水がめ (万作と庄屋 2)
その日の朝早く。
万作は庄屋の用で、町の骨董屋まで水がめを受け取りに行きました。
その水がめは庄屋が買いつけていたもので、腰の高さほどもある立派なものでした。
帰り道。
水がめを割っては一大事と馬をゆっくり歩かせたので、峠を越えたところで日が暮れてしまいます。
月明かりのもと、山道をくだっているときでした。
「出してくれ」
背後で男の声がします。
万作は来た道を振り返りました。けれど、なぜか声の主は見あたりません。
「だれだ、どこにおるんだ?」
馬を止め、闇に向かって声をかけてみました。
「ここだ、水がめの中だ」
なんと馬の背の水がめの口から、見知らぬ男が顔を出しているではありませんか。
「待ってろ、すぐに出してやるからな」
すぐさま万作は、馬の背から男の入った水がめを降ろしました。
水がめの口から、男の顔がきゅうくつそうに出ています。よくぞ中に入れたものです。
「痛えだろうが、ちっとだけ辛抱してくれ」
男の頭を引っ張るものの、首から下がどうやっても出ません。
男が顔をゆがめて痛がるばかりです。
「入ったもんが、どうして出ねえんだ」
人のいい万作、男が水がめに入ったことを気にするふうはありません。男を責めることもありませんでした。
「割ればすむことだが、この水がめは庄屋さんの大事なもんだ。なんで、かってに割るというわけにはいかねえ。そんかわり庄屋さんに頼んでやろう」
「すまねえ。では明晩、また顔を出すんで」
男は水がめの中に首を引っこめました。
万作が水がめをのぞくと、中に男の姿はなく、月明かりにうっすらと底が見えました。
翌朝。
万作は水がめを庄屋に届けました。
「都から取り寄せたとだけあって、なかなかみごとな水がめじゃのう」
庄屋が座敷の床の間に飾ると言います。
そんな庄屋に、
「じつは、こん水がめには……」
万作は昨晩の男のことを話して聞かせました。
「そうか、そんなことがな。その昔、都には人を呑む水がめがあったと聞く。この水がめも、そのひとつかもしれんな」
「そげな恐ろしい水がめがあるとは。ところで庄屋さん、割ったら男は出られるんかのう?」
「どうであろうな。とにかく今晩、その男が顔を出したら、詳しい話を聞いてみらんとな」
庄屋は水がめの中をのぞきました。
人が入っているふうはありません。底が見えるばかりです。
「奇妙なことがあるもんじゃ。この中に、人が入っておるとはのう」
昨晩と同じ時刻。
座敷に置かれた水がめの口から、ふたたび男が顔を出しました。
庄屋に気づいて向き直ります。
「庄屋さまですか?」
「ああ、そうじゃ。すでに話は、ここにおる万作から聞いておるぞ」
「すまねえが、庄屋さま。こいつを割って、オレを出してくださらねえか」
男がすがるような目で言います。
「割るのはたやすいことじゃ。ただ、この水がめには魔力がとりついておるようでの、割ったところで出られるとはかぎらんぞ」
「では、どうすれば?」
「そこでじゃ。どうして入ったのかがわかれば、出してやる方法も見つかるやしれん。ワシが聞くことに正直に答えておくれ」
「へえ、なんなりと」
「そもそもオマエは、なしてこの水がめの中におるのじゃ?」
「それがとんと、オレにもわからねえんで」
「ならばいつ入ったんじゃ?」
「かれこれ三月ほど前になりますか、都の骨董屋に盗みに押し入った晩のことでして」
「家人に見つかり、この中に隠れたのはいいが、出られなくなったというわけだな」
「主人に見つかったところまではそんとおりなんですが。主人を殺め気がついたとき、いつのまにやらこの中におりまして」
「都の骨董屋に盗人が入り、主人が殺されたと聞いたが、オマエがやったことだったんだな」
「顔を見られちまったんで、つい……」
「なんでも主人が亡くなったゆえ、まもなく店はつぶれたそうな。それでこの水がめも、ワシの手に安く入ることになったんだがな」
「今はとんでもねえことをしたと」
「オマエは罰をうけたんじゃ。それで水がめに呑まれたのであろう」
「二度とあのようなことはしねえ。ですから一刻も早く、こいつを割ってくだせえ」
「割ってもいいんじゃが……。ただのう、割った災いがオマエにおよびそうな気がしてな」
「なら、どうしたらいいんで?」
「もう一晩、待っておくれ。ほかにいい手立てがないものか、よく考えてみようじゃないか」
「ぜひともなんとかしてくだせえ。では明晩、また顔を出しますんで」
男が頭を引っこめます。
水がめはまたからになりました。
翌朝、庄屋は座敷に万作を呼びました。
「割るのは、どうも不吉に思えてならん。人の手で割れば、あの男が消えてしまいそうな気がしてならんのじゃよ」
「じゃあ、どうしたら?」
「それでな、男の運命にかけることにした」
「運命? いってえ、どのようになさるんで」
「どうもせん。水がめが割れるのをただひたすら待つんじゃ」
「それじゃあ、いつのことになるやら」
「そこでじゃ、万作。これを馬小屋にある水がめと取りかえるがいい」
「いってえどういうことで?」
「馬がけり割れば、それは割れたのであって、人の手で割ったことにはならん。そこで運よく割れようものなら、あの男の運も開けるやもしれん」
「なるほどのう」
さっそく水がめは馬小屋に運ばれ、馬の水がめと取りかえられました。この馬は、これまでも何度か水がめをけり割ったことがあったのです。
その晩。
水がめから顔を出した男は、おのれが馬小屋の中にいることにおどろいたようでした。
「ここで割れば出られるんで?」
「いや、割りはせん。オマエの運命にかけることにしたんじゃ」
「オレの運命ですって?」
男が首をかしげます。
そこで庄屋は、万作に話したことを男にも話し、それからさとすように言い聞かせました。
「……でな。オマエの運命に、運というものがまだ残っておれば、そこから出られるやもしれん」
「で、いかほど待てば?」
「それはオマエの運しだいであろうな」
ひと月が過ぎても、いっこうに水がめは割れませんでした。
「いつになるんで?」
毎晩、男は顔を出して聞いてきました。
そんな男を見かね……。
「馬んヤツ、こん水がめにかぎって、どうして割らねえんかのう?」
万作が庄屋にたずねます。
「そもそも人を殺めたのじゃ。運はそのとき閉ざされたのやもな」
庄屋は力なく首をふったのでした。
半年が過ぎ、一年が過ぎ、それでも水がめは割れませんでした。
男も顔を出さなくなりました。
水がめは今も割れずに馬小屋の中にあります。