柚子の香りとため息
ぐつぐつ煮える鍋をつつきながら、僕と幸田さんは何気ない会話を楽しんでいた。が、幸田さんは何か言おうとして、躊躇っているように思えた。
「どうしたのさ」
「え? 何が?」
「幸田さん、ちょっと変だなって思って。悩みでもあるなら聞くよ」
「悩み……か」
幸田さんは、普段どおりにやんわりとした顔(を、多分しているだろう)の僕を見、少し考えながら口を開いた。
「あのさ。この間、上司から食事に誘われたって言われたでしょ?」
確かに、言われた。会社に迎えに行ったときに見た、威圧的な男性が脳裏に浮かび上がって、胸の中がもやもやしてしまう。眉を寄せる僕に、幸田さんはため息を吐きながら言葉を続ける。
「その人がね、お見合いを持ってきたのよ。相手は、大手機械メーカーに勤める20代後半の人で、上司の甥だったのよね。その人曰く『気の強い女性が甥っ子の好みだし、ちょうどいいんじゃない?』ってね。何考えてるのかわからないわ」
「……食事に誘ったのって、甥っ子さんにあわせるためだったのかな?」
僕が首をかしげていると、幸田さんも首をかしげて「どうだろう」と呟いた。彼女はふむ、と考えながらハクサイを鍋からとる。
「恋人がいるからって断ったわ。そしたら『ウソをついてるね。君、恋人と別れたそうじゃないか』って……失恋した事知ってたのよ。ま、シラ切ったけどね? それこそデマじゃないですかって」
「幸田さんも言うねぇ」
僕は幸田さんと例の上司がそんな話をしているところを想像していた。あの威圧的な人にきっぱり言う幸田さんは『らしい』な、と思う。けれども彼女は、内心ドキドキだったらしい。
「因みに、今回は私の直属の上司……高田さんって言うんだけどその人が間に入ってくれてお見合いの事も流してくれたわ。でも、なんかもやっ、として……鈴木君に言いたくなったのよね」
「うん、もやもやしたらいつでも言って。聞く事は出来るよ。友達だしさ」
やっと安堵した顔になる幸田さんに、僕もほっ、とする。胸の中のもやもやはちょっとだけ残っているけど、幸田さんには笑顔が似合う。彼女が笑ってくれると、うれしい。
「ありがとね、鈴木くん。頼りになるわ」
その一言で照れくさくなってしまい、何気なく横を向く僕。
「じゃあ……困ったとき、幸田さんに助けてもらうかもしれないけど、頼んでいい?」
「勿論よ」
僕の頼みを、幸田さんは優しい顔で引き受けてくれた。ありがたい。持つべきものはやっぱり友達だよね、ホント。
僕らはなんかその事で繋がっているような気持ちで、笑いながら鍋をつつく。その心地良さが、なんとなく嬉しい。友達だからこその距離感だけど、これってなんかいいな、って思ってしまう。
「あ、そうだ。喉、渇かない?」
不意に幸田さんはそう言って冷蔵庫を開ける。僕が頷きながら相槌をうつと、彼女はユズを取り出して、シンクに持っていく。
「柚子湯飲む? 母が送ってくれたんだけど、けっこう美味しいよ」
「是非飲ませて!」
僕は、柑橘類の香りが好き。だから直ぐにそう言っちゃった。
包丁で半分に切り、カップに注いだお湯の中に果汁を絞る。
あとは蜂蜜をお好みの量入れて溶かしてできあがり。
鍋をつつきながら飲む柚子湯は、なんかほっとする。気の置けない友達とこうして向かい合うのは、楽しいね。
「ねぇ、鈴木君」
「ん? 今度はどうしたの?」
「いや、こうして2人で食べたりするのも楽しいなって。失恋して取り乱している時、気晴らしにつきあってくれたし、この間も一緒にカボチャの煮つけ作ったでしょ?」
「うん。まぁ、一緒にご飯を食べるって楽しいから」
僕は何気ない幸田さんの言葉に頷きながら、妙に心が寛いでいるのを感じていた。幸田さんも同じ事を考えていたのかな? だったら嬉しいな。
「また、一緒に食べてくれる?」
「そりゃ、勿論。鹿島さんとか低音パートの友達と一緒でも、君と二人っきりでも」
僕らは自然と笑い合って、柚子油の入った湯のみで乾杯する。気が置けないってホントいいよね。正直、こういう友達をもって僕は幸せ者だよ。
そこで思ったのが、次はいつ一緒に食べるかって事。幸い、僕らの家は近所だし、幸田さんのお仕事次第では一緒に帰る事が出来るし。
「「今度、いつ……」」
僕らがそろってそういいかけた時、幸田さんのスマホと、僕の携帯が同時に鳴った。そして、直ぐに取り出す僕ら。幸田さんの方はメールだったらしいけど、僕の方は着信だった。
「はい、鈴木です」
「鈴木……ごめん。迎えに来て……気持ち悪いよぉ……」
電話の相手は、大河内さんだった。しかもすっごく酔ってる。へろへろの声だった。話によると、職場の人との飲み会で飲みすぎたらしい。それで何故僕に連絡をする……? あの人のことだから多分近くにいると思ったんだろうなぁ。
「……幸田さん、ゴメン。大河内さんが酒によってSOS出してる……」
「行ってあげて。多分、調子に乗って飲みすぎたんだとおもうから」
僕らはうなずきあった。
申し訳ありません、あと1話続きます……。
大河内さんェ……。




