4ー③
「これだけ迷惑かけられたら、礼でもしてもらわないと割りに合わないな」
「お礼って程の事もないと思うんだけど……」
「こういう時はお礼するのが人としてのマナーだと、思うね」
「はいはい。それで、どんなお礼をしたらお気に召しまして?」
「余計な運動もさせられた事だし、喉も渇いてるから飲み物でも頂こうか」
男性がそういいながら指差した方向に雰囲気のいいカフェがある。
カフェは透明の壁に沿ってズラリとテーブルや座り心地の良さそうなソファがいくつも並んであった。
莉亜がその内の出入口から一番手前の小さなテーブルの上に荷物を置いて席を取る。なんとなく透明な壁に視線がいく。壁はプラチックの様な素材で造られていた。フロアの様子もよく見えるお陰で、席に座る事なく莉亜は突っ立ったまま、透明の壁を熱心に穴があく程見入る。
(もしかして……ここに居る人達から、さっきのあたしの姿見えてたのかな?)
そんな事を考えている莉亜に男性が座るように促すのだった。
男性は莉亜の注文を聞いてからカウンターへと飲み物を買いに行く。
莉亜は火照った身体をゆっくりと下ろして、ソファーに深く腰掛ける。ソファーの艶々した革が、冷たくて気持ちがいいと感じるのだった。
今の莉亜にはちょうど良い感じの座り心地。
モスグリーン色のソファーが落ち着きかない莉亜のお尻を優しく包み込んでいる。
ソワソワする莉亜がカフェの様子をあちらこちら見渡している。視線の先には今更ながら、不思議な光景がひろがるのだった。
十数時間前、飛行機に乗る前は全く関係のなかった人とカフェに来ている――――つまりは、何も知らない男性、と。
ふたつのカップを乗せたトレーをテーブルに置いた男性が、莉亜へ話を切り出してきた。
「で、アンタ旅行か何かで来た訳?」
「――――何故、そう思うんですか?」
飲もうとしていたカップをテーブルの上に置くと逆に尋ね返した莉亜。
シラっとした瞳の男性が莉亜の顔をみてから、迷いなく答える。
「同じ場所でうろうろしてたら……誰でもわかるだろう」
「それって、あたしをずっと見てたって事?」
「んっ見てた訳じゃない――――俺が居る場所に何度もアンタが現れてたけどね」
男性の言葉を聞いて、莉亜は無言になるのだった。ムッとした莉亜の眉間に無意識のうちにシワが刻まれる。
(なんだ、もうわかってるんじゃない。わざわざ尋ねなくても)
怒っている様な表情の莉亜の態度で、なんとなく質問の答えを察した男性。
「否定しないって事は図星だな」
「べ、別に貴方に言う必要もないでしょ」
「だな、俺も特に興味はない。世間話だ――――――ただのね」
「一応、父親に知らない男には気をつけろって、言われてるもので」
「ほぉ、パパの言付けを守ってるって訳か。それは懸命だな、お穣ちゃん」
言葉とは全く裏腹な表情の男性が莉亜の皮肉を皮肉で返した。無表情な顔から彼の顔が満足気に変わる。
莉亜は男性の言葉と満足気な表情にカチンっときた様子。
(おっお穣ちゃんって、ヒトが一番気にしてる事、なのに)
男性の嫌味を心の中で受け止めようと努力する莉亜。その影響なのか、彼女の表情筋がピクピクと動く。そして、筋肉のけいれんを抑える中、冷静に一言だけ返すのだった。
「そ、それはどうも……」
皮肉の応酬を最後に会話が途切れる。
おもむろに男性がトランクとは別の黒いA4サイズのバックから、一冊の本を取り出した。その本には本屋で買った時のままカバーがついてある。向かいで座る莉亜には目もくれず、男性は本をお構いなく読み始めるのだった。
しばし、ふたりの間には冷たい空気がただよう。そんな沈黙を破ったのはふたりではなく、どこからともなく流れ出したメロディ。
それは莉亜にはきき覚えのない機械音だった。その音に反応した男性が鞄から何かを取り出す。手にしたのは電話。
男性は携帯の画面をジッと見ている。携帯で操作し終えると鞄に手を伸ばすのだった。
「悪い、俺はもう行くから。飲み物サンキューな」
それだけ言うと男性は立ち上がりざまにテーブルの上の自分の本やらを鞄に片付け始める。
何が起ったのかわからない感じの莉亜が、ソファから立ち上がった男性へ、とりあえず質問をした。
「あの、何かあったんですか?」
「いや、別に。仕事なだけ」
「あぁ。携帯、仕事の連絡だったんですね」
「まぁな、知らない男にはくれぐれも気をつけろよ。じゃあな、お穣ちゃん」
そう言うと男性は莉亜に皮肉を返す間も与えず、カフェを出て行くのだった。
(ホントにっ最後まで嫌味な人!)




