荒城の姫君 三
太陽の日差し。
小さな窓からその光は容赦なく目を突き刺した。天高く宙で光る太陽。その強さが妙に心をさざめかす。
そして、その位置のおかしさを感じる。
「この時間になっても放って置かれていると言うことは……私は死刑になったのかしら?」
呟いてみるも返事はない。
そうだ、ここには見張りも居ないのだ。
来たのは夕餉を持ってきた女神官とナラムだけ。
「どうしましょうね、ふふ……」
自嘲の笑い。死ぬことよりも、儀式のことが心配だった。
「せめて、扉が開いてくれさえすれば」
こんこんと扉を叩いてみる。これは外から中へ入る人の動作だ。中にいる人間がすることではない。
が、不思議なことが起きた。
鍵が開く重い音がしたのだ。
まさかと思いつつも扉に手をかける。それは余りにあっけなく動いた。
「だ、誰か開けてくださったのですか?」
状況に不信を抱くが、選択肢はない。扉が開いてくれさえすれば、と願ったのは自分だ。そうだ、これで兄の所へ行ける。
半開きの扉を押して開け放つ。
行かなくては、何度でも。
どんな障害があろうと。
強い決意とは裏腹に、拍子抜けするほど連れ戻される気配はしなかった。
そう、なぜなら、人が居なかった。
「誰か、居ないのですか……?」
隠れて行こうとしているのに、愚行だ。けれども声を上げずには居られなかった。
誰もいない、神殿。
人の気配はまっさらで。あまりにも寂しい。いや、寂しさすら置いてきぼりにされたような静けさだった。
不安で胸が高鳴る。急がなくては。兄がどこにいるかは分からない。もしかすると今は王宮の方にいるのかもしれない。でも、一番大事なのは儀式を止める事。最初に、奥の一番大事な儀式の間に行かなくては。そうして、兄が居ればよし。居なかったらまた儀式の邪魔をしよう。
そうだ、今度はただ散らかすだけではない。大事なものを持ちだして隠してしまえばよい。人の居ない今なら、大丈夫。大丈夫よ……
知らず知らずの内に歩く速度はどんどん早くなっていく。
それでも誰にもすれ違わない。びっくりするほどあっさりと、昨日捕まった場所まで戻れた。
そこにはやはり誰も居なくて。
相変わらず真っ白な人骨がうず高く積み上げられていた。
でもそれだけ。バラけたはずの道具は整然と並べられていたけれど、使った後はない。そもそも使う主が居ない。
ここに誰も居ないなんてことがあり得るのだろうか?
いつも人数は制限されていたけれど、誰かしらが火の番をして、あるいは掃除をして、そして儀式をして。静かな場所であったけれど、何の音も聞こえないだなんてありえなかった。
すぐに部屋を後にした。
なにか持って隠そうと思ったのにすっかり忘れてしまっていた。人を探さないと、その気持ちで頭がいっぱいになってしまったのだ。
誰か、誰か。
もう足音がとか考えない。むしろどんどん大きな音をたてて、誰かに気づかれたかった。
「誰か、居ないの!」
走りながら大きな声を出すものではない。横腹がねじれて痛い。息が上がることは留まることを知らない。
建物の中を抜け、広場――昨日、沢山の人々があふれていた場所にも行く。
走って走って、何度も「誰か居るように」祈った。神から離れようとしているのに、そう考えてる自分が「何か」に祈ってしまうなんて。これじゃ駄目なのだ。
そうやって脳裏に浮かんだ事を払いながら進む。
しかし、祈ることも、それを振り払うことも意味のない事だった。広場には、誰も居ない。
「ふふ……」
もう笑うしかない。
少なくとも、この神殿には誰も居ない。
***
しばらくぼんやりと神殿を歩いていた。
何にも感じず。呆けて、何も考られず。
「ああ、見つけた」
それが声だと認識できずに居た。
「驚いて、しまったのですね。ああ、早く迎えに行ければよかったのですが」
肩に手を置かれる。その感触が私を現実に引き戻す。
「あ……」
「私が分かりますか? 姫様」
「ナラ…ム……?」
「ええ、その通りです」
「よか……よか……」
思わず涙がにじむ。
「牢へ行ったら居らっしゃらないので焦りましたよ」
「扉が、開いたのです。ですから…」
「ああ、そうですか。参ったな……貴女が望むことは叶ってしまうのか」
「え……?」
「いえ。こちらの話です」
ナラムはいつもより口数が多かった。気が緩んでいるのだろうか? そのおかげでだんだん気持ちが落ち着いてきた。
彼がここで普通にしている。それはつまり……
「ねえ、皆どこへ行ってしまったの? どうして移動したの?」
「移動ですか」
彼はこちらを真っ直ぐと見てきた。いつも下を向いたり横を見たり避ける事が多いのに。今日は真っ直ぐとコチラを見つめた。
それどころか、その顔はどんどんと歪んだ。
「違…うの……?」
「ははは、違うよ、オヒメサマ。分かってるんだろ?」
「な、何を分かっているというの……」
「もう、ここには誰も居ないよ」
誰も……居ない?
