5.装甲車は戦車に入りますか
ちょっとミリタリのことがわかってくると、「軍用車両を何でも戦車と言ってしまうマスコミ報道」に突っ込みを入れたくなります。でも自衛隊が16式機動戦闘車を装備しているように、「キャタピラを持っていないのに戦車の役目をする」車両は世界のあちこちにありますし、戦車とは違うとされていた歩兵戦闘車や騎兵戦闘車(歩兵を乗せて運ぶのが主な仕事)も攻撃力が上がってきて、外見から見分けが付けにくくなってきました。
MBT(Main Battle Tank)という言葉がありまして、主力戦車と訳すのが普通です。他の部隊・車両と助け合ってではありますが、戦闘の中心となります。昔はタイヤで走る(装輪)装甲車と、キャタピラのついた戦車に隔絶した火力の差があったのですが、今は技術のバランスが変化して、装輪車両でも主力戦車の役ができるようになってきました。
欧州通常戦力条約(1990年)のArticle II 1 C.は次のように定めています(マイソフ訳)。
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“battle tank”という用語は、装甲目標やその他の目標と戦うのに必要な高初速直接射撃用の主砲をはじめとする高い火力を持ち、不整地走行能力が高く、自衛能力の高い自走装甲戦闘車両を指す。もっぱら兵員を運ぶために設計され装備されている車両は除く。こうした装甲車両は地上軍の戦車部隊やその他の装甲部隊の主要な武器システムとして用いられる。
“battle tank”は少なくとも16.5トンの空虚重量を持つ装軌装甲戦闘車両であり、360度回転する少なくとも口径75ミリの砲を持つ。装輪式装甲戦闘車両であって、他のすべての上記基準を満たす車両は、“battle tank”とみなされる。
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じつは「戦車の定義」は時代によって違っていて、それは「戦車の任務・運用」が変化した歴史でもあるのです。私もその全部を語れるほど知っているわけではありませんが、小説を書く人がネタとして使えそうなものをいくつかご紹介しましょう。
戦車が登場したのは、機関銃が猛威を振るい始めた時期でした。では機関銃にはどう対処すればいいのでしょう。強力な火器は、少し射程の長い武器があれば対処できます。第1次世界大戦前後に、いろいろな国が口径37ミリ程度の砲を歩兵支援のために配備しました。フランスのルノーFT17軽戦車は、37ミリ砲を主砲とする歩兵支援用の戦車でした。敵の戦車への対策は他の兵器に任せ、なるべく歩兵に戦車が合わせて一緒に進むのです。だから低速でよく、装甲を厚くする必要もない安い戦車でした。「戦車が対戦車戦闘の中心になる」ことは当たり前ではなく、それを想定しない戦車もたくさんあります。MBTの仕事をしないと言うだけです。また、軽装甲の偵察車両や軽戦車をたくさん持っている敵国なら、20mm砲や25mm砲で撃退できる目標が多いと言うことにもなるのです。
回転砲塔をつけるのをやめ、武器も機関銃だけにしてしまえばもっと安くなります。イギリスでは、補給部隊出身のカーデン大尉と砲兵隊のロイド大尉が第1次大戦が終わった後に作った自動車会社で、カーデン・ロイド豆戦車が生まれて多数採用されました。これは広い植民地を警備したり、部隊の先頭に立って偵察に出たり、ちょうど騎兵のように使えました。軽武装で安くて、戦車としては少し速い豆戦車は、第2次大戦のころには牽引車にも使えるユニバーサル・キャリア(ブレンガンキャリアーという名前でプラモデルにもなりました)に発展して、軽戦車とともに騎兵部隊の近代化に使われました。
こうした「安い、速い、ちょっと弱い」戦車は、隣国より予算の苦しい陸軍が手っ取り早く機械化部隊を作るのに好適でした。例えばオーストリアは、イタリアからCV33豆戦車(ガルパンでアンチョビが乗っているあれです)と後継のCV35を買い、自分の国でシュタイアー装甲車を作って、それらを中心に快速師団を編成しました。
