7.その機体番号は実在しません
燃料をオットー、弾薬をハーマンと呼ぶシーンは『壮烈!ドイツ機甲軍団』に載っている小林源文先生の劇画にありますが、あれはローカルな符丁で、ときどき変えるべきものでした。まあ第2次大戦当時、戦車の隊内無線通話なんて10kmも届きませんが、敵の傍受班が聞き耳を立てているかもしれません。「4号車、残弾あと5発」なんて通信を聞かれてはたまりません。だから符丁で話すようにしていたわけです。※指揮官や航空隊・空軍の連絡士官が乗る車両は、近距離の車両と話すUHF無線機のほかに、もっと遠くに届くHF(短波)やVHF(超短波)の通信機も持っていて、指揮官がヘッドホンふたつのレシーバ部分をかたっぽずつ片手で耳に当て、両方聞こうとすることもよくありました。
そういう通信上の都合もあるのでしょうし、乗員・班員の気持ちの問題もあるのでしょうが、車両や大砲に軍艦のように非公式な固有名をつけることがありました。時には車両にその固有名が描かれることもありました。すべてではないようですが、イギリス連邦軍のチャーチル戦車の多くは、Brian Terence Whiteという人が1970年代に出した本などで、車両ごとのニックネームがわかっています。だからでたらめな名前を模型に書き込んで、時期・作戦を特定したディオラマを組んだりすると、「そんな車両はそこにいない」というツッコミを食らいかねません。まあA中隊、B中隊、C中隊が車両名の頭文字をABCで統一して、A中隊はアニーとかアーサーとかであるパターンが多いので、うっかりパーシーとかトーマスとかつけないことですね。
航空機でも、生産機数の少ないものは、似たような「個体の特定」が進んでいます。ドイツ空軍のFw200爆撃/哨戒機などは、生産されたすべての機体が最後どうなったか網羅された書籍が出ています。
人間は知ったことをすぐ忘れるくせに、覚えている知識を無視するのは苦手です。同型艦を識別するポイントをようやく覚えると、間違っている人を「許せなく」なるものです。もう少し広く言えば、特定の観点で知識を整理・蓄積するために自分のヒマやカネをつぎ込んだ人は、他人もその観点を重視するのが当然だと思い込みがちです。
面白いものを求めてカネやヒマの使い道を考えている人たちにアピールするには、面白さに貢献しない知識は無視したほうが得になることがあります。むかし架空戦記がブームになったころの、人気作家Aさんのエピソードを聞いたことがあります。Aさんは特に戦史に詳しい方ではなかったようですが、戦史に詳しいBさんに報酬を払って、リサーチをしてもらいました。ところがAさんはBさんのリサーチを読んだ後、奇想天外なアイディアの、しかしあまり戦記ではない仮想戦記を書いたのです。Bさんもまた作家として後にデビューされ、リアリティのある戦場と戦術を描いて自分のファンをつかまれました。知識の力で支える面白さ、あんまり関係ない面白さ、どちらもあるのですね。
「小説家になろう」の異世界小説にはマヨネーズがときどき出てきますが、じつはこれ、酢をたっぷり使って十分な酸性に保つことと、最初に卵黄または全卵を数分間低温殺菌することを怠ると、サルモネラ菌で食中毒が起きるリスクがあります。ただ「異世界にサルモネラ菌がいるかどうかは設定事項」ですし、何より「小説が面白くなるかどうかと全く関係ない」ので、いちいち突っ込まないことにしています。
参考:東京都福祉保健局「食中毒に気を付けよう」「ページ 3 サルモネラ・エンテリテディス」
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/anzen/pub/fp/fp.html
もちろん知識を知識として買うのであれば、多くの研究者が相互にツッコみあい、根拠資料にさかのぼって検証したもののほうが頼りになるのであり、一定の需要があります。ただやはりそれは滅多に売れないものであり、そうすると一部一部は高いものになり、ますます売れなくなります。ある意味ボランティアのようなものであり、だから国家や公共的な目的を持つ団体がバックアップする意味があります。
「面白いもの」を世間に売りつけてヒマやカネを使わせる競争相手は、歴史やメカ知識と何の関係もない相手も含めて、無数にいます。ツッコミによってクリエイターを弱らせてしまうと、そのクリエイターが競争に負けて、いわゆる「界隈」に落ちてくるヒマ(人出)やカネが細ってしまうデメリットがあります。自分ひとりで成り立つ趣味など、実際にはないのです。まあプラスの効果ばかりではなくて、「艦隊これくしょん」の影響で、これまであまり競争相手のいなかった駆逐艦乗組員の限定版回想記・戦友会出版物などがオークションで値上がりし、閉口している研究家はいるんですけどね。
後続予定
8.それはミリタリと関係ありません
9.財力のある人には勝てませんか
10.ミリタリを学ぶと平和が理解できますか