「…っ……!」
「牢からここまで来たんだろ、歩いて。じゃあ見ただろ。誰も居ないのを。王が、やったことを」
「嘘!」
「何が? 王が別の神と儀式を行ったことか? 死んだ王妃の復活を祈ったことか? 代償としてほぼ全ての民が消えたことか?」
ははは、と声を上げながらナラムは笑う。笑い事ではないのに。それに口調が、愛想は良くなかったけど彼はいつでも丁寧な言葉づかいをしていた。
私だけではなく誰にでも同じだったから
「では、なぜ……ここにいる、の? 私は消えずにいるの」
「知りたいの? そうか知りたいんだ」
彼はくっくっと喉を鳴らしてとても面白そうだ。
ああ、そうか。おもしろ『そうだ』じゃないのだ。実際彼は楽しくて仕方がないのだ。
――俺もまた神に願いを叶えてもらったんだ。
「何でそんなことを! これは貴方のせいなの!?」
服を掴んで詰め寄る。
「勘違いしないで欲しいな。 俺のせいじゃない。この自体を引き起こしたのは紛れも無なく王だよ」
へた、と全身の力が抜けて倒れそうになる。ならなかったのはナラムが私の体を抱きとめたからだ。
とても礼など言える気にならないが。
「あーあ、何してるんだか。ヒメギミは」
彼は多種多様な笑い声を上げながら、私を抱きしめる力を強める。
「ふふふ、ははは」
「ナ、ナラム……」
「可笑しいんだ。まさか本当になるだなんて。神とはホントに可笑しな生き物だよ。ヒメギミが欲しいって言ってらさ、ヒメギミさえ手元にあればいいって。そしたらこの通りだよ! ははは」
「貴方も、神と……」
「ああ、そうだよ? 最も王とはまた別の神だけど」
「止めて! お願い、あの神に……神々に手を出すのは止めて……」
「構わないよ」
彼はあっさりすぎるほど簡単に承諾した。しかす直ぐ様また笑い出す。
「神がそれを許してくれるならね……くくく。逃げられないのさ、俺もヒメギミも。目を付けられてしまったから」
「離してっ」
ナラムは生き延びた代わりにおかしくなってしまった。そうとしか思えなかった。神のせいだ。アレに願いを叶えてもらうと良くないことが起きる。起きない事があると思ってたけど、違う。絶対起きるのだ。気づいてるか気づいてないかの差で。
神になど関わるべきじゃなかったのに……誰も止められなかったの?
本当にナラムの言ってることは正しいの?
お兄様は……
「……いいよ。気の済むまで好きにするといい。信じたくないなら幾らでも探せばいい。王を、民を。どうせヒメギミは俺の元に戻ってくるのだから。目を付けられてしまったからね」
「戻らないわ」
ずっと羽織っていたマントをナラムに押し付ける。
「戻るよ、必ず」
***
誰も居ない神殿を抜けて王宮に戻る。
兵士の影に怯えて進んでたのが嘘のように人が居ない。
宮に戻って声をかけるけれど返事は返らない。
王の居城に行くけれどそこでいつも見張りをしている大臣が居ない。
一人で降りることを許されない門の外。
道の真ん中を行くけれど誰も咎めない。
居ない、居ない、居ない。
――誰も居ない。
それが、結末。
誰も居ない国がその時出来たのだ。