1-1 若様の愛読書が意外すぎる(1/3)
公爵邸へ来て、早いものでもう半月ほどが経過した。
もちろんまだまだ仕事に慣れたなんて言えないけれど、そこは優しいナタリア先輩が本当に丁寧に仕事を教えてくださって。そのおかげで、私はできることを一つずつ増やしていく。
ナタリア先輩や侍女長のぺルラ様はもちろん、その他の使用人の方々も皆気さくで優しくて、なんというか……上流階級の人たちが持つ、いい意味での余裕……みたいなの、って言えばいいのかなぁ。そういう雰囲気を感じるんだよね。
とはいえ新人だからね。がんばってはいるけどいきなり仕事が完璧にできるなんてそんなわけなくて、小さな失敗をちょこちょこしてしまってはそれなりに落ち込むときもある。ただ、そこでも必要以上に強く叱責されたりはしないけど……まあそれについては今のところまだ大きな仕事を任されていないから、ってのも理由ではあるとは思うよ。
正直……ちょっとだけ、いわゆるいじめとか影口とかのそういう『面倒な職場あるある』みたいなのはある程度は覚悟してたんだけど、それが拍子抜けするほどね……ほんとに、ほんと~に、全然ないんだよ。逆にびっくりするんだけど。
使用人の方たちの中にはナタリア先輩のような若い女性もいれば、もっと若い見習いさんたち、逆にご年配の方、男女それぞれたくさんいらっしゃる。
年配の方は家庭を持っていて通いの方もいるし、若かったり独身だったりで私と同じように使用人区画に個室をもらって住み込みで働いてらっしゃる方もいる。
下手したら人数だけでいえば例えばうちの領地の中で小さめの集落よりも、この邸で生活してる人たちの合計の方が多いんじゃない……? それくらい大きな、一つの組織なんだよね。
確かに速く馴染めるようにがんばりたいな~と思ってはいるのは事実なんだけど、どうも私がそうやって気負っているのが皆さんに伝わってしまっているのか……休憩時間とか、私に声をかけてくださる方がたくさんいらっしゃるの。
特に私の実家である辺境領地での話やそこから船で向かう隣国でのことなんかは、王都でずっとお過ごしの皆さんにはすごく珍しい話題みたい。
だから、皆さん私の話を興味深そうに聴いてくださるんだよね。反対に王都や他の領地でのお話などをたくさん聞かせてもらえて、本当に勉強になるんだよ。
う~ん……こうして改めて考えてみても、だよ。控えめにいっても『最高の環境』ってやつじゃない……?
確かにね、仕事の内容としては重いものを持つようなこととか広い邸をあっちこっち歩いたりとか、他にも色々体力的にキツいなと感じることもあるよ。疲れ果ててるのか、布団に入って目を閉じて開けたら朝……みたいな日だってあるし。それでも、人間関係がいいこと、これほんとに一番。ほんとに大事。正直環境に恵まれすぎていて今後の人生ここより他で働けないかもしれない。
どうしよう……我ながら悩みが贅沢すぎるんだけど!
「お、アリス。それうまそうだな!」
厨房を覗くようにひょい、と顔を出したイヴァン様に、使用人たちは皆慌てて立礼する。いやいや、座って仕事に戻ってくれ、とイヴァン様が笑顔で手を広げるのがいつもの一連の流れ。
気さくなのはいいことだけど、ちょっと自由すぎるんだよね。使用人としてはちょっと扱いに困るというか、どういう距離感で接していいものか測りかねるところあるんだよなぁ、イヴァン様って。決して悪い人ではないんだけど。
私は、料理人に『味見しておいてね』と手渡されたリンゴを口いっぱいに含んだまま目を白黒させて、慌てて咀嚼した。
「……っ、はい、料理人から今日市場で仕入れた新鮮なものと聞いてます!」
「ははは、すまんすまん、食べてるときに声かけて悪かった! 楽しみにしてるって料理人に伝えてくれな~」
こうしてイヴァン様は私に度々ちょっかいを出してくる。……いや、言い方が悪いかな。他の使用人の皆さんと同じで、ここに来てすぐの私を気にかけて度々声をかけてくださってるんだろうね。
鋭い目つきだけは未だにちょっと怖いんだけど、本当に気さくで優しい方だと思う。
旦那様と奥様が領地にいらっしゃる間はご長男のイヴァン様がこの邸の主として振る舞っているわけで、その期間はまあまあ長い。そこでは彼の気さくな性格が如何なく発揮されているわけで……当然、使用人たちは皆イヴァン様のことが大好きだよ。
もちろん若様と使用人という礼儀をわきまえた枠の中ではあるけども、それでもなんとなく年配の使用人たちは息子のように、同年代の使用人たちも兄弟のように、そんな感じでそれぞれがイヴァン様に接しているようなところがある。
なんというか、公爵邸全体がひとつの大きな家族、みたいな。そういう感じあるよね……やっぱりあれだよ、≪とってもアットホームな職場です≫、ってやつで間違いないんだよ……。
邸ではこんな感じのイヴァン様だけど、意外にも社交界では敢えて冷たい雰囲気で令嬢たちには冷酷に振る舞ったりわざと意地悪を言ったりしてるんだって。
これは一応彼なりの処世術……というかね。心に決めた婚約者がいるから他の女性と仲良くする気はないし、先に嫌われてしまえばその後でわざわざ嫌いな奴には寄ってこないだろう、その方が楽、ということらしいんだけど。
でもねえ、多分だけど……こうやって公爵邸で使用人たちと仲良くわちゃわちゃしている方が素なんだろうなぁ……。なんていうか、ちょっと不器用な人なのかも。
ただ、婚約者がいると公言しているから釣書が実際に届いたりはしないんだけど、それでも『婚約者がいなければうちの娘を嫁に立候補させるのになぁ』みたいなことは結構言われるみたい。
イヴァン様は『社交辞令か俺の社交界での噂を知らないのか、それとも元宰相の長男で公爵家の嫡子って肩書だけに釣られてんだろ』って呆れた顔で言ってたけど。
実際にはもちろんそういう人もいるだろうけど、イヴァン様の事務官としての真面目な仕事ぶりを評価して将来性を感じてる方、仕事関係での繋がりの方なんかも結構いらっしゃるみたいなんだよね。
で、ですよ。釣書といえば。
「……ひえ……これ、全部若様宛の釣書ですか……?」
イヴァン様も大変そうではあるんだけど。もう一人の若様……ゼノン様の方は、もっともっとすごく大変な状況になっているみたいでね。
「おやアリスさん、『ひえ』なんて平民のような言葉使いですね」
「……ああっすいません、つい……」
「まあ、思わずそう言ってしまう気持ちもわかりますが……」
「毎度毎度、すごい量ですものね……」
私はゼノン様の執務室で、ナタリア先輩とそれから年配男性の家令ニコラス様と三人、うず高く積まれた封筒の束を茫然と眺めていた。
家令というのは、ざっくり言えば使用人たちのまとめ役みたいな感じ。うち……領地の領主邸には家令がいなかったからなぁ、ニコラス様がしてるような仕事はほとんど古参使用人の執事長がやってたんじゃないかな。ただ、この邸くらい大きな規模だとやっぱりちゃんととりまとめる家令が必要なんだろうと思うよ。
ニコラス様は優しい雰囲気だが仕事のできるナイスミドルだ。ちなみに休憩時間に生まれたばかりの孫の話をしているときは、すご~く普通の『おじいちゃん』の顔になる。
「こちらは釣書、こちらは茶会や夜会の招待状ですね。あわよくば若様とお近づきになりたい……という方がこれだけいらっしゃる、ということなんでしょう……」
「これら全てに対してのお断りのお返事を書く、ということですか……」
「ええ、そうなります。若様はもちろんお見合いやご婚約をなさる気は一切ありませんし、茶会も夜会もご出席にはなりませんから」
お誘いのお返事ならお断りだとしても、本来はゼノン様ご本人が書かなきゃいけないだろうけど。でも、なんといってもこの量だもんねえ……さすがに手分けして書かないと無理だわこれは。
せめてもと最後の署名だけはゼノン様がなさっている状態だけど、これは相手方も多分仕方ないと思ってくれると思うよ……。
普段こういう代筆のお仕事をなさっている執事の方が今日お休みということで、ニコラス様に手伝ってみませんかと声をかけられたの。こうして色々な仕事を教えてもらえる機会があってありがたい限りだよ。
そういえば、ゼノン様といえばね。初日にすごく失礼な態度をとって大失敗して、ナタリア先輩のフォローのおかげでなんとか切り抜けた件なんだけど……。次の日にはなんと『緊張させすぎただろうか?』って、心配してわざわざ声をかけてくださったんだよ……。普通に、すごく、いい人すぎるよゼノン様。
だからこっちの罪悪感がすごすぎてしばらく顔を合わせる度に正直胃に穴が開きそうだったんだけどね。ご本人がどうやら、私が失礼な態度とってたことに全然気づいてなかったっぽい。本当にそうなのかな? ってその後もしばらく様子を伺ってたんだけど、やっぱり特に何も気にしてない感じでね。
だからやっと最近ゼノン様に普通に接することができるようになってきたところなの。はぁ、そんなこんなで一応自分なりに十分反省したので、どうか許されたいよ……。
「……一応、一通り差出人は確認したぞ。そこにあるのはすべて断っても問題ないと判断したものだけだ」
貴族として暮らしていく立場上、気が進まなくとも招待を断れない会合もある。
そういった場合には渋々参加するわけなんだけど、黙って壁際に突っ立っていてもどうしてもゼノン様の整ったお顔立ちは本人の意志とは関係なく人目を引いてしまうそうで……。本人は『帰りたい、今すぐ帰りたい……ああ、胃が痛い……』とかしか考えてないのに、ご令嬢たちには『憂いを含んだ表情が素敵……』『今日も無口でクール……』とか言われてしまうらしい。
そこまで行くと可哀想だよ。ゼノン様も、ご令嬢たちも。
「今回は私が内容を確認していきますので、アリスさんはナタリアさんと一緒にこちらの資料を参考にしながらお返事を書いていっていただけますか。内容についても、何パターンかありますので、細かく指示を出しますね」
「は、はい。わかりました……!」
……それにしても、本当に量が多い。
次男なので婿入りを当て込んでいる釣書も多いし。
確かに、公爵家の血統と絶世の美貌。本人の性格を知らなければ優良物件だ。本人の性格を知らなければね。




