一
アランのカミさんことマリアさんを追って五分。脳震盪を起こして時間を食ったからな、そう簡単に見つからないか。そう思っていた所に、ゴミ袋をパンパンにしても尚ゴミを拾い続けるマリアさんを発見する。のこのことゴミなんか拾って。ルールを破るようなタイプに見えなかったがだけに、余計に腹立たしい。
「あら、何か言いたげな顔ね? 私はただゴミを拾っているだけ。環境に優しいお母さんだと思いませんこと?」
「娘の前で堂々とルール違反する人に、優しいお母さんの称号は与えたくありませんけどね」
「悪いけど、私達も生活が大変なのよ」
「……アランが泣きますよ。貴方がこんなことをしてると知ったら」
「悪いけど、泣かせてでも拾うわ」
何て人だ。あまりの言葉に、僕は失望する。第一、たかだか人の捨てたゴミを一年分の小麦粉の為に……と言うか、アランの給料って彼女をケチの鬼に変えるくらい少ないのか? だとしたら、悪いのはもしかしてアランなのか? それとも、安月給で働かせる姫なのか? それはともかく。僕はファイティングポーズをとる。
「悪いけど、此処は通しませんよ」
「あら、一度倒されたのに往生際が悪いのね」
マリアさんは両手に持ったゴミ袋を置くと、木の棒を目の前で真っ二つに折った。え、あの人お子さんのいるお母さん、なはずだよな? それなりに頑丈な木を急に折ったように見えたが……。
マリアさんは、折った棒の半分を僕へと投げつけた。それは僕の真後ろに静かに落ちる。
「使う?」
「馬鹿にしないで下さい。武器なんていりません」
女性相手に、そんな本気を出すものか。幾らイリス国の女隊長だったとは言え、それも昔の話だ。僕が手古摺る程強いとは思えない。
僕の答えを聞いたマリアさんは、「あらそう」と答えてもう半分の木の棒をゴミ袋の中に入れた。
「それも頂戴」
「……え?」
「貴方、ゴミをそのまま放っておくのがこの企画なの?」
言われてみればそうだが、何もこのタイミングでなくとも……そう思ったものの、使い道のない木の棒だ。僕は先の丸い方をマリアさんに向けて投げた。それをキャッチすると、マリアさんがゴミ袋に無理やり詰め込み、一歩前へ出る。
「待たせたわね」
「ええ。待たされました」
マリアさんはクスクスと笑う。何が可笑しいと言うのだろうか? ムッとする僕に、マリアさんはゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。用心して見つめていると、マリアさんはゆっくりと手を振り上げる。その手を掴んだ瞬間、全身に鳥肌が走った。必死に受け止めたはずの手をマリアさんが強引に押せば、その手はドンドンと僕に近づいていた。この力はアランや僕よりも余程……。そんなことを考えていると、マリアさんは腕を力任せに振り、その手を掴んでいた僕をふらつかせた。そこで無防備になった腰を、かかとで思い切り蹴飛ばされた。
数メートル前に倒れこんだ僕は、両手を使って起き上がり、負け犬の如くマリアさんに尋ねる。
「どうして……。たかだか大会ですよ? ルールを破ってまで、こんなこと」
「分かってないわね」
僕の問いを愚問と思ったのか、マリアさんは首を横に振った。
「貴方にとってたかだかでもね、死に物狂いで頑張っている人もいるのよ」
「これは、これは貴方が死に物狂いですることですか?」
立ち上がって僕は問い詰めるように言った。すると意外にも、マリアさんは悲し気な微笑を此方に向けた。
… … …
マリアさんはパンパンのゴミ袋を両手に、颯爽と森を駆け抜ける。そこへ、門前から彼女の通行を止めるかのように木の棒が伸びる。マリアさんが視線を若干下に落とすと、そこにはカレブより少し小さい兵士がいた。
「ルール違反はいかんよ」
その声は、紛れもなく僕のよく知る声。マリアさんも知らないとは言えない声であった。
「姫、退けて下さい」
「ほう」
姫は被っていた兜を外し、マリアさんの方を振り向いた。
「よく私が姫だと分かったな」
「分かりますわよ、声を聞けば」
「賢いお嬢さんなら、何故私が止めているか分かるよな?」
姫の問いに、マリアさんは目を細めた。姫に見つかってしまったのが運の尽きだったようだな。彼女は自嘲気味に微笑んだ。
「待って下さい、姫」
「む?」
まさか姫がいるとは想定外だった。こうなればと、僕が姫の下へ向かう。僕が登場したのは予想外だったのか、姫はカレブとエロス様に、「話が違うではないか」と小声で話していた。
「姫、これにはほんの少しの事情があるのです」
僕が言うと、マリアさんは目を閉じて頷いた。
… … …
思えば、アランの怪我を僕が負ったことでわざわざ礼を言いに来るような人だ。ただのケチでルールを破る程、ワイルドな人なはずが無かったのだ。では、何故彼女が此処まで手荒な真似をしたのか。それは、キラキラとした瞳でゴミを集めている子供達の為であった。
子供達と言っても、一般家庭の子供達ではない。孤児院に住む子供達だ。彼等はあまり栄養価のある食事を取れず、親もいない中一つの家の中に住んでいるのだ。不憫でならなかったのだろう。まぁ、姫が痛みかけの料理を毎度食すくらいだ。もともとこの国の食材はあまり良い物とは言い難いのだが……。とにもかくにも、マリアさんは度々自身のお金やアランさんの給料を利用して、時々孤児院の子供達や、お金に困っている人々に料理を振る舞っていたのだ。
そこで、今回ゴミを多く取れば、小麦粉が一年分手に入ると来た。小麦粉だけでも多く手に入れば、他の料理にお金をかけられる。マリアさんは、その為にルールを破ってでも森へゴミを拾いに行ったのだそう。
此処までの事情を伝えると姫は両手を組んで、「ううむ」と唸る。
「姫、此処はどうか」
「駄目じゃ」
わざとらしい程唸ったわりに、輝かしい笑顔で否定する姫。どうしてとも言いたかったが、理由は何だか分かる気がした。
「駄目に決まってるじゃろう? ルール違反は、ルール違反じゃ」
「……そう、よね……」
「先程、モモロンに言ったそうだな。死に物狂いで頑張っている人がいると」
「はい」
「それは、お主だけじゃなかろう? 此処におる者、みんな、生きるのは必死なんだ」
マリアさんは、ハッとしたように顔を上げた。僕も同じように顔を上げる。
そうだ。みんな生きるのに必死なんだ。当然、みんな色んな形で苦労しているし、その分みんな頑張っている。だから、誰かを優先させたりなんて、しちゃいけないんだよな。
マリアさんも同じように感じたのか、俯いて悲しげに呟いた。
「駄目ね私。聖母にでもなったつもりだったのかしら」
「つもりも悪く無い。でもどうせなるんだったら、こんな姑息な手段使わず、とことん聖母を目指せば良い!」
「……そうですね! 有難う。目が覚めたわ、姫」
ゴミ袋を僕に手渡し、マリアさんは言った。
「棄権します」
……つまり、さり気なく僕にゴミ捨てのパシリをしたのだ。なぁ、これって本当に聖母なのか?
僕が疑問に思っていると、姫、カレブ、エロス様が笑い出す。それに釣られて、マツリちゃんやマリアさんも笑い出した。やってられるか。僕は仏頂面で、ゴミを捨てに城内へと駆け出した。




