使用することも辞さないつもりです‥‥」
「了解した」
「えっ‥‥?」
二つ返事で了承の言葉が返ってくると思っていなかったのであろう、絢は驚きのあまり間の抜けた声を上げる。
「えっ? そんなに簡単に‥‥良いのですか? あなたは、私の言っていることが本当に分かっているのですか? 馬鹿なんですか? 敵の本隊は二千人もいるらしいのですよ? しかも、あの父様を倒したという陰陽術師とその使い魔がいるのです。恐らくあなたは殺されてしまうことになるでしょう‥‥それが分かっていてなお、私は父様を殺した相手を許せないという身勝手な理由で、無関係なあなたを異世界から呼び出し、一矢報いさせようとしている‥‥それを‥‥」
絢は、異世界召喚した従者という存在が、精霊や神獣の類を呼び出して使役する使い魔という存在とは異なり、異世界に普通に暮らしていた英雄、あるいは英雄となり得る力を持つ人間を、刻印魔法という術式により強制させて使役する魔法術であるということを知識として知っていた。
使い魔であれば、何らかの契約を結び、お互いに納得した上で主従関係を結ぶものであるのだが、それに対し異世界召喚の従者というものは、一方的に召喚主に召喚され、さらには召喚主に生殺与奪の権利を握られて、主人に従属する救われない存在なのだと。
本来であれば、そのような奴隷契約など心情的に受け入れ難いものであるのだが、何より父を殺した敵に対する復讐心が彼女にこの儀式を行わせたのだった。
自分が死ぬ可能性もあったし、良くないモノを呼び寄せる可能性もあったのだが、どの道このままの状況では自分も殺されるのだ。自分より遥かに上の存在である父が殺されたのだから、自分が戦ったところで結果は見えているではないか。
自分勝手な願いであることは十二分に理解していた。死ぬ間際の父からの指示があったことがきっかけであることは間違いないが、それを実行したのは、紛れもない自分のわがままだ。死にたくない、父が殺された復讐をしたい、父の遺体を弔いたい‥‥そんな自分のわがままを通す為に、目の前の男を召喚したのだ。
しかし、目の前の従者はそのわがままをあっさりと受け入れる。
「そうらしいな。でも、父親を殺されて、許せない、復讐したい、と思うことは当たり前のことだろ? それに攻めてきたのは奴らのほうだ。身を守る為には、戦うより他に方法が無い以上、やるしかないだろう」
「でも‥‥」
「俺なんかのことを心配してくれているのなら嬉しく思うよ。でもまあ、恐らく期待に応えられると思う。おまえが命をかけて召喚した存在はそういう存在だ」
肩をすくめ、おどける光宏の態度に、絢は光宏の手をとった。
その目尻には涙が光っており、その黒く大きな瞳が光宏を直視する。
その目には確かに力が宿っていて、その目で見つめられた光宏は、その瞳の奥に落ちてしまいそうな感覚を覚える。
「わかりました。あなたを信じます。ご武運を‥‥」
「ま、任せてくりぇ」
少し積極的になればキスをすることが可能なほどに顔が近いことにドキドキとし、さらにはハラリと肩から滑り落ちたきれいな黒髪から、石鹸の様ないい匂いが鼻腔をかすめたことに心臓の鼓動が早くなるが、大人の男らしくそれを平然と受け流そうと装うことに失敗して噛み噛みになった自分に、光宏は苦笑を浮かべた。
「ちょっと‥‥顔が近い‥‥かな?」
「はっ! ごめんなさい、これは、あの‥‥」
と、顔を赤くして、慌てて距離を取る絢の姿に、ヤバい‥‥やっぱり、メチャメチャ可愛い、などと思いながら、光宏は話題を切り替えることにする。
「ところで、そろそろ晩ご飯を食べて準備しようか‥‥そろそろ敵が現れてもおかしくない時間だろ?」
「そうですね。食べやすいように握り飯を用意しますね。今、準備します」
そう言って、絢は厨房に向かって行った。
初ブクマいただきました。
少しずつではありますが、PVも伸びてます。
読んで頂けた皆様に感謝です。
ありがとうございます。