3.軍隊にとっての補給
古代には補給は全部現地調達だったのか? という問題がツイッターをにぎわしたことがありました。古代と言っても広うござんすが、例として第2次ポエニ戦争を取り上げましょう。スペインの植民地からハンニバルのカルタゴ軍がローマ近くまで行って、最終的には負けた戦争です。
Michael R. Johnson少佐がアメリカ空軍指揮幕僚大学に提出した1997年の論文「THE CAMPAIGNS OF HANNIBAL AND SCIPIO:SEARCHING FOR CONGRUENCY」によると、ハンニバルは今のバルセロナ(スペイン)から北に20kmにあったローマの城塞都市サグントゥム(現スペイン領サグント)を包囲して[住民の財貨を取り上げ]、イタリアに入るとミラノとジェノバの中間にあるクラスティディウム(現カステッジョ)を落として穀物備蓄を手に入れました。
この種の話を読むときには、面倒でも地名を地図で確かめて行かないと、いつの間にかイタリア北西部の話が南東端、「長靴」のかかとあたりの話になっていたりします。都市に城壁があるのが当たり前だった時代です。ハンニバルは堅そうな都市を避けて侵攻するうち、そんなところに行ってしまったのです。カルタゴ本国は今のチュニジアですから、ハンニバル自身の本拠地であるスペインはすっかり遠くなり、そっちではローマの海上優勢が確立してしまいましたが、カルタゴ本国から南東イタリアに増援と補給が揚陸されたこともありました。
ハンニバルは現地で補給物資だけでなく、同盟を願い出てきた勢力から兵士を差し出させ、傭兵も集めました。その一方で、増援と物資を受け取るための港町を攻め、現在のナポリに近い港町のノーラなどは3回もハンニバルの攻撃を受けました。ただし最後の決戦となった、カルタゴ本国のザマでの戦いにハンニバルがいたのは、和平交渉中にローマを脅かしているハンニバルが本国に呼び戻されていたところ、やっぱり和平が破れて戦いになったもので、「戦争中に行き来できた」のではないのですが。
中世軍事史はそれ専門の学術雑誌があるような世界なので迂闊なことは言えませんが、例えば十字軍の中でも獅子心リチャードI世の部隊は船を使って補給を受けていたそうです。
このころまでは王だの貴族だの、国家権力を体現した人たちが親征していますから、補給に携わる人が民間人でも臣下でもあまり変わらなかっただろうと思います。しかし契約によって旗の色を変えかねない傭兵隊となると、そういうわけにもいきません。
ドイツには補給部隊を指す代表的な言葉がふたつあります。TrossとKolonneです。Trossはもともと、従軍商人、傭兵の妻子、職人と言った雑多な人々が傭兵隊の跡をついてゆく馬車の列のことを言いました。日本陸軍では行李です。Kolonneは英語で言えばColumnにあたる言葉で、日本陸軍は段列と訳しましたが、これはまず弾薬を運ぶ部隊であり、のちにだんだん行李との境目があいまいになって行きました。ただし英語ではどちらもtrainであり、例えば行李はbaggage trainなどと呼びます。
Trossに混じっている従軍商人のことをドイツ語でMarketender、英語でSutlerと言いました。最初のうちはこういう人たちが予算を任され、食糧などの現地調達を引き受けたのですが、大部隊が動くと現地ではどうにもならず、イギリスの場合はナポレオン戦争の少し前から、軍服を着た輸送部隊が登場しました。そしてまとめて生産・購入された物資を戦場まで運ぶようになっていったのです。
第2次大戦のころにドイツでMarketenderといったら酒保商人、つまり兵営の売店や食堂を経営する商人のことでした。補給品の中にも、希望する兵士だけお金を出して買うようなものがあります。当たり前ですね。
ところで、現代でも現地調達はあります。民間人・民間企業相手ならお金を払いますし、戦争中の敵国軍・敵国政府の物資なら捕獲します。それを最初から当てにした計画では、大規模な戦争はできないと言うだけのことです。
倫理や国際法の上で「戦争時にやっていいこと、いけないこと」は我々の世界でも時代によって違います。ですから異世界では、その世界なりの現地調達と本拠地からの物資輸送がアタリマエになっているでしょう。そのふたつのどちらかがゼロというのは不自然だ……くらいのことは言っていいでしょうか。
火薬・弾薬の製造と保管については、国営化と法規制の両面から真っ先に国が関与し、その一環として制服を着た輸送部隊も生まれました(国や軍に雇われていても、それが軍人扱いされるかどうかは国と時代にもよりますが)。ですから、その異世界での危険物質は生産と流通について、国の監視が食糧などより厳しくなっている方が自然だと思います。