第20話 1週間目の悪夢
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
莉亜は扉を開けた男性に満面の笑みで、会釈したままそう言った。
「よう」
ふくみ笑いを我慢する男性がそう莉亜へと答えた。
莉亜はその聞きなれた声にハッと下げていた頭を上げる。みるみる内に顔が真っ青に青ざめた。目の前には得意げに笑っている祐大。何が何だか、訳が分からなくなった彼女は、ここに来るはずもない彼を見てはおもいっきり動揺する。
「な、な、な、なんで」
しかも、祐大だけではなく、彼の後ろには4兄弟全員が勢ぞろい。
驚く莉亜を尻目に他の店員が、すかさず来ると4人を座席に案内する。祐大・龍之介・慶太・良人順で店内へ続くドアから入ってきた。
莉亜は、目の前を何も言わず横切ろうとした良人の手首を掴んだ。彼の表情が微かにこわばるのが彼女にもわかった。
良人はそぉ~と莉亜の方へ振り向くと怯えた様子をみせる。それでも彼女はこの状況を彼に問い詰めたのは言うまでもない。
「んで――――なんで、皆がココにいるかな? ふたりだけの秘密じゃないの? 良人くん」
「なんか祐大に知られてしまって……そしたら、こんな事に」
「話しちゃったのぉ! あり得ない……」
「いや、自分から話したわけじゃ――――」
「どっちでもいいよ、今となっちゃ……ね」
「だろうね、ハハ……」
困った顏のまま愛想笑いする良人を、莉亜は呆れ果てるのだった。
良人は莉亜に睨まれると、申し訳なさそうに自分のやらかしてしまった事を心から後悔した。
「ホント――――ごめん」
ふたりが店内の隅っこの方でこんなやり取りをしている間、残りの3人が、何事もなく座席に座った模様。
それを諦め顔の莉亜が、遠くから見るとため息をついた。そして、猛烈に反省する良人を解放してあげる事にして、再び自分の仕事に戻るのだった。
――――1週間前の出来事――――
「も~最悪、雨降ってきたちゃったよ」
そう言いながら、大学帰りの莉亜は濡れたアスファルトの上を走っていた。
立ち止まると、辺りをキョロキョロと見回す。道路沿いに並ぶ店に視線がいくと、ビニールの屋根がある場所を見つけて雨から非難。
莉亜は雨宿りするのだった――――――激しく打ちつけるように降る夕立から、逃れたい一心で。
「駅まではまだ距離あるし、ハァ……ツイてないなぁ」
顔や手や身体は幸い少ししか濡れていなかったが、それでも気持ちが悪いので、湿っている全身を莉亜はハンカチで軽く拭いた。
「梅雨って、ジメジメして蒸し暑いし。いきなり雨は降るはで、いい事なんて何にもないんだから」
ある店の前で莉亜はボヤキ始めている。
「店の前で雨宿りしないでくれよ。営業妨害だよ、君」
黒い蝶ネクタイ締めた、白シャツに黒のベストの男性がそう言って、ドアからニュッと、突然出て来た。
ドア前に立っていた莉亜はそれをよけてから、後ろを振り向いた。ドアから顔を出す店員にバツが悪そうに謝るのだった。
「あっ、すみません」
「君――――」
蝶ネクタイの男は獲物を狙う肉食獣の様な視線を浴びせるのだった。
莉亜はその薄気味悪い視線に耐えられそうもなく、声を出す。
「あの――――」
蝶ネクタイの男は莉亜の声で我に戻った様子。改めて彼女に声を掛けた。
「やあ。君、かわいいね」
そう言って、ニッコリと微笑む男は、有無も言わさず、唐突に莉亜の腕を掴んだ。
「ちょっと、来てもらおうか」
「え?」
莉亜は訳がわからない内に、お店の中を蝶ネクタイの男に腕を引っ張られていた。
「あの、本当にすみません。ほんの少し雨宿りしようとしただけで。反省してます、だから」
「反省するなら、ついて来てもらえるね」
そう言った後に、怪しげな笑みを浮かべる男。
何度も謝るが、それを蝶ネクタイの男は適当にあしらうだけだった。気づくと店のどこかの部屋に連れて来られていた。
ドアにはスタッフルームのプレート。
男性が部屋の中に躊躇する莉亜を押し入れた。そして、男性も同じ部屋に入る。
莉亜は緊張のあまり、身体を動かせずにいた。
強張る姿を見た男性がリラックスさせる為、背中越しの彼女に声を掛ける。
「まぁ、そんなに強張らず。椅子に掛けたらどう?」
声に従って莉亜は、やけに重く硬い足を動かして、イスに座った。
「君、ホント可愛らしいねぇ」
男性がそう言って、湿った髪の莉亜にタオルを渡す。
莉亜はそれを受け取るとタオルで濡れている部分を拭きながら、曖昧で、迷惑そうな返事をするのだった。
「はぁ~ありがとうございます」
軽いノリで女を口説くような話し方の男が、莉亜の向かいに座る。
「あのさぁ、オレ、この店の雇われ店長なんだけど、君さぁ――――働いてみない?」
と言って、ジロジロと莉亜を舐め回す目つき。熱~い眼差しで彼女を見つめる雇われ店長。
莉亜は気色悪い視線に悪寒を感じ、身震いする。
「いきなり、なんですか?」
「理想だ。まさしく理想だね」
「理想って、なんの理想なんです?」
「いや、こっちの独り言だから」
「の割には、声がハッキリ出てるんだけど」
あっ気に取られている莉亜を気にもとめず、店長は顎に手を添える。そのまま肘をテーブルについて、くつろぎ出した。
「それにしても、君は俺のビジョンにピッタリだよ」
戯言をハキハキと声にするような人間からは、何を言われても真剣に取り次がないように、莉亜はたった今決めるのだった。




