二
姫がマイクを連れて向かった場所は、マイクとトムの使用している部屋だ。この国とは以前親交があったらしいし、ある程度場所も予測できたのかもしれないな。
「何か話さんか」
「……」
マイクは狼狽しながら口を僅かに開けて姫を見る。口を開くと言う意志はあるようだ。とは言え、急に何か話せと言われてもな……僕だって困るな。
「姫、何を喋るか、具体的にテーマを出したら如何です?」
「え? うーん。じゃあ、人生はどうして試練の連続なのかを」
「姫、もう少し答えやすい質問を」
姫の質問に対し、即座に切り返した僕。姫は僕を半目で見ると、「そちはいっつも私頼みじゃないか。たまには自分で考えんか」と言ってきた。何か話せと言ったのは姫なのにな。とは言え、僕も姫に指定しすぎかもしれん。
「好きな食べ物は?」
捻り出した質問だった。だが、姫は大爆笑。僕は姫の後頭部をチョップで叩いて少しの間黙らせ、「好きな食べ物を教えて下さいね」と半強制的に質問をした。すると、マイクは引きつった笑みを浮かべながら答えた。
「……和え……物……」
「健康志向ですか?」
マイクは首をふるふると振る。が、その後の返答は無し。これでは駄目だ、僕が言葉を続ける。
「……じゃあ、何で好きなんですか?」
「特に……理由は……」
申し訳なさそうに表情を曇らせるマイク。絵に描いたように口下手と言うか、無口な子だな。こうなったら、奥の手か。さっき姫は眠らせたし、これを使っても笑われることは無いだろう。
「マイクさんって、やっぱり、何かを喋ったら嫌われるって。そう思って喋れないんですか?」
「……!」
目を見開いて僕を見た。やはりそうか。彼は、喋ること自体がどうこうと言うより、喋ってどう思われるのか。それが不安なんだ。
「大丈夫ですよ。その気持ち、分かります」
「……」
僕がそう言うと、意外にも彼は切なげな顔つきをした。変なことを言っただろうか。しかし、特にそれを態度にも表さずにいると、マイクは不思議そうに僕を見る。やがて、彼の中で何かしらの感情の変化があったのか、言葉を発した。
「……嫌いなんです。……トムのような人間が」
「トムさんと言うと、さっきのちょっとお調子者な?」
「うん。彼のようなイタい人間を見ていると、僕もあんな風に思われるんじゃないかと思って」
あまりに意外すぎる理由だった。まさか、あのトムのことを気にするタイプだったとは。彼は確かに少々自信過剰なところがあるように思えたな。だが、此処で一つ、思うことがある。
「トムさん自身が何も苦しんでいないのに、何故貴方が苦しむのです?」
「それは……」
トム自身は、胸を張って前を見つめている。だと言うのに、関係ないマイクの方が狼狽えているなんて、奇妙な話だ。そうは思っても、これは多分言葉で言ってもどうにもならない話だろう。何せ、彼はこの感情をきっともっと前から感じてきていたのだから。
実際、マイクもこれには言葉を失ってしまい、また無口なマイクへと戻ってしまった。
「そちはなぁ」
起きてたんかい。姫は何事も無かったかのように起き上がると、マイクを指差した。
「暇なんじゃ! 暇だから、どうでも良い奴のことを考えるのだ!!」
「……」
基本的に、姫の問いに答えを返さないな。もしや、姫の面倒な性格を察しているのか? それとも、単純に嫌い?
「だからな、お主は働け!!」
「え?」
思わず、僕が言葉を返す。が、その時には姫はマイクの手を引いて歩きだしていた。
「ちょっと待って」
「よし、じゃあ待ってやろう」
姫はその場で急に静止して、五秒。六秒後には、また歩き出す。
「ちょっと待って」
「ちょっとだけだぞ?」
姫は再度その場で静止して、五秒。六秒後には、やはり歩き出していた。
「ちょっと」
「姫、行くならさっさと行きましょう!」
「ほーい」
僕が言うと、姫が歩き出した代わりに、マイクは僕を裏切者とばかりの目で見る。だが、彼はきっと気づくことだろう。伝えることが、どれほど大事なことなのか。そして、姫がどーでも良い奴と言ったその人間にとっては、マイクはどうでも良い奴じゃないってことも。
… … …
「お願いじゃ、金は要らぬ。だから、私達を雇ってくれ!」
姫は、八百屋の主人に頭を下げた。
おいちょっと待て。彼が働くのはまだ分かるが、僕達も働くってどういうことだ。……とは思ったが、疑心暗鬼な彼のことだ。きっと僕達が働かずして、心など開けないと言うことだろう。もしくは、単純に一度働いてみたかったのか。今回だけは、目をつむっておこう。
「あのな、そんなこと……ってお前、マイクじゃないか! 久しぶりだなぁ!!」
「……あ、は、はい」
この主人と、マイクって知り合いなのか? そう言えば、マイクやトムは元は親のいない子だったらしいからな。二人の関係性が気になって主人を見ると、主人が感慨深そうに両腕を組んで話し出す。
「昔はよくトムと遊んでたよなぁ」
「……うん」
どうやら以前は、マイクとトムも仲が良かったらしいな。しかし、マイクの表情は優れない。
「よし分かった! お前がそこまで言うなら、お前だけ今日一日雇ってやろう!!」
「え、ちが」
「やったなマイク! 私達も嬉しいぞ!!」
ポンと肩を叩く姫と主人。二人の純粋な圧力に押され、マイクは俯くことしか出来なくなった。
… … …
前掛けをし、中は衣に身を包んだマイク。僕達まで雇っている余裕はない! と断言されてしまったので、僕達は少し遠めの位置から見守ることとなった。
「マイク! お客様にはいらっしゃいませだ!!」
「……い、いらっしゃいませ……」
「声が小さい!!」
「い、いらっしゃいませ!!」
「もっと出るだろ!! 昔はそんなんじゃんなかったぞ!!」
主人にそこまでつっこまれると、マイクは切なげな表情で振り返る。
「……今は、昔と違うから……」
マイクの言葉に、主人も困ったように眉を下げるが、それも一瞬のこと。マイクの背後にいるお客様に気づくと、「マイク! お客様だ!!」と手を伸ばした。
「い、いらっしゃい、ませ……」
お客様は、腰の曲がったおばあちゃんだ。だが、顔を上げてマイクの方を見て微笑んでいる。
「おやまぁ、新人さんかい? 頑張ってね」
「あ……」
マイクはあまりに優しい言葉に戸惑って言葉を返せない。それでも、おばあちゃんは優しく微笑み、「これ下さいな」と果物を二つマイクに差し出した。マイクが主人に救いを求めて目をやると、主人も会計をしようと二人に歩み寄る。すると、おばあちゃんが首を振った。
「私はお兄さんに渡したんだよ。これは、お兄さんにプレゼントしてもらいたいのよ」
おばあちゃんの言葉に、またもや言葉を失ったマイク。だが、その口元は緩んでいて。
「あ、有難う、御座います!」
マイクはこの時初めて微笑んで礼を言った。おばあちゃんも笑顔で答え、これには主人も参ったなと微笑みながら頭を掻いた。
それからと言うものの、マイクは自ら率先していらっしゃいませを言えるようになっていた。だが、この客商売で怖いところは、どんなお客様がやって来るか分からない。と言うこと。
「おい、何だその態度。何か言えよ、あん?」
「あ、あの……」
あまりに動揺して、お詫びの言葉も吹っ飛んでしまったと言う感じだな。
そもそも何でマイクがガラの悪い男にいびられているのかと言うと、男がマイクのこのたどたどしい態度が気に食わなかったかららしい。自分勝手な話だ。本来、彼が謝る必要は全くない。
主人もマイクを助けようと前へ出ようとすると、更にガラの悪そうなサングラスをかけた男が、男の手を握ると、くるりと捻った。その瞬間、マイクをいびっていた男は悲鳴を上げる。
「お兄さん、買う気無いならさっさと消えな」
そう言って手を離すと、マイクをいびっていた男は涙目になりながら、「か、買うよ!」とマイクにありったけの小銭を出し、「釣りは要らねぇ!!」と言って逃げ去っていった。
ぽかんとしているマイクの前にサングラスをかけた男が立つと、野菜を三つ差し出す。
「お兄ちゃん、これくれ」
「は、はい……」
サングラスをかけた男からお金を貰い、釣りを返すと、「さっきは、有難う御座いました……」と相手の顔色を伺いながら、頭を下げた。すると、男はサングラスを外し、その丸っこい目を見せる。
「頑張れよ」
男は笑顔で言った。マイクは意外な素顔に驚いたものの、野菜の入った紙袋を渡すと、「有難う御座います!!」と深々と礼をした。
本当は、この間に何度も頑張れと言ってくれる人がいたし、中には買ったものをそのままマイクにプレゼントしてくれた人もいた。この国の人柄の良さを、傍観している僕達でもよく感じられた。
マイクが働き始めてから、かれこれ三時間後。姫は僕の手を引いて走り出した。
「い、いらっしゃいませ」
やはり、知り合いに声をかけるのは恥ずかしいのか、声が先程より小さいマイク。それにしたって、彼は頑張った。初めは何も喋れなかった人間が、此処まで成長するとは。僕も感慨深いものがある。
姫は果物を沢山手に取り、マイクに手渡す。
「これを下さい!」
「は、はい!」
姫はにっこり笑った。それが意外だったのか、マイクは目を丸くして姫を見る。しかし、お金を貰うとしっかりとお釣りを返し、果物を紙袋に包んでくれる。それを僕が受け取ると、姫は深く頭を下げた。
「有難う御座います!」
「有難う御座います」
姫が礼を言ったので、僕も続けて頭を下げる。姫が礼儀正しいのが意外だったのか、マイクはまだ驚いた様子で僕達を見ていた。しかし、やがてその表情を笑顔に変えると、「有難う御座います! またお越し下さい!!」と頭を下げた。