ただし、騎兵のコンセプトを戦闘車両に落とし込むと、「敵のいるところまで行って襲う」ことが先入観のようになってしまって、「遠くから攻撃する」兵器を欠くことにつながりました。ドイツでグデーリアンが推進したコンセプトは、「他兵科の支援は受けるとしても、戦車が集団を成して、ひととおりどんな敵とも戦えるようにする」ものでした。だからIV号戦車は75mm砲を使って、当たると炸裂する榴弾を撃つことができました。北アフリカで遠くに敵砲兵を見つけたとき、ドイツ戦車隊はイギリス砲兵隊を攻撃できるのに、逆はできない……ということになってしまったのです。
アメリカでは、騎兵のチャーフィーが主唱して戦車部隊が欧州より遅めに発展しました。グデーリアンたちがやっていることを見て真似るだけの時間があったわけです。だから北アフリカ戦線に75ミリ榴弾を撃てるアメリカ戦車が届いて、イギリスは大いに助かりました。いっぽうアメリカでは歩兵科を中心に「強力な対戦車砲があれば戦車は抑えられるんではないか?」という意見が強く、M36ジャクソンなど「強力な砲を積み、砲塔はあるが天井がない」戦車駆逐車が多数配備されました。
重装甲で、戦車とも歩兵とも戦える重戦車は、第1次大戦のような膠着した前線を突破するためにもあるに越したことはないのですが、鈍足で高価なものになりました。そして対戦車砲と対人用大口径砲を両方積むため、多砲塔戦車になったり、フランスのシャールB1系列のように胴体と砲塔にそれぞれ砲を積んだりしました。
第2次大戦の間に、互いにあちこち真似をしあって、両用砲(対戦車、対人を兼ねる)、回転砲塔、音声通話のできる無線機といった標準的なMBTのイメージが定まって行きました。
現代の戦車には必ずあって、第2次大戦当時の戦車にはなかったものは、コンピューターです。車内の電子機器がどんどん増えて、先進国が持つ戦車の砲塔はどんどん大きくなり、コンパクトな設計で「的を小さくする」ことが絶対有利だったころとは様変わりしました。その代わり敵を見つけて「撃てば当たる」ようになりました。
もうひとつの変化は、第2次大戦途中から起きました。1943年のパンツァーファウスト以来、小型で戦車でも撃破できる兵器は発展を続け、補充しやすい乗用車やトラックを武装勢力や正規軍が簡便な武装車両に仕立てたものが、侮れない火力を持つようになりました。こうした車両を総称して、テクニカルと言います。
これと関連するのですが、特に市街戦においては、何を持っているかわからない敵歩兵を戦車の周囲から追い払うことは重要です。ですからロシア陸軍は今世紀初頭から、BMP-Tと呼ばれる新しいコンセプトの車両を開発しています。旧式戦車に、機関砲を始め歩兵に対して効果のある兵器をたくさん積んだ砲塔を乗せ、熱源探知システムなど歩兵の接近を見逃さない装置を付けたものです。
第1次大戦のころ、ロンドンバスはイギリス陸軍に徴発され、後方での兵員輸送に携わっていました。だからキャタピラがあって砲弾穴だらけの前線を走れる、ある程度装甲された兵員輸送車は誰でも思いつくものだったでしょう。そしてフランスは騎兵師団の近代化のためにそうした車両を作り始めましたし、イギリスのユニバーサルキャリアーもその目的に「も」使えました。歩兵を乗せたままそれを戦場に出し、視界の悪い戦車が対処しにくい歩兵や砲座をつぶさせようという発想がドイツでいつどこから出てきたのか、実ははっきりしません。しかし豆戦車を持たなかったドイツに、ちょうどそういう役目の車両と部隊が欠けていたのも事実です。
戦術核兵器が使われた場合、歩兵が車内から戦闘できる車両が必要だという認識は1960年代から広まり、各国で歩兵戦闘車が採用され始めました。兵員輸送車と違うのは、車両に対してもある程度の攻撃力を持っていることです。限られた数の対戦車ミサイルと、敵歩兵と戦う機関砲というのがよくある武装でした。
軍用車両が戦車ではないとき、じゃあ何かというと、ぱっと画像を見て答えにくい時代になってきました。まあ軍用車両なんですけどね。
後続予定
6.憲兵さん、この人です
7.その機体番号は実在しません
8.それはミリタリと関係ありません
9.財力のある人には勝てませんか