嫌味デスク
いまだ夏日が続く9月中旬。大手新聞社『帝京新聞』に勤めている平野小太郎は、
「はぁ」
と溜め息をついた。それもそのはず。なぜなら小太郎は、日々の嫌味などで怒り、憎しみ、悔しさ、悲しさなどが蓄積し続けており、会社を辞めようと考えていた。3日ほど前から、辞表をカバンの中に入れて通勤、取材するにまで至ったのだ――。
「なんだこれは!」政治部デスクの黒岩一彦が、怒声と共に立ち上がった。普通ならば萎縮してしまうが、もう慣れた。
「はい・・・」いつものように、小太郎は、弱弱しく返事をした。
「こんなんじゃなあ、遠山先生の冒涜や、政界、他マスコミ、一般人からのバッシングにもなりかねないよ。抗議の電話が鳴りっぱなしだよ!」黒岩が、持っていた鉛筆を投げた。遠山先生とは、大物代議士、遠山大二郎のことだ。
「具体的にどこがいけなかったんでしょうか?」
「はあ?全部だよ全部。見出しから本文まで!書き直せこの馬鹿野郎が!もう1回取材も行って来い。迷惑のないように!」黒岩が言ったが、平野は心の中で中指を立てた。
翌日早朝、見事な豪邸である遠山宅に思わず目を見開いた。白い大理石に黒字(行書)で『遠山』と書かれているので間違いないだろう。門の細工に見惚れていると、――来た。遠山だ。秘書の田村光一もいた。あっ、メモ帳を出し忘れた。そのとき――辞表が落ちてしまった。もう遠山は目と鼻の先にいるのに。しまった。遠山に見られた。話しかけてきた。
「なんだね?この辞表は?」もう、話すしかない。
「帝京新聞の平野と申します。本日は取材に・・・」
「記者さん。質問に答えてくれ。」
「上司からの嫌味に耐え切れず、毎日持ち歩いている次第です。」
「上司って誰だ?」
「政治部の黒岩です。」
「ああ、あいつか、俺から何か言っとこうか?」
「いえ、そんな・・・・・・」
「いいよ、遠慮しなくて。番号は?」
「いいんですか?」
「いいんだって。結局、番号は?」
「はい。03・・・」黒岩の机の電話番号を言った。
「おい、田村、車。」
田村が車を出しに行っている間に、遠山は番号に電話をかけた。
「・・・・・・・・・ああ、黒岩か?・・・違う?黒岩に代われ。・・・・・・ああ、黒岩か?お宅の平野君が辞表持ってるけど、どういうことだ?・・・え?そんなはずない?事実確認のために、平野君に代わるぞ。」――噓だ。なんでこんなタイミングで、代わるんだよ。小太郎は、少しうんざりした。
「受け取ります。」電話が渡された。
「すまない、平野――」黒岩の第一声だった。「オレは、一か月前に、探偵の工作員と浮気して、離婚したばかりだったんだ。」――そうだったのか。しかも別れさせ工作で。「それで、むしゃくしゃしてたんだ。日頃の鬱憤が、お前らに移ってしまったんだな。本当にすまない。」辞表を、近くの側溝に投げた。
「はい。辞表はドブに捨てときました。」
「明日からも、嫌味が続くと思うけど、その時はごめんな。」――えっ、まだ言われなきゃいけないの!?辞表を捨てたのを、後悔した。
その黒岩の言葉通り、明日からまた嫌味が続いた。遠山先生の出会いから3日後、俺は辞表を出して、遠山先生に話しを聞いてもらった。でも、また新しい職を手に入れた。その新しい職の内容は、日給8000円で、週3。遠山先生の家に行って『お手伝い』するのだ。