【番外】 昼下がりのロールケーキ(切欠編)
今回は幸田さん視点です。
時系列的に年明けちょい前ぐらいだとお考えください。
「あの、大丈夫ですか?」
「すいません、少し気分が悪くて……」
仕事で他社との打ち合わせがあった帰り、顔色を悪くした女性を見かけた。その人の鞄には赤ちゃんとお母さんを描いたイラストつきのキーホルダー。あぁ、妊婦さんなんだな、とその時気付いた。悪阻かしら?
「こっちにどうぞ。公園があるし休めますよ。柳君、悪いけど先行ってて。会社には自分で連絡するから」
私は後輩に事情を話し、そのまま直帰することを会社にも連絡した。上司は事情を聴いて「そういうことなら」と許可してくれた。
近くの公園で私はタクシーを呼んだ。その後自販機で水を買うと、ベンチに座らせた妊婦さんに渡した。彼女は丁寧に頭を下げた。
細身の女性で、どことなく柔らかな印象があった。浅黒い肌に黒々とした髪が綺麗な人で、目元が愛らしい美人。モデルでもしてそうな雰囲気だった。話を聞くと一時期モデルをしていたらしいが、結婚を期にやめたそうだ。
「主人はプロの演奏家なので、家にいたほうがサポートもしやすいかなって……。今は英会話とフランス語の勉強をしているんです」
嬉しそうに語る彼女の顔を見て、私の脳裏に秋田先輩の顔がよぎった。
秋田 雅喜
私の元カレだった人だ。今はプロの奏者として海外に行っている。
がんばる私が好きだ、と言ったのにこっそり浮気して、私の知らないところで別の女性との間に子供をもうけていた人。信じていたのに裏切られた気持ちは、未だに少しだけ私の心をうじうじさせていた。
そして、今。目の前にいる女性は秋田 菜穂子さん。話を聴いていくうちに、彼女が先輩の【本命さん】であることを知った。
(最悪な気分、というべきかしらね)
偶然にも元カレの奥さんと出会うなんて何かの間違いだろう、といいたくなる。まぁ、妊婦さんを不安にさせてもしょうがないし、今更相手を困らせようとは思わない。向こうは向こうだ。
「今、ご主人は?」
「イギリスでの公演に出演しています。あぁ、でも、今日の夜帰ってくるんですよ。検診の結果について話さなくちゃ」
幸せそうな菜穂子さんに対し「私、貴方のご主人の元カノです。貴方が妊娠したのが切欠で別れました」なんていえるわけが無い。いや、言ったら人間として失格だろう。
「よかったですね」
そういうのが精一杯だった。菜穂子さんは小さく笑ったが……どこか陰のある笑顔だった。
ふと、そんな彼女の傍らに長い箱があった。不思議に思っていると、菜穂子さんが僅かに目を細めて口を開く。
「これ、最近話題のロールケーキなんですよ。もしかして、ご存知でしたか?」
「これが……あっ! 『パティスリー・アオバ』の?」
菜穂子さんの言葉で、はっきりと思い出す。オーケストラの仲間が差し入れで買ってきてくれたロールケーキで、確か雑誌にも記事が載っていた。
「そうなんですよ。私、甘いものが好きでつい……」
僅かにはにかんだその顔に、釣られて微笑んでしまう。
暫くの間、スイーツ談義に花を咲かせているとタクシーが来た。私は菜穂子さんをタクシーに乗せると、駅に向かって歩き出した。
(幸せそうだったなぁ)
あの人の奥さんになれて幸せだ、と菜穂子さんは言った。私の顔を知っていてそう言ったのならば、優越感が彼女にはあったかもしれない。が、そんな風には見えなかった。恐らく秋田先輩は彼女に何も話していないのだろう。
菜穂子さんはご両親に大切に育てられたお嬢様らしく、モデルの仕事と家庭教師以外やったことが無いらしい。私とは違うタイプだ。秋田先輩は、こんなふんわりした女性が好みだったようだ。
どこか影もある、おとなしそうな菜穂子さんと(友人曰く)利発で真面目らしい私。
(そっか)
その時、腑に落ちた。何故彼が私ではなく菜穂子さんを選んだのか。彼女の方が守りたくなるタイプだったのだ。
(私なら、1人でも大丈夫……か)
彼女には自分がいなきゃいけない。そう思わせる何かが私にはなかったらしい。
……秋田先輩に、馬鹿にされたような気分がした。
暫く不機嫌なまま立ち尽くしていた私だったが、ふと目の前を見るとケーキ屋があった。たしか、季節のフルーツをつかったロールケーキが有名な、例の『パティスリー・アオバ』だった。
「鈴木君、今、家にいる? おいしいロールケーキを買ったから一緒にどう?」
「いいの? ありがと! 丁度甘いものが欲しかったんだ」
私が鈴木君に電話すると、彼は嬉しそうな声を聞かせてくれた。彼曰く、丁度作業が一段落ついたところだったそうだ。
家に行くと、鈴木君が紅茶の香りをまとって出迎えてくれた。丁度お茶を飲んでいた所らしい。彼は私が持つ箱を見て表情を緩めた。
「え?! いいの? 『パティスリー・アオバ』のロールケーキじゃないか!」
「うん。最後の1本ゲットしちゃった」
お店に入ったら偶然にも1本しか残っていなかった。それも話題の季節のフルーツロール。今回は栗を使ったものだ。
「案外大きいよね……」
「私、お昼まだだしいっそのこと今日のランチはこれでもいいかな、と」
「ちょ!? 幸田さんってば!」
私のぶっちゃけ話に鈴木君が突っ込むが、たまにはいいじゃない。
「私ね、甘いものだけを食べたい気分なんだから、今は」
そう言ったとき、鈴木君が少し心配そうな目をして……小さく頷いた。彼は「今、お茶入れるから」とだけ言って私を奥に案内してくれた。
少しの間だけでいい。ロールケーキの甘さに巻き込んで、この悔しさと寂しさを噛み砕いて消化したい。鈴木君は、それを敢えて許してくれている気がした。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
とりあえずあと少しだけ続きます。